今日の話題は、アマチュア無線をやっている方か、アマチュア無線に関心がある方以外には全く面白くないと思います。
昨日のブログでも少し触れましたが、7月29日は戦後アマチュア無線が再開したことを記念した「アマチュア無線の日」です。
太平洋戦争の勃発とともに、活動を停止したアマチュア無線(戦前は実験局と称し、停止時点で331局ありました)が、昭和27年に解禁され、全国の30人に無線局予備免許が交付されたのが同年7月29日でした。
日本アマチュア無線連盟が昭和48年にこの7月29日を「アマチュア無線の日」に制定し今日に至っております。
ピーク時の平成6年には136万局にまで膨れ上がったアマチュア無線局の最初の30人ですので、まさに戦後アマチュア無線のパイオニアの30人。当時は現在とは比べ物にならないくら難しい国家試験に合格し、自分で送受信機も製作しなければなりません。アマチュア無線局開設にかかる申請書類は放送局並みに難しく、電波管理局の職員が自宅にまで来て検査を受けるといった手続きもあり、気軽に始められるものではなかったようです。
ですから、戦後アマチュア無線のパイオニアである30人の方は、私にとっては仰ぎ見る存在なんです。30人の斯界の大先輩はどの方も人格者で、本当にスゴイ方々なんですが威張ることなく、我々のような後輩アマチュア無線家に丁寧に接してくださいます。
しかしながら、この30人の方々に対する尊敬の念とか憧れの念は強く、たまたま交信する機会があったりしますと、緊張のあまり声が震えたり、モールス符号を送る装置の操作を間違ったりします。
戦後アマチュア無線のパイオニアの方々30人のうち、私が交信したり受信報告を送ったりしてQSLカードをいただいたのは半分の15局です(昨日のブログでは間違って13局と書いてしまいましたが、改めて数えてみたら15局でした)。私のようなこの世界では若年層に属する者にしては、15局のQSLカードは比較的多く持っているほうだと思います。
それでは戦後アマチュア無線のパイオニアの方々のQSLカードをご覧ください。
↓ JA1AA(庄野OM) JA1AB(市川OM)
JA1AA、庄野OMは戦前に実験局J2IBを開設されていました。
↓ JA1AG(黒川OM) JA1AH(小宮OM) JA1AI(稲葉OM)
↓ JA2AA(中川OM) JA2AB(仲川OM) JA2AC(村松OM)
JA2AB、仲川OMは戦前に実験局J2XFを開設されていました。
JA2AC、村松OMのQSLは2枚ありました。真空管コレクションが圧巻。
↓ JA3AA(島OM) JA3AD(深田OM) JA5AA(久米OM)
JA3AA、島OMのQSLカードはたくさんありましたがそのうちの2枚。
JA3AD、深田OMは戦前に実験局J2DJを開設されていました。
↓ JA6AB(熊野OM) JA8AA(浜OM)
↓ JA9AA(円間OM) JA0AA(阿部OM)
昭和27年当時9エリアと0エリアは無く、JA9AAは開設当初はJA2WAでした。またJA0AAは開設当初はJA1WAでした。
尊敬するアマチュア無線の大先輩の方々のQSLカード。写真撮影するために手に取りますと今でも緊張します。
SWL(受信)は毎日一定の時間やっていますが、そろそろ真面目にアマチュア無線復活をすべく、無線局変更申請やアンテナ整備を急ぎます。\(^o^)/