埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

高校野球、桐蔭学園高校(神奈川)の復活を喜んでいます

一昨日行われました、第71回秋季関東地区高校野球大会決勝・桐蔭学園(神奈川)×春日部共栄(埼玉)は、9-6で桐蔭学園が勝ち、24年ぶり3度目の優勝を飾りました。

↓ 結果を報じる新聞記事

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試合の序盤で点の取り合いで大荒れの試合運びになるかと思いましたが、3回以降は落ち着いた試合運びになり、6回オモテ2死1・3塁の場面で森選手が放った3点本塁打が決勝点になりました。

この秋の桐蔭学園は神奈川2位とはいえ、神奈川大会決勝では横浜高校に11-2と大敗を喫しています。しかも決勝に至るまで強豪チームとの対戦が無く、トーナメントのクジ運に恵まれての決勝進出と考える人々も多かったようです。

しかしながら関東大会では茨城1位の強豪・常総学院、栃木大会で王者作新学院に土をつけて勢いに乗る佐野日大、常に安定した強さが光る習志野を降し、決勝では埼玉1位の春日部共栄に勝ち優勝を決めます。

↓ 関東大会を制した桐蔭学園、強豪チーム相手に4連勝は見事です

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私が大学進学で上京した昭和50年代末期から平成初期にかけて、桐蔭学園から六大学野球部に進学する選手が多くいまして、特に慶應義塾大学には、仲沢伸一選手、遠藤靖選手、大久保秀昭選手、高木大成選手、高橋由伸選手といった強打者が、投手では志村亮選手、小桧山雅仁選手が大活躍していました。

野球だけでなく、知的でクールでカッコイイ選手が多いのも、桐蔭学園慶應義塾大学と進んだ選手の特徴。自分よりも10年くらい若い選手に対してでも憧れの念を抱き、無意識のうちに神奈川県の高校野球は、法政二高、慶應義塾高と並んで桐蔭学園も応援するようになっていました。

桐蔭学園野球部のユニフォームは襟付きで、左肩には華やかなエンブレム。そして何より、胸にはŌINと、Oの文字の上にあえてマクロン(長音記号)を付して他校との差別化を図る粋な計らい。新潟から上京したばかりの私の目には洗練された都会のセンスあふれるユニフォームの見たことのないカッコ良さが眩しく映りました。

しかし、21世紀に入るころから桐蔭学園野球部は低迷し始め、夏の甲子園は1999年、春のセンバツは2003年を最後に出場できなくなります。神奈川県の高校野球では学園に代って桐学園が大躍進し、文字通り光と影(蔭)のような関係になってしまいます。

加えて、1983年に開設された大阪産業大学高校大東校舎が独立改称して大阪桐蔭高校になるとたちまち甲子園の常連どころか甲子園の主役になってしまい、「桐蔭」と言えば、若い野球ファンにとっては神奈川の桐蔭学園や和歌山の桐蔭高校ではなく大阪桐蔭を連想させるまでになってしまいました。ますます神奈川の桐蔭学園には辛い時期が続きます。

また、かつて桐蔭学園から慶應義塾大学野球部に数多くの名選手が進学しましたが、慶應側の方針変更なのか、徐々に智辯和歌山高校からの入部者が多くなり、その後は慶應義塾高校からの入部者が主流となり、桐蔭学園は徐々に影が薄くなってきたように感じ、残念に思っていました。

それだけに、この度の秋季関東大会の優勝は古くからの野球ファンには嬉しい出来事なのではないかと思います。来年春の選抜高校野球に16年ぶりに出場できることは確実ですし、来月10日(土曜)には明治神宮野球大会で九州地区代表の筑陽学園高校と対戦します。

久しぶりにスポットライトを浴びる桐蔭学園。あの洗練されたユニフォームを身にまとい躍動する選手の姿を想像するだけでも心躍ります。昭和50年代末期から平成初期にかけて頻繁に神宮球場に通っていた若かった当時のことを思い出させてくれる桐蔭学園ナインに声援を送りたいと思います。