埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

戦後のプロ野球・長嶋(巨)と山本浩二(広)だけが達成できた大記録

プロ野球オールスターゲーム第1戦をテレビ観戦していました。金曜日の夜なので仕事のことや会社のことなどを考える必要もなく、リラックスして心ゆくまで試合を楽しめます。

第1戦の結果は6-3で全パリーグが勝ちましたが、このスコアを見た瞬間、45年前の昭和49年、西宮球場で行われたオールスターゲーム第2戦も全く同じ6-3でパリーグが勝ったなぁ・・・・、と思い出しました。

何故45年前のオールスターゲームの結果を記憶しているのかといいますと、この年のオールスターゲーム長嶋茂雄選手が現役最後のオールスターゲームで、その第2戦は長嶋選手が4回オモテに、二塁に田淵(阪神)、一塁に王を置いて、神部(近鉄)の初球を叩いてレフトへ先制3ラン本塁打を放ちましたので、記憶に残っています。この試合、全セリーグが3-0でリードしましたが、その後6点を奪われ、6-3で逆転負けを喫してしまいました。昭和49年といいますと、私は小学校5年生。見たものや聞いたものはなんでも憶えている時期です。昭和40年代末期から昭和50年代前半までのことは憶えようとしなくても自然に憶えていることが多いです。

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長嶋選手が引退した際に刊行された雑誌に、昭和49年のオールスターゲームの写真が掲載されていますのでご覧ください。懐かしいですよ・・・(^^)

↓ この2誌は小学校5年当時の私が購入したものです

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↓ 上 試合前の様子 下 慶大出身山下大輔選手と長嶋選手。どちらも神宮の星

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↓ 上 試合前のノックの様子 下 全セリーグ記念撮影

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↓ 第2戦、長嶋選手の先制3ラン直後の西宮球場のスコアボード

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西宮球場のスコアボードなんですが、5番長嶋選手、6番山本浩二選手が偶然並んでいますが、戦後のプロ野球ではこの2人だけが達成した大記録があります。

それは、入団した年から引退する年まで全ての年に規定打席に到達するという記録です。

↓ 長嶋選手のプロでの年度別成績の一部。打率の順位がすべての年に記されています

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順位が載っているのは、規定打席に達していることを示します。

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入団した年からレギュラーの座を掴み、怪我やスランプでの長期離脱や二軍落ちを経験せず、晩年も極端に成績を落とさず、スタメン落ちすることをファンが許さないくらいの人気があることがこの記録達成の条件かと思います。

この大記録は、王選手でも、イチロー選手でも、張本選手でも、松井選手でも達成できませんでした。1年目から即レギュラーとなる必要がありますので、高卒ルーキーではほぼ無理かと思います。晩年も極端な不振にならずレギュラーの座を保ちながらの引退をすることが条件になります。ただ、長嶋選手の最晩年を直に観ましたが、プレーヤーとしては確かに衰えていましたが、人気は衰えず、世間は長嶋選手を6番以下の下位打線に置くことを許さなかったため、1番打者としてスタメンに名を連ねることが多かったと記憶しています。

戦後、長嶋選手の他には広島の山本浩二選手だけが1年目(昭和44年)から引退の年(昭和61年)まで18年間規定打席を上回っています。

尚、戦前から戦後にかけては、大東京~金星~中日の坪内道典選手が昭和11年から昭和26年まで(昭和20年はプロ野球中断)15年間全ての年に規定打席を上回っています。坪内選手は日本プロ野球史上初の1000試合出場と1000本安打を記録した名選手。1992年に殿堂入りしています。

この記録、本当に凄い記録だと思いますので、もっと脚光を浴びてもいいのではないかといつも思っています。