埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

行ってきました!「第44回日輪の下に」!! その3

2月11日に開催されました「第44回日輪の下に」について、一昨日、昨日に引き続き、報告をいたします。

「日輪の下に」は朝から川越高校春日部高校、松山高校の3校の演技がありましたが、各校とも素晴らしい演技披露でして、各校の演技時間55分がとても短く感じます。

↓ 14時00分から14時55分までは県立浦和高校

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幹部3名、下級生3名と少人数ではありますが、パワー不足を微塵も感じさせない迫力満点の演技は見事。例年少人数でありながら全国区の知名度もあり抜群の存在感を示している印象があります。

↓ 15時05分から16時00分までは熊谷高校

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幹部14名、下級生11名の大所帯。野球応援メドレーの際の幹部13名による「突き」はこの日一番の大迫力で度肝を抜かれてしまいました。司会進行のトークや間合いなど細かい部分まで練りに練った舞台で毎年「日輪の主役の座」を奪っています。

↓ 16時10分から17時05分まではトリを務める今年度幹事校の不動岡高校

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10年前に女子にも応援部入部の門戸が開かれて以来常に女子が活躍を続けています。5年前にはたった一人の幹部が女子だったこともありました。今年は幹部6名のうち男子が2名いますが女子の力は欠かせません。演技披露も素晴らしく、厳しい練習を積み重ねてこの舞台に臨んだことが一目で判りました。

プログラムの予定時刻より少し遅れましたので、閉会式は17時40分から

六校応援団連盟の岡本委員長(幹事校不動岡高校所属)の「六校応援団連盟の伝統が10年、50年、100年、1000年続くよう、精進していく所存」と挨拶しますと、次年度開催校熊谷高校の田中団長が「この伝統が1万年、1億年、1兆年続いてほしい」と切り返し、最後の最後まで観ていた熱心な観客の笑いを誘っていました。頭脳明晰な人にしかできない見事な問答に感心しました。

↓ 最後は六校第一応援歌メドレーで締めくくります

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六校の応援団、応援指導部の部員は下級生であっても、自分の通っている高校以外の5校の校歌、応援歌(少なくとも第一応援歌は・・・)は歌えます。どの高校の応援歌の場面でも壇上のすべての高校の部員が歌唱しています。

因みに、私も六つの高校の校歌と第一応援歌は全て歌えます。また、東京六大学加盟校の校歌(塾歌)と応援歌合わせて25曲くらいは歌うことができます。また、東都大学野球連盟首都大学野球連盟関西学生野球連盟加盟校の校歌、応援歌も20校くらいは校歌とメインの応援歌でしたら歌えると思います。これは特技と言ってもいいのではないかと思います。v(^^)v

あ、ついつい自分の話になってしまいました。申し訳ありません。

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午後6時過ぎに「第44回日輪の下に」が終了しました。朝8時20分に開場を待って列に並んでから9時間半。気温が非常に低い中、昼食はコッペパン一つを20秒で飲み込んだだけでしたが、寒さや空腹など気にならないくらい充実した一日でした。寒さではなく感動で身震いしながら加須駅まで足取り軽やかに歩みを進めました。

明日は「日輪の下に」に関連するこぼれ話を紹介したいと思います。本日もお読みいただきありがとうございました。

行ってきました!「第44回日輪の下に」!! その2

2月11日に行われました「第44回日輪の下に」ですが、その2日前の2月9日の朝日新聞朝刊の23面(埼玉版)に「不動岡応援部 発表会に気合」「11日 伝統6高校 44回目 日輪の下に」として記事が掲載されています。

↓ これです

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もしかしますと他紙(特に埼玉新聞)でも何らかの記事が掲載されていたのかもしれませんが、確認できておりません。「日輪の下に」は一般紙にこのような記事が掲載されるくらい県民の注目が集まり、しっかりと定着している催しです。

尚、参考までに、静岡県でも「高等学校応援団フェスティバルin静岡」という催しが毎年6月の土曜日、日曜日に行われています。平成24年から始まりこれまでに7回開催されています。静岡県民の方々の間に少しずつ浸透していると聞いています。

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さて、埼玉県の「日輪の下に」に話題を戻します。2月11日の「日輪の下に」本番を翌日に控えた2月10日は、6校の応援団、応援指導部の方々をはじめとする関係者の方々はリハーサルや最後の打ち合わせをされていたのではないかと察しています。私は「日輪の下に」開催日の前日は毎年理髪店に出向き調髪します。

前日の夜には持参するスリッパや昼食などを確認し、YouTubeで昨年の「日輪の下に」の映像を視聴してその独特の雰囲気を思い起こします。

「日輪の下に」は単なるイベントやアミューズメントではなく、六校応援団連盟の方々にとっては真剣勝負の場。中途半端な気持ちで観に行っては失礼だと考えています。

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各校を代表して見事な演技を披露されている応援団、応援指導部の方々ですが、1年前、2年前にはまだこの高校に入学していない、言わば無関係者。高校入試を控えた中学生で、あずま進学教室や、スクール21や、こうゆうかんなどの塾に通い、北辰テストの結果に一喜一憂していたはずです。

それが今では各校を代表して立派に演技をし、それぞれの高校の歴史と伝統を受け継ぎ守り続けるべく歯を食いしばって頑張っている。その点に気づかせてくれる「日輪の下に」はますます意義深いものに感じます。

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さて、昨日の「第44回日輪の下に」ですが、午前9時開場となり、大体育館に入りましたら、各校が団旗の準備をしている最中でした。

↓ 団旗の準備に余念がない様子

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そして午前9時30分になり開演。

↓ 大団旗掲揚、迫力がありますが写真が暗くてなんだかよく分からないですね(^^)

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↓ 10時から10時55分までは川越高校

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幹部11名、下級生10名と人材が豊か。演技も迫力と勢いだけでなく知性や気品が感じられます。名門校の応援の鑑だと毎年思わされます。今年も安定した素晴らしい演技です。

↓ 11時05分から正午までは春日部高校

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団長1名、下級生4名。意外にも人材不足で苦労している様子。団長1人で孤軍奮闘。本当に大変だったと思いますが、最後までやり遂げた団長の体力や持久力にはビックリです。丁寧な応援テクと愉快な司会進行が印象に残りました。素晴らしかったです。

↓ 12時10分から13時05分までは松山高校

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幹部3名、下級生8名。私は毎回松山高校の気合と迫力満点の演技を楽しみにしています。今年も期待通りの素晴らしい演技。拳を地面に向かって突く仕草や、飛び跳ねて力一杯地面を踏み鳴らす動き、身体を捩じらせながら全力で歌う下級生の姿。すべてに闘志を感じます。本当に素晴らしい。

3校の演技が終わったところで昼休憩です。午後の部や閉会式などについては明日書きたいと思います。

行ってきました!「第44回 日輪の下に」!! その1

第44回六校応援団連盟演技発表会「日輪の下に」を観てきました。この催しは毎年2月上旬に行われていまして、埼玉県内にある旧制中学からの流れをくむ伝統ある高校で、応援活動が活発な6校(県立浦和、春日部、川越、熊谷、不動岡、松山)による演技発表会です。今年で44回目を数え、埼玉県内ではかなりの知名度があります。

東京六大学応援団連盟が毎年6月中旬に開催してる「六旗の下に」にかなり似た発表会なのですが、その完成度の高さや熟達度には目を見張るものがあり、「六旗の下に」にも劣らない見事な演技を披露してくれます。

↓ 事前に公開されていた「日輪の下に」開催告知ポスター

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私はこれまで何度も繰り返し「日輪の下に」に足を運んでおり、毎年のプログラム進行や各校の演技披露の編成などはおおよそ理解した上で会場に出掛けるのですが、それでも各校の演技発表を観ると、あまりの素晴らしさに、魂が揺さぶられるような不思議な感覚に襲われます。

特に各校の演技後半の「野球応援メドレー」でイケイケドンドンジャジャジャーン!!と派手な演奏や演舞を繰り出した直後に、演技の最終曲である校歌に移る際に会場内が静まり返り、場の空気が一瞬で変わるのを肌で感じます。そして荘厳で格調高く100年も歌い継がれている校歌の前奏が始まり、そして斉唱の場面に入りますと、何と言いますか「感激」とか「感動」とか「感銘」といった単純なものではなく、胃腸付近から震えが生じ、目頭が熱くなってきます。何度足を運んでも同じように万感胸に迫りくるものがあります。本当に不思議です。

6校のうちの一つは私の長男が6年前に卒業した高校ではありますが、私個人的には何ら関わりの無い各校の校歌や応援歌、拍手などに何故これほどまでに心を奪われるのか自分でも理解できていません。各校の歴史や伝統が織りなす何らかの力が私の心や魂を突いてきているとしか思えないんです。

今日の「日輪の下に」の閉会から5時間余り経過していますが、あまりにも心を揺さぶられて思考力が低下し、今も半ば魂の抜け殻状態です。これでは今日のブログで「日輪の下に」について記述することは困難ですので、今日は会場の朝の様子をお知らせするのみとし、続きは明日以降とさせていただきたいと思います。

↓ 朝8時20分到着。会場は各校持ち回り、今年は不動岡高校

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↓ 会場40分前にもかかわらずすでに長蛇の列が・・・

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開場を待つ間に「日輪の下にオリジナルグッズ」を買い求めます

↓ 日輪の下にオリジナル手提げバッグ

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↓ 6校の校章をあしらった缶バッジ

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↓ 今回を含めた直近6回の「日輪の下に」を振り返る記念写真集パネル

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午前9時になり、いよいよ開場。パンフレットを受け取ります

↓ パンフレット表紙

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↓ 裏表紙 シンプルながらカッコイイ\(^o^)/

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↓ 表紙をめくり、最初のページだけお見せします

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パンフレットはこの先の頁では各校の応援団員の個人名や出身中学校などが記されていますので、ブログに掲載できるのはここまでとさせてください。

 

明日は各校の素晴らしい演技について記述し、毎回毎回魂や心を揺さぶられる「日輪の下に」の魅力について語ってまいりたいと思います。 

 

「東京35区」を知らない方に概要をお話しします・・・

日曜日は毎週午前10時から2時間、NHKテレビで将棋フォーカスと将棋トーナメントを視聴し、番組が終了する正午から家族全員で昼食を摂ります。今日は昼食を摂りながら東京都の近代史が話題になりましたが、公職に就いている長男も娘も「東京23区」についてはその位置やおおよその人口、それぞれの区が抱える問題などをほぼ知っているようで安心しました。しかしながら、長男も娘も「東京35区」は聞いたことがあるという程度でしたので、「35区」がそれぞれ現在のどの区になっているのかを教えた次第です。

私は若い頃から無線の歴史について調査していましたので、戦前の実験局の局名録の写しなどを頻繁に目にしています。そこにはかつて存在した「東京35区」の当時の区の名称を見つけることができます。ですので、「東京35区」当時の区の名称に親しみを感じますし、旧区名の方がより直観的に、具体的にどのあたりのことかを把握できることもあります。

↓ 戦前の無線実験局名録より

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麻布区」「本郷区」「深川区」といった現在では無い区名があります

↓ こちらもご覧ください

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淀橋区」「蒲田区」「神田区」「麹町区」「芝区」といった旧区名を見つけることができます。

↓ こちらは法人ではなく個人宅ですので所在地の一部を隠しています

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荏原区」「大森区」「浅草区」「小石川区」といった旧区名を見つけることができます。

どれも現在の「東京23区」には存在しない区の名称ですが、地名や駅名としてはしっかりと存在しています。

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東京府は1878年(明治11年)に15区と6郡に分けられまして、その際に「区」となったのは・・・

深川区本所区浅草区日本橋区下谷区神田区京橋区本郷区小石川区麹町区、芝区、牛込区赤坂区、四谷区、麻布区の15区です。これは現在の23区より狭い範囲で、かつて江戸と称していた地域のみでした。現在大きく栄えている池袋や新宿などは「区」ではなく「南豊島郡」でした。

この15区が「東京市」の下に置かれましたが、その後、東京市15区の周辺地域や郊外に多くの人々が住むようになり、1932年(昭和7年)に周辺地域を東京市に合併します。その際に新たに加わった区は・・・

江戸川区葛飾城東区向島区足立区荒川区王子区滝野川区豊島区淀橋区渋谷区、(旧)品川区荏原区大森区蒲田区、(旧)板橋区中野区世田谷区目黒区杉並区の20区です。(赤文字は現存する区)

終戦を経て、1947年(昭和22年)、戦災で亡くなった方や疎開で東京を離れた方が多く、東京の人口は350万人程度まで半減してしまったため、「区」の統廃合が行われました・・・

麹町区+神田区>>>千代田区

日本橋区+京橋区>>>中央区

芝区+麻布区+赤坂区>>>港区

小石川区+本郷区>>>文京区

浅草区+下谷区>>>台東区

本所区+向島区>>>墨田区

深川区+城東区>>>江東区

(旧)品川区+荏原区>>>品川区

四谷区+牛込区+淀橋区>>>新宿区

大森区+蒲田区>>>大田区

王子区+滝野川区>>>北区

(旧)板橋区>>>板橋区練馬区に分離

 

となりました。これが現在の「東京23区」になっています。

胃炎と食道炎再発、休日出勤取り止め自宅療養の一日でした

待ちに待った3連休ですが、公務員の長男は日頃の事務作業が滞っているため休日出勤。同じく公務員の娘も概ね1か月に1度ある土曜日出勤に当たり、平日と同じ時刻に出勤して行きました。

私も休日出勤で溜まった仕事を片付けようと考えたのですが、起床時から胃炎や逆流性食道炎再発の影響で体調が芳しくなく、チラチラと雪も降ってきていることから、思い切って休日出勤を取り止め、自宅療養することにしました。

と言っても・・・もしかしたらポワルンが出現するのではないかと気になり、自宅付近を歩いてみました。

↓ 赤丸で囲んだのが雪ポワルンです。地元の大親友の画像を勝手に拝借してます。

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この大親友の方は、滅多にない関東地方の降雪で雪ポワルンゲットのチャンスとなった今朝、幸運にも捕まることができたのだと思われます。裏山C。

私も自宅付近を歩いてみましたが、雪ポワルンには遭遇できませんでした。それでもフィールドタスク7日目の今日はスイクンのゲットチャンスになりました。

↓ 雪の中のスイクンの姿があまりに美しいので撮影してしまいました

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↓ 雪の結晶が舞う中で躍動するスイクンに見惚れてしまいます。

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降雪が珍しい地域ではこのような美しい写真はなかなか撮れません。

↓ 白銀の背景と黒いハイパーボールの美しいコントラストに目を奪われます

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捕まえたスイクン個体値87%と平凡なものでしたが、この綺麗なショットを撮影できたので満足です。

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自宅に戻り、痛み止めや胃酸を抑える薬を服用して横たわって読書などをして午前中を過ごしました。午後からはアマチュア無線で交換するQSLカードのモチーフにする写真撮影。1月19日にも一度撮影を試みましたが、今日改めて撮影のやり直しです。

↓ この写真をQSLカードに使おうと思います

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1月19日のブログでも紹介しましたが、戦後アマチュア無線が再開された昭和27年7月~翌年にかけて開設されたアマチュア無線の大先輩や、沖縄県アマチュア無線局が認められた昭和36年に免許を受けた大先輩の方々のQSLカードを並べてみたものです。この写真を背景に、自局のコールサインやJARLマーク、そして「7月29日は戦後HAM再開の記念日です」との文言を加えます。

本当は「6月22日は沖縄アマチュア無線の日です」という文言も加えたいのですが、文字数の制限もあり断念しました。

新しいQSLカードが出来上がりましたら、交信とQSLカード交換を積極的に行いたいと考えます。

胃炎、食道炎の療養中ですので、今夜はこれで就寝とさせていただきます。

年始の挨拶に来られた方に質問を浴びせて楽しんでいます・・・

勤め先では原材料や工具など社内や工場で必要とするあらゆる物品の購買に携わっているため、年末にはお取引先の方が新しい年のカレンダーや手帳をお持ちになって年末の挨拶に来られ、新年を迎えますとタオルをお持ちになり年始の挨拶に来られます。

日頃はお取引先の方々に便宜を図っていただいたり、さまざまなご配慮をいただいてばかりですので、むしろ私の方からお取引先企業に出向いてご挨拶や御礼を申し上げなければならないのですが、年末も年始も遠いところからわざわざお越しいただき、恐縮している次第です。

年始の挨拶に来られる方の殆どが、タオルをお持ちになりますが、その際に質問をして楽しんでいます。その会話を再現してみます。

取引先「あけましておめでとうございます」

わたし「おめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします」

取引先「今年も引き続き宜しくお願いいたします。あ、どうぞこれ使ってください」

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わたし「あぁ、これはありがとうございます。工場ではタオルが非常に重宝します」

取引先「喜んでいただけて良かったです」

わたし「ところで、この熨斗紙に描かれている文言、何と読むのか分かりますか?」

取引先「え? この文字ですか? これはなんですかねぇ・・・」

わたし「書いてある文字も判らないのに、平気でタオルを配り歩いている日本人の何て多いことか・・・(笑)ボーッと生きてんじゃ・・・あ、いや、失礼・・・」

取引先「いや~、これが何なのか、考えたこともなかったっすね・・・(笑)」

わたし「そうですよね、これ半分以上の方が読めなかったので安心してください」

取引先「そうっすか。で、これ何と書いてあるんですか?」

わたし「これは、御多織ると書いてあります。読み方はそのまま、おタオルですね」

取引先「御多織る・・・おタオル・・・ですか・・・なるほど、知りませんでした」

わたし「御タオルと書きますと、倒れるという語を連想するので、御多織るまたは御多織留という当て字を考案したようなんです。それぞれの字句も縁起がよさそうですし」

取引先「なるほど、そうなんですね・・・」

わたし「余計なことを申し上げてしまいましたが、今年も宜しくお願いいたします」

 

毎年1月はこのような会話を楽しんでいます。2月に入りましたので、もう年始の挨拶に来られる方もいませんので、こうした会話は次の正月まで待たなければなりません。

明日は早朝から勤務なので体力温存、のんびりアニメ鑑賞

標題の通りです。明日は日頃から親しくしていてしかも絶対の信頼を寄せている板金加工の専門家をお招きして朝7時には仕事にかかりますので、朝6時を目途に出勤となります。

何度かこのブログでも書いております通り、私は金属製品の製造工場で資材の調達や外注加工などをお願いする立場ですが、お取引先の方々や外注委託先の方々にはいつも助けていただいており、本当に感謝しております。

極端に短納期の品を何とか納品して下さったり、ご自身の仕事のスケジュールを強引に調整して私が希望する日時に工場に来てくださる外注請負先の方にはいくら感謝しても感謝しきれないです。

明日も板金やコーキングを美しく仕上げてくださる方に、本来ならば2日間要する作業を1日で仕上げていただくよう無理矢理お願いしまして、明日は早朝からお越しいただくことになりました。こうしたご協力により製品を無事に期日までに完成させることができます。ありがたいです。

社内の人々とはあまり親しくなれないのですが、お取引先や外注請負先の方々とは非常に親しくしていただいており、今の職務を続けてこれました。明日お越しいただく腕利き板金職人の方にも改めて感謝の気持ちを伝えたいと考えます。

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さて、明日は朝が早いので早目の就寝は当然ですが、体力を温存して気持ちを落ち着かせるためにのんびりとアニメ鑑賞してます\(^o^)/

↓ 「3月のライオン」や「りゅうおうのおしごと」もいいですが今夜は「咲-saki-

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「ツモ、嶺上開花タンヤオ対々和三暗刻三槓子。8000オール」宮永咲の落ち着いた声

その直後の・・・

「3連続カンからの嶺上開花。清澄高校宮永選手、なんと親の倍満。2000点の手が24000点に化けた!」と興奮した実況アナウンサー氏の声

第18話のこの場面は何度観てもシビれます。お気に入りの場面の一つです。

もう少しアニメ鑑賞をして就寝します・・・。

今年の首都圏私立中学入試もほぼ終了しました・・・

東京都内では一部の私立中学が2月10日に入学試験と合格発表を行うようですが、大半の私立中学では入試、合格発表、入学手続きのすべてを終えたものと思われます。

受験生や父兄、塾関係者など、中学入試に関わってきた全ての方々に「本当にお疲れさまでした」と声をかけたい気分です。(実際に声をかけられたら迷惑でしょうけど・・・)

来週あたりからは「サンデー毎日」や「週刊朝日」といった週刊誌に、大学合格者の高校別ランキングが掲載され始め、3月10日の東京大学の合格発表の2~3日後の「高校別東大合格者数」掲載号で今年度の受験報道は最高潮を迎えます。

↓ 昨年のサンデー毎日 高校別東大合格者数ランキング

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写真の左端に「データの無断転載はお断りします」とありますので、今年の合格者数は写らないようにし、単に東大合格者数1位から29位までの順位のみを掲載しています。合格者数順位や高校名、卒業生数などもデータの一部とのクレームが来なければいいのですが・・・。

そんな中で私が注目しているのが、7位の渋谷教育学園幕張(千葉)と22位の「渋谷教育学園渋谷」の2校。両校ともに今では押しも押されぬ超一流進学校になりましたが、今から35年前の両校は今と違って進学実績も特色が無く、存在感もそれほど感じない普通の学校でしたが、今や両校ともに押しも押されぬ超一流進学校です。

↓ 昭和59年度の受験年鑑に掲載されている「渋谷教育学園幕張中学・高等学校」

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まだ学校創立したばかりで、卒業生がいないため、大学進学実績はありません。

↓ よく見ると、当時は就職希望者には英会話、珠算、簿記等の指導をしてもらえたようです。今では全く考えられないことです。

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現在の渋幕は卒業生全員が大学進学し、その殆どが東大をはじめとする旧帝大や医学部に進学しているものと思われますが、当時は就職希望者も相当数いたものと思います。35年前の渋幕は進学実績よりもサッカーやテニスの強豪校として注目を浴びていました。これも今では考えられないと思います。

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次に渋谷教育学園渋谷中学・高校」ですが、35年前の受験年鑑を見てみます。

↓ 35年前の渋渋。当時は「渋谷女子高校」という名称の女子高

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現在では毎年コンスタントに20名以上の東大合格者を輩出する同校ですが、35年前の進学実績はどうだったかを受験年鑑で調べてみます。

↓ これです

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東京芸大は光りますが、ほかに国公立大学や難関私大への進学者は殆どいないようです。普通科の他に商業科や情報処理科がありますが、それらの卒業生は全員が就職だそうです。

渋幕は短期間で進学実績を積み上げ、誰もが知っている超一流進学校になりました。渋渋もまた短期間で、超一流進学校に華麗に変貌を遂げています。その学校経営手法を調べてみたいと考えております。どのようにして現在のような状況を造り上げたのか非常に関心があります。

一昨日、ジムバトル通算15000勝を達成しました

今夜は将棋C級1組順位戦、藤井七段×近藤(誠)五段をAbemaTVで観戦しています。

↓ 午後11時時点でまだ熱戦が続いています

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今夜は銀河戦Eブロック、藤井七段×佐藤(慎)五段のテレビ中継もあり、藤井七段が102手で勝っています。

現在(午後11時20分)も続いているC級1組順位戦ですが、藤井七段やや苦しい展開になっています。

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さて話題は変わりまして、久しぶりにポケGO。一昨日のことなんですが、ジムバトル通算15000勝に到達しました。

↓ 日曜日の夕刻、通算15000勝まであと1勝

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↓ セオリーを無視して「みず」に「みず」をぶつけてみます

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↓ 簡単に倒して15000勝を達成しました\(^o^)/

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次は20000勝を目指します!

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先ほど、23時37分にC級1組順位戦藤井七段×近藤(誠)五段は136手で近藤(誠)五段が勝ちました。藤井七段は順位戦18連勝でしたが初黒星を喫しました。

↓ 藤井七段投了の瞬間

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↓ 終局後の対局室。報道陣の人数がスゴイ

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1敗は喫しましたがB級2組への昇級の可能性は残っていますので引き続き応援して参ります。

大したことではないのですが、私の特技を披露します

勤め人になって約32年も経っていますので、「月曜日」は1600回くらい経験しているはずですが、それでも「月曜日」特有の雰囲気のせいか調子がよくありません。

ただ、今週末は3連休という楽しみがありますので、普段の週より高いモチベーションが維持できそうです。が、しかし、私もアイドルグループの「嵐」のように、来年の12月末を以て今の勤め先での活動を休止にしたいなー・・・、などとついつい考えてしまいます。

日々の業務が複雑化し、事務処理量が数年前に比べて2倍くらいになっていますので、私なんかに務まらなくなっているように感じます。

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昨日、一昨日と「博物館動物園駅跡」の記事を書かせていただきましたが、今日は何を書こうか決めていませんでした。ですので、今日は私の特技でも披露させていただこうかと思います。

実は私は、夏季オリンピック冬季オリンピックの開催地をスラスラと暗唱することができます。

子どものころから友達が少なく、部屋に閉じこもって「百科事典」ばかり読んでいた私は、特に関心がある事柄についてはすぐに記憶していました。

百科事典と私の関わりについては、昨年の6月3日、6月4日の記事、「勉強しないダメ人間を救ってくれた 学研カラー百科」をお読みいただきたく存じます。

 

↓ 「学研カラー百科」第10巻に・・・

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↓ オリンピック開催地の一覧表が掲載されています 夏季オリンピック

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↓ 冬季オリンピック

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この百科事典が刊行された時点では夏季大会のミュンヘンモントリオールはまだ開催されてなく、あくまで予定。冬季大会の札幌とデンバーも開催予定でしかありません。1976年のデンバーは地元住民の猛反対があり結局インスブルック(オーストリア)に変更になっています。

夏季、冬季ともにオリンピック開催地は子どもの頃の優れた記憶力のおかげですんなりと憶えてしまいました。この一覧の後に、夏季大会ならモスクワ、ロサンゼルス、ソウル、バルセロナ・・・・と続きますし、冬季大会もこの一覧表の後に、レークプラシッドサラエボカルガリーアルベールビル・・・・と続きます。

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この一覧を憶えて13年を経た昭和58年、大学1年のときですが、履修していた体育の試験で夏季オリンピックの開催地を第1回大会から直近の大会まで全て書きなさい」という問題が出されました。

もう、ウキウキ気分で、第1回大会のアテネから、パリ、セントルイス、ロンドン・・・と順に書き、「戦争で中止」もしっかりと記し、問われてもいない冬季大会の開催地も、シャモニー・モンブラン、サン・モリッツ、レーク・プラシッド・・・・と全て正確に書き連ねました。

当然満点です。担当教授からも絶賛され、「こんな学生は初めてで驚きました」と褒めちぎられました。今も忘れられない良い思い出です。運動そのものは苦手な私ですが、この試験のおかげで体育の成績は「優」でした。

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ついでになりますが、この百科事典にはほかにも歴代横綱一覧やプロ野球やアマチュア野球の年度別優勝チーム一覧なども掲載されていました。

↓ 歴代横綱一覧(昭和45年頃まで、その後現在までに20人が横綱に昇進します)

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これも自然に記憶してしまい、歴代横綱は今でも1人目の明石志賀之助から72人目の稀勢の里寛までスラスラと暗唱できます。

大したことではありませんが、これが私の特技です(^^)