昨日(1月12日・日曜日)は娘が成人式で、早朝から起床して着物の着付けやら髪結いやら成人式会場までの送迎などでバタバタしましたので、今日は完全休養日。
午前中は読書、そしてソフト相手に将棋を指してダラダラ過ごし、午後は緑茶とせんべいを傍らに置いてテレビで大相撲観戦。こういう休日の過ごし方は最高ですね(^^)
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大相撲をテレビ観戦していますと、昭和40年代~昭和50年代の大相撲を思い出してついつい比較してしまうのですが、最近ふと「大関昇進基準」が数十年前に比べて厳しくなっているような気がしましたので、ちょっと調べてみました。
1場所15日制が定着した昭和24年5月場所以降の「昭和時代」に大関に昇進した力士(43人44例=魁傑が2度)と、「平成時代」に大関に昇進した力士(26人)の大関昇進直前3場所の勝敗数を全て合計し、勝率を算出してみました。(大関から陥落した直後の場所に関脇で10勝以上して大関に戻ったケースは当然対象外です)
その結果・・・
「昭和時代」 1432勝 546敗 2分 勝率0.72396
「平成時代」 887勝 283敗 勝率0.75812
となりました。ということは大関昇進直前3場所の平均勝星は・・・
「昭和時代」 32.578勝
「平成時代」 34.115勝
となり、「平成時代」に大関に昇進するのは「昭和時代」に比べて直前3場所で約1.5勝、1場所あたりですと0.5勝多く上乗せしなければなりません。昭和時代の平均値である32.578勝は、平成以降の昇進基準の目安の33勝にも達していません。
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今も昔も、大関に昇進するための明確な基準はありませんが、私が子どもの頃(昭和40年代後半)でも、「三役3場所で30勝で直前場所は10勝以上」がなんとなくではありますが大関に昇進できる目安だったように思います。
昭和末期のころから、「直前3場所は三役で33勝以上が昇進の目安」と多くのメディアが報じているためか、平成以降に大関に昇進した26人のうち23人が33勝以上をあげ、残る3人も32勝の好成績でした。31勝以下での昇進は皆無です。
大関への昇進は、大関がその時点で何人いるのか、過去に優勝経験があるなどの実績があるのか、将来性はあるのか、土俵内外の品位や人気度はどうか、などさまざまな要素を勘案して決められることですが、「三役で3場所33勝」が定着してしまった現在では、直前3場所で30勝に満たない大関昇進は「余程のこと」が無い限りあり得ないだろうと思います。
「余程のこと」とは例えば、大関が立て続けに引退や降格で誰もいなくなることなどのことです。
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3場所30勝どころか、かつては「直前3場所で28勝」で大関昇進した例があったことなど信じてもらえないかもしれません。過去に4例あります。
昭和25年夏 東関脇 〇〇●〇〇〇〇〇●●〇●●〇● 9勝6敗
昭和25年秋 東関脇 〇〇〇〇●●〇●〇〇●●●〇● 8勝7敗
昭和26年初 西関脇 〇〇●〇〇〇〇●〇●〇〇〇●〇 11勝4敗 大関昇進
◎ 初代若ノ花(後に横綱昇進 優勝10回)
昭和30年春 西関脇 〇〇〇✖〇〇〇〇●〇●〇●〇● 10勝4敗1分
昭和30年夏 西関脇 ●〇●〇●〇〇●●●〇●〇〇〇 8勝7敗
昭和30年秋 西関脇 〇〇〇〇〇●〇〇〇〇✖●●〇● 10勝4敗1分 大関昇進
◎ 北葉山(優勝1回)
昭和36年初 東関脇 〇〇〇〇●●●〇〇●●●〇●〇 8勝7敗
昭和36年春 東関脇 〇●〇〇〇●〇●●〇●〇●〇〇 9勝6敗
昭和36年夏 東関脇 ●●〇●〇〇〇〇〇〇●〇〇〇〇 11勝4敗 大関昇進
◎ 北の冨士(後に横綱昇進 優勝10回)
昭和41年春 東関脇 ●●〇●〇●〇●〇〇〇〇〇●● 8勝7敗
昭和41年夏 東関脇 ●〇〇●●〇〇〇〇〇〇〇〇●● 10勝5敗
昭和41年名古屋 東関脇 〇〇〇●●〇〇●〇●〇〇●〇〇 10勝5敗 大関昇進
平成以降の基準では到底大関に昇進できる成績ではありません。直前3場所28勝で大関昇進を果たした4人のうち3人は後に横綱に昇進し数多くの優勝を記録しています。北葉山は横綱昇進こそなりませんでしたが、幕内勝率約6割の高勝率と優勝1回の実績がある名大関でした。直前3場所28勝で大関に昇進させても問題なく活躍できることをこの4人の実績が示しています。
この30年くらいは、まるで定点試験のように「直前3場所で33勝」という数字だけが独り歩きしているようにも感じるのですが、もっと多面的な視野を持ちながら大関昇進(あるいは横綱昇進)を語れる大相撲ファンが増えればいいなぁ・・・、と思っています。