埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

10月6日に亡くなった金田正一さんの隠れた大記録

プロ野球通算400勝をあげ、「カネやん」の愛称で親しまれた、金田正一さんが10月6日に亡くなられたとの知らせを聞き、非常に残念に思っております。

金田投手の現役生活は、昭和25年から昭和44年までの20年間。昭和38年生まれの私は残念ながら金田投手のピッチングを見たことはありません。現在60才を超えている方でしたら、もしかしたら現役時代の金田投手のピッチングをテレビ画面を通じて見たことがあるかもしれません。

金田投手のピッチングを見ることはできませんでしたが、数字で見る実績で金田投手のスゴさは理解できます。

誰でも知っている通算400勝、さらには通算298敗、通算5526回2/3の投球回数、通算4490奪三振など、スゴイ記録の数々には驚かされます。

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こうした桁外れな大記録は、多くの方が知っていることでもあり、ここで改めて記す必要は無いと思いますので、意外と知られていない隠れた記録を2つ書きたいと思います。

実は金田さんは投手だけでなく、打者としても非常に優れており、投手として登板しながら36本塁打、代打で2本塁打、合わせて通算38本塁打を放っています。これは投手の放った本塁打としては史上1位なのですが、それ以上に特筆すべきは、プロ初本塁打を放ったのが17才2か月だったこと。この記録は高校を中退してプロ入りした金田さんだからこそできた記録ですが、現在までプロ野球の(野手も含めて)最年少本塁打記録として69年間も破られていません。気づきにくいのですがスゴイ記録です。

そしてもう一つ、金田投手は昭和32年8月21日の中日戦で完全試合を達成していますが、これが日本プロ野球史上唯一の「左投手による完全試合です。日本プロ野球では、昭和25年6月の藤本英雄投手(巨人)から平成6年5月の槇原寛己投手(巨人)まで15人の投手が完全試合を達成していますが、15人のうち14人が右投手。ただ一人だけ左投手で完全試合を達成したのが金田投手です。これも意外と気づきにくい記録です。

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前述の通り、現役時代の金田投手を知らない私ですが、昭和49年にロッテオリオンズを日本一に導いた金田監督の姿ははっきりと記憶しています。日本一になった翌年(昭和50年)春に出版されたプロ野球名鑑でも、金田さんの寸評は「人気監督」とあります。

↓ 昭和50年春のプロ野球名鑑での金田さん。当時42才

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黒塗りにしているのは住所や家族構成が記してある箇所です。この当時の選手名鑑ではすべての監督、コーチ、選手の住所や家族構成が詳細に記してあります。住所でしたら「〇〇市〇〇町〇丁目〇〇ノ〇 〇〇マンション〇〇号」とまで書いてありますし、家族構成も「〇〇夫人1男1女」などと書かれています。個人情報の保護意識の高い現在では考えられないことですね。

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豪快な性格でありながら、身体のコンディション維持に細やかな神経を配り、就寝時には利き腕の肘を守るためにサポーターを巻いていた、神経を消耗するため自動車の運転はしなかった、ヒゲを剃る際も指先のケガのリスクがある剃刀を使わず電気シェーバーを使う、煙草は吸わない、など徹底していたとのこと。我々のようなアスリートではない一般人であっても、しっかりとした仕事をするための、こうした体調管理やケガのリスクを回避するための工夫や努力は大いに見習いたいと思います。合掌