埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

ダメ人間、訃報のニュースには敏感に反応します・・・

昨日はプロ野球界の鉄人と称され、国民栄誉賞を受賞されている衣笠祥雄さんがお亡くなりになられたとの報道に驚きました。私がプロ野球に関心を持ち始めた小学校3年(昭和47年)ころにはすでに広島カープの主力選手であり、私が勤め人になった1年目、昭和62年に引退し国民栄誉賞を授与されています。昭和45年10月19日から昭和62年10月22日までの2215試合連続出場の記録は今後破られることはないのではないかと思います。

私のように休むことや怠けることばかり考えて、「好きな決まり手は不戦勝~」なんて言ってのけるダメ人間とは対極にある立派な方で、理屈抜きで尊敬します。心よりご冥福をお祈りします。合掌

この訃報に関しての関係者の方々のコメントの中で目を引いたのは江夏豊氏、「どっちみちワシもすぐ追いかける。向こうの世界で野球談議をするよ」と語ったそうですが、私にとっては江夏氏も阪神の剛腕大エースで、その後も南海、広島、日本ハム、西武でも活躍した大ヒーローですから、すぐ追いかけて行ってもらっては困ります。

この江夏氏、平成10年に村山実氏が61才の若さで逝去された際に、告別式会場で悲しみに暮れながらもテレビ局のインタビューに応じ、「感無量です・・・」と声を詰まらせて語ったという逸話が残っていますが、本当でしょうか?

さて、私を含めた昭和30年代生まれの世代、現在の年齢ですと53才~63才くらいの方々は、幼少期~青年期にあたる昭和46~47年ごろに立て続けに腰を抜かすほど驚く訃報のニュースに触れていますので、今でも訃報に接すると敏感に反応するのではないかと思っています。あ、いや、私だけかな・・・。

私が小学校1年だった昭和45年11月、作家で皇国主義者の三島由紀夫氏が自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーでクーデターを促す演説をした後に割腹自殺を遂げ、世間を驚かせました。私も子どもながらに驚き、翌日の朝刊を保存したことを憶えています。その新聞は実家に今も残っているかも知れません。ゴールデウィークで帰省したら探してみます。

昭和46年10月、私が小学校2年の時ですが、27才で前途洋々と目されていた現役バリバリの横綱玉の海虫垂炎手術後の肺血栓で急死。この報道は当日の夜7時のNHKテレビのニュースで視たときの驚きとそのテレビ画面を今も鮮明に憶えています。

昭和47年4月には、ノーベル文学賞受賞作家である川端康成氏がガス自殺。このニュースも衝撃的でした。ただ本当に自殺なのか事故死なのかは不明らしいです。

さらに衝撃だったのは、昭和48年3月、2年前のプロ野球ドラフト会議で巨人1位指名を受けて入団したばかりの20才の湯口敏彦投手の謎の不審死。公表された死因は心臓麻痺だそうですが、自殺ではないかと見られています。

また訃報ではないのですが、昭和47年の2月には連合赤軍メンバー5人による人質立てこもり発砲事件で3名が犠牲になったあさま山荘事件。この事件は警官隊と犯人グループの銃撃戦が何日にもわたりテレビで生中継され、大いに衝撃を受けました。

また昭和47年5月にはイスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍(この事件の時点では日本赤軍とは名乗っていませんが実質日本赤軍によるものと捉えてよいようです)による無差別銃乱射事件。乗降客26名が犠牲になる当時としては前代未聞のテロ事件。当時はアラブとイスラエルとが敵対関係にあったのですが、そのどちらにも関係ないと思われていた日本人3名が実行犯であったことで世界中に衝撃が走りました。

同じく昭和47年9月にはミュンヘンオリンピック開催中の選手村で、パレスチナのテロ組織によるイスラエル選手団11名が殺害される事件。

こうした報道が立て続けにあり、私がちょうど幼児から少年に移り変わる年齢で、家族や友だちとの交流だけという枠を越えて、社会へと目を向け始めた頃だっただけにショックは大きく、今も鮮明に憶えている事件が多いです。

こうした背景から、今も訃報の知らせやテロ事件の報道には殊のほか敏感で、亡くなられた方の生涯についてウィキペディアで調べたり、テレビなどで故人を視た場面を懸命に思い出そうとします。またテロ事件についてもその事件の背景などを調べてしまいます。

私よりも年配の方ですと、昭和38年の「アメリカ合衆国ケネディ大統領暗殺事件」や「力道山刺殺事件」のほうが衝撃的だった方もいらっしゃるでしょうし、昭和35年の「浅沼稲次郎刺殺事件」が大ショックだったいう方がいても当然です。もっと年配の方ですと、昭和32年12月の「天城山心中事件」これこそが最も衝撃的でこれ以上驚いたことは無いと仰るかもしれません。人それぞれ生きてきた時代や感性は異なります。