南硫黄島シンポジウムに参加して以来、南硫黄島や小笠原諸島の話題一色になりつつあります。さすがに南硫黄島をはじめとする硫黄三島や南鳥島、沖ノ鳥島などに行くことはできませんが、生涯に一度でも父島や母島には訪れてみたいという思いが募る一方です。
私は小笠原諸島どころか、伊豆七島にも行ったことがありません。行ったことがあるのは昨年11月に訪れた東京湾に浮かぶ人工島である第二海堡だけです。いきなり小笠原の父島や母島を目指す前に、近場の島々で船旅に慣れることが必要かとも思います。
小笠原諸島と私の関わりですが、趣味のアマチュア無線で小笠原諸島の方々と交信していることぐらいしかありません。
アマチュア無線を楽しんでいる方ですと、ご理解いただけるかと思いますが、この世界では「世界の〇〇〇か国と交信する」といった言い方はせず、「世界の〇〇〇エンティティーと交信する」となります。「エンティティー」とは国や地域を指しまして、日本の本土も小笠原も南鳥島も「日本国」ですが、地理的に離れている「小笠原」と「南鳥島」は別の扱いになります。「日本の本土」と「小笠原諸島」と「南鳥島」の3つと交信しますと、いずれも「日本国」なのですが3エンティティーと交信したことになります。時々変動しますが、現在世界を340エンティティー(国や地域)に分けてそのすべてと交信することを目指している人々が数多くいます。
また、アマチュア無線の世界では「南鳥島」はアジアではなくオセアニアに属します。海外交信の入門者ですと、世界6大陸との交信を目指しますが、南鳥島と交信しますとオセアニアとの交信に数えられます。
それだけにアマチュア無線を趣味にしている方々にとって「小笠原」は特別な存在で、行ってみたい、或いは小笠原で無線を楽しみたいと考える方が非常に多いです。私もその一人です。
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私が小笠原村に属するアマチュア無線局と最初に交信したのは昭和52年11月14日、南鳥島の気象庁HAMクラブ(JD1YAA)です
↓ そのQSLカードがこちら
通常ですと、無線を始めて最初に小笠原地域と交信する際は、比較的局数が多い父島のアマチュア無線局との交信となることが多いのですが、私の場合は幸運なことに非常に珍しい「南鳥島」との交信が最初になりました。
↓ その交信の際の業務日誌(下から3行目、13時11分にJD1YAA)
この時の私は中学校2年生です。昭和52年11月14日は月曜日なんですが、平日の昼間になぜ学校にも行かずにアマチュア無線で遊んでいるのかは不明です。
普通の人が上陸できない「南鳥島」との交信ができた翌年(昭和53年)、小笠原諸島返還10周年記念のアマチュア無線運用の局との交信で、初めて父島との交信を果たします。
↓ そのQSLカードです
小笠原及びその周辺との交信ではやはり通常の人々が上陸できない「硫黄島」や「南鳥島」との交信がかなりレアになります。しかも「硫黄島」や「南鳥島」の美しい写真のQSLカードを受け取りますともの凄く嬉しくなります。
↓ 硫黄島から JH1MAO/JD1 のQSLカード
平成19年6月以降は「いおうとう」となりましたが、このQSLカードは平成5年のものですので「いおうじま IWO JIMA」と表記されています。硫黄島の全景の美しく珍しい写真で、お気に入りのQSLカードです。
↓ 南鳥島から JR8XXQ/JD1 のQSLカード
このQSLカードも南鳥島の美しい全景写真です。このカードもお気に入りの一枚です。
民間人が上陸できないこれらの島々に置かれた無線設備を通じて私の声やモールス信号だけでもこの島に上陸できたと思うと鳥肌が立つほどの嬉しさを感じます。
さすがに北硫黄島や南硫黄島からアマチュア無線の運用がされたという情報は聞いたことがありません。ただし沖ノ鳥島からのアマチュア無線の運用は過去に2度だけあります。
1回目は昭和51年5月30日から6月2日まで、日本アマチュア無線連盟創立50周年事業として「7J1RL」というコールサインで沖ノ鳥島から運用されました。
2回目は昭和54年6月11日から6月15日まで、藤原仁さんとおっしゃる方が「JF1IST/JD1」というコールサインで沖ノ鳥島から運用されています。この2回とも私は交信する機会に恵まれませんでした。「7J1RL」のときは私はまだアマチュア無線局を開設する前(国家試験もまだ受けていない段階)でした。
小笠原諸島やその周辺の島々とはこのような関わりがあり、並々ならぬ関心があります。体力があり五体満足なうちに父島、母島の訪問を実現させたいと思います。