埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

官製はがき(郵政はがき)、どこまで記憶に残ってますか?

ある程度年配の人々が数人集まると、「官製はがきが何円の頃まで記憶があるか」などということが話題になったりしますが、このブログの読者の方の中には、結構古い記憶の持ち主もいらっしゃるようなので、現在使われている63円のはがきからどんどん時代を遡って、どこまで記憶が残っているか確かめていただこうと思います。

かなり古い時代まで遡りますので、投稿を3回に分けます。

今日(6月15日)は昭和56年4月1日まで遡ります。

明後日(6月17日)は、さらに約30年遡ります。

その次(6月19日)は、大正時代にまで遡ります。

 

わが国で初めて官製はがきが発売されたのは明治6年ですが、私の手許にはそこまで古いはがきはありませんし、大正時代のはがきの記憶がある方は現在100才を超えていらっしゃると思います。100才超のご長寿の方でこのブログをお読みくださる方はいらっしゃらないと思われますので、それ以前、つまり明治時代のはがきについては掲載しないことにします。ご容赦ください(^^)

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なお、今日のタイトルは「官製はがき(郵政はがき)」と記してありますが、永い間郵便局で発売されるはがきを「官製はがき」と称していましたが、平成15年(2003年)4月1日から、郵便事業日本郵政公社の所管になったことから「官製はがき」ではなくなり、「郵政はがき」と改称しました。

「官製はがき」という言葉の響きが結構気に入っていたんですけどね・・・。

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紹介する官製はがき(郵政はがき)はその時代を代表するものに限っています。例えば、現在でも、通常の63円はがきのほかにも、インクジェットはがきや胡蝶蘭をデザインした喪中欠礼用はがき、4面連刷はがきや目の不自由な方にも認識しやすい「くぼみ入り」はがきも同時に発売されています。ですが、ここで紹介するのは代表的な1種類とします。

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それでは現在使われている63円はがきから始めます。

↓ 63円 ヤマユリ 令和元年8月20日より発売

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令和元年10月1日の消費税率10%導入に伴う郵便料金改定に対応したものです。

 

↓ 62円 ヤマユリ 平成29年5月15日より発売

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平成29年6月1日の郵便料金改定に対応したものです

 

↓ 52円 ヤマユリ 平成26年3月3日より発売

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平成26年4月1日の消費税率8%導入に伴う郵便料金改定に対応したものです。

 

↓ 50円 スズメ 平成19年10月1日より発売

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はがきの料金が長期間50円のためデザインが替わりました。

 

↓ 50円 トキ 平成12年8月1日より発売

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はがきの料金が長期間50円のためデザインが替わりました。

 

↓ 50円 色絵鴛鴦香合(郵便番号7桁) 平成10年1月5日より発売

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色絵鴛鴦香合・・・いろえおしどりこうごう、と読みます。平成10年2月2日の郵便番号7桁化に対応したものです。(郵便番号枠のみの変更)

 

↓ 50円 色絵鴛鴦香合(郵便番号5桁) 平成6年1月13日より発売

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平成6年1月24日の郵便料金改定に対応するものです。

 

↓ 41円 鳥獣花背円鏡 平成元年3月24日より発売

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鳥獣花背円鏡・・・ちょうじゅうかはいえんきょう、と読みます。

平成元年4月1日の消費税率3%導入に伴う郵便料金改定に対応したものです。

 

↓ 40円 鳳凰 昭和56年4月1日より発売

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昭和56年4月1日の郵便料金改定に対応したものです。

 

いかがでしょうか、若い方ですと50円はがきでさえも記憶に残っていないかも知れませんが、失意に陥る必要はありません。若いみなさんは遠い将来に発行されるであろう、100円、150円、といったはがきを目にすることができます。私などは、はがきの料金やデザインの変更を経験するのはあと何回もありません。ですので、若いみなさんをとても羨ましく思います。

 

今日はここまで約40年遡りましたが、もっと古いはがきの記憶が残っている方も多いと思います。私もまだまだ古い時代に遡ることができます。

 

明後日(6月17日)はここから約30年遡ります。明後日もご覧くださるようお願いいたします。

六大学野球史上初の「東大優勝」と「6割打者誕生」を期待

私の4年間の大学生活(昭和58年~昭和61年)の殆どは、明治神宮野球場での大学野球観戦に明け暮れていました。特に自身の通う大学が属する東京六大学野球は在学4年間ほぼすべての試合を観戦していたのではないかと思います。

大学野球の春季リーグ戦が行われている4~5月と、秋季リーグ戦が行われている9~10月の1週間の生活パターンなんですが・・・

 

月曜日  東京六大学野球3回戦(神宮)または東都2部リーグ(神宮第2)

火曜日  東都1部リーグ(神宮)

水曜日  東都1部リーグ(神宮)

木曜日  午後はゼミ(金融論)出席

金曜日  首都大学リーグや新大学リーグなどの試合を探して遠征

土曜日  東京六大学野球(神宮)

日曜日  東京六大学野球(神宮)

 

とまぁ、大学野球観戦ばかりの生活。夕方から夜にかけてはコンピュータにデータを入力するアルバイトをしていましたので、一体いつ勉強するんだろう? と疑問にお感じになる方も多いと思いますが、専攻していた金融論のテキストなどは野球観戦をしながら読んでいたんです。野球の試合って、合間合間に時間が空きます(試合と試合の合間、攻守の交代、グラウンド整備、投手の交代など)ので、スキマ時間を利用して要点を記憶します。野球場で勉強していたんです(^^)

 

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さて、今年(令和2年)春季の大学野球リーグ戦は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で行われてなく、関東と関西の主要な大学野球リーグでは以下のように対応したいと発表しています。

 

東京六大学野球連盟  8月に1回戦総当たりのリーグ戦を行う予定

東都大学野球連盟   通常のリーグ戦・入替戦ともに中止

首都大学野球連盟   通常のリーグ戦・入替戦ともに中止

関西学生野球連盟   8月9日から1回戦総当たりのリーグ戦開催を目指す

関西六大学野球連盟  7月上旬のリーグ戦開幕を目指す

 

東京六大学、関西学生、関西六大学といった6校固定で入替戦が無いリーグは夏に1回戦総当たり戦を行いたいとし、東都大学(1~4部制・21校が加盟)と首都大学(1~2部制・16校が加盟)のように、加盟校が多く入替戦を伴うリーグは中止の判断をしています。6校固定のリーグが夏に1回戦総当たりのリーグ戦を行う可能性を残しているのに対し、東都大学と首都大学は加盟校数が多く入替戦等の調整も難しいため早々に中止とせざるを得ない状況となり、明暗を分けてしまいました。東都、首都の2連盟の関係者の方々には、あまりに気の毒に感じ、かける言葉も見当たりません。

 

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さて、1回戦総当たり戦に規模を縮小してリーグ戦開催を目指す東京六大学野球ですが、1チームの試合数は5試合です。

5試合ですと、開幕戦から波に乗ったチームが勢いでポンポンと5連勝して一気に優勝する可能性があります。

そこで私は、六大学野球史上初の「東大優勝」を期待します。

実際に、前回の1回戦総当たり5試合制となった、戦後六大学野球再開となった昭和21年春の東大は2位。東大はエース山崎諭投手の活躍で開幕から明大、早大、立大、法大を下して4連勝。5戦目は同じく4連勝の慶大と優勝を賭けて争いましたが、惜しくも1-0で敗れて優勝を逃しています。

この度の1回戦総当たり5試合という変則的なリーグ戦ですが、東大には昭和21年春のリーグ以来のチャンスとお考えいただき、74年の時を経て、今度こそ優勝をもぎ取っていただきたいと考えます。応援しています。

 

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次に、史上初の「6割打者」出現を期待します。

1回戦総当たり5試合制ですので・・・・・

5試合×3.1=15.5→小数点以下四捨五入で、規定打席は16になると考えます。

この極端に少ない規定打席数の中で、私は東京六大学野球史上初の「6割打者」の誕生を期待してしまいます。

仮に、打席数16、四死球+犠打=3で 13打数8安打ですと打率は .615です。

打率6割到達ラインは・・・

15打数9安打では、打率は .600

16打数10安打では、打率 .625

18打数11安打では、打率 .611

20打数12安打では、打率 .600

5試合で、25打席入り、仮に四死球+犠打=0であっても

25打数15安打ならば、打率 .600 。十分狙える数字に思えます。

あるいは、あまりに極端な例でばかばかしいと思われるかもしれませんが・・・

打席数16、四死球+犠打=15

1打数1安打で、打率 10割 \(^o^)/

という異常な記録でさえも実現するのではないかと思ってしまいます。

 

さすがに打率10割は大げさにしても、過去に4例あった1回戦総当たり5試合制では、首位打者の打率が高い傾向があります。やはり打席数、打数が増えればどうしても打率は下がってしまいます。

・昭和15年秋 首位打者 根津辰治選手(慶) 15打数 6安打 打率.400

・昭和16年秋 首位打者 田川 豊選手(法) 20打数10安打 打率.500

 (田川選手は六大学野球史上初の打率5割)

 

・昭和17年秋 首位打者 永利勇吉選手(立) 16打数 8安打 打率.500

以上の3例は、戦時下の野球統制令による制限で1回戦総当たりとなりました。

 

・昭和21年春 首位打者 川崎信一選手(立) 23打数 9安打 打率.391

この季は神宮球場を含めた神宮外苑が占領軍に接収されていたため、前半は上井草球場、後半は後楽園球場で開催。前述の慶大と東大の優勝を賭けての4戦全勝対決は神宮球場ではなく後楽園球場で行われた試合です。

 

令和2年春のシーズンも規定打席数が少ない(16打席)だけに、高い打率での首位打者の誕生を期待します。個人的には史上初の6割打者を見てみたいです。ちなみに95年に及ぶ六大学野球の史上最高打率は、平成13年秋の喜多隆志選手(慶大・智辯和歌山)が記録した、43打数23安打、打率 .535。喜多選手は慶大卒業後千葉ロッテマリーンズ入団。新人では初となる2試合連続サヨナラ安打を放つなど活躍しました。

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関連して、5試合制であれば投手の規定投球回数は10イニングになるかと思います。

通常であれば20年に1度程度しか現れない、シーズン防御率0.00の投手が複数出現するとか、防御率0.00にもかかわらず、味方エラーで敗戦投手になり、0勝1敗、自責点0 防御率0.00という珍記録が出現するかもしれませんね。

 

コロナ禍の影響で春のリーグ戦は通常開催ができませんでしたが、東大優勝の可能性の拡大や快記録や珍記録の出現を期待するシーズンだと前向きに考えたいと思っています(^^)

6月11日は普通自動車運転免許の取得記念日です(^^)

標題の通りです。

昭和56年6月11日に、18才1か月で普通自動車運転免許を取得しまして、39年経過しました。

↓ これです。 なお、二種免許取得記念日は2月8日です

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高校2年から3年にかけての春休み(3月下旬から4月上旬)に公認自動車教習所に通い始めたのですが、通い始めたときはまだ17才10か月でした。教習所内での運転実技教習や学科教習を春休みのうちにどんどん消化し、5月の誕生日が来て18才になったらすぐに仮免許申請。仮免許を受けたら路上教習を所定の時間数(10時間)乗って卒業検定

その翌日には高校を1日休んで運転免許センターへ出かけて〇✖100問の試験を受験して無事合格。

同世代ではほぼ最速で普通自動車運転免許を手にしたことになります。

ただ当時は、合格しても運転免許証を受け取るまで2~3週間ほどかかっていました。当日交付ではありません。そのため、免許の日は6月にずれ込んでいます。運転免許証は、指定された日に地元の警察署に自転車に乗って出頭して受け取った記憶があります。

私と同じ昭和38年5月生まれの人は全国に約14万人いますが、普通自動車運転免許の取得についてはその当時はトップランナーの一人であったわけです。

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ここで、疑問に感じている方が多いと思います。高校生に自動車運転免許を取得させる親は何を考えているんだ・・・、学校の校則はどうなっているんだ・・・と。

 

まぁ、40年近く前の話ですので、高校の生活指導も校則も厳しくはありませんでした。通っていた高校は日清戦争のころ(1890年代)に創立し、旧制中学からの流れをくむ学校。校則は非常に緩かったです。春のうちに自動車運転免許取得を済ませ、夏休みは大学受験勉強に専念する計画を立てている者もいました。4月生まれとか5月生まれはこの点有利ですね。

ほぼすべての生徒が大学進学を希望する高校に通っていたものの、私の親は大学受験に失敗したら郵便局に勤めて郵便配達員になってくれたらいいんじゃないかと考えていたようです。それには自動車運転免許は不可欠。したがって自動車運転免許の取得に対する抵抗感は薄かったようです。

私も、子どものころから珠算1級や電話級アマチュア無線技士国家試験、英語検定3級などの合格実績があり、普通自動車運転免許も、数ある免許や資格のうちの一つにすぎないことを強調したところ、すんなりと自動車運転免許取得に賛成してくれました。

あれから39年経ちました・・・。

 

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昭和56年当時、自動車運転免許を受けている国民はどれくらいいたのかを調べてみました。

Googleで「運転免許統計」と検索しますと・・・。

↓ このページにたどり着きます

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赤い矢印の「運転免許統計(令和元年版)」をクリックしますと・・・

↓ 38ページにも及ぶ詳細な統計資料が現れます

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↓ 目次がこちら、さまざまな統計資料を閲覧できて楽しいです

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PDFファイルですので、印刷して持ち歩くこともできます。

↓ 「運転免許統計」の中から免許保有者数の年別推移を見てみます

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昭和56年当時の運転免許保有者総数は約4500万人。そのうち約7割が男性です。

 

↓ 令和元年の総数は約8216万人。男女比は1:1にかなり近づいています

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女性の運転免許取得総数が昭和56年の2.7倍に増えました。確かに40年前は自動車運転免許を持たない女性は多かった印象があります。

また、特筆すべきは、令和元年に統計調査開始後初めて免許保有者数が減少に転じたこと。総人口の統計調査でも、出生者数より死亡者数が多い高齢化社会になっていますから、特に驚くことではありませんが、若い方の免許取得意欲の減退と高齢者の免許返納の動きが活発化したことによりこのような結果になったものと考えられます。ただ、減少しているのは男性のみで、女性の総数が減少したことはまだありません。

私もあと13年で70才ですので、そのあたりが返納を考える時期になるのかと思います。

昭和8年~昭和12年まで発行された5銭ニッケル貨・・・

前回の古銭紹介(5月21日・10銭ニッケル貨)から20日くらい経ちましたので、今日は、昭和8年から昭和12年までの5年間発行された「5銭ニッケル貨」を紹介したいと思います。

前回紹介した10銭ニッケル貨とは、発行された期間、材質ともに共通しており、兄弟のような間柄です。

 

↓ オモテが旭光と金鵄、ウラは8つの勾玉が連なったデザイン。ニッケル100%

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↓ 「5銭ニッケル貨}は昭和8年から12年まで5年間発行されました

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↓ 直径19mm。普段目にする1円アルミ貨(直径20mm)よりわずかに小さいです

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↓ 所有枚数は400枚とやや少なめ。10枚×8列×5段=400枚を並べてみます

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影します

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↓ それでは規則正しく並んでいた400枚をグシャッと崩します

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↓ 近づいて撮影します。ニッケル特有の緑色サビが付着している硬貨もあります

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↓ さらに近づいて撮影します

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前回の「10銭ニッケル貨」の紹介の際にも書きましたが・・・

この「5銭ニッケル貨」なんですが、実は兵器などの製造に必要な特殊鋼や薬莢の材料となる白銅の原料であるニッケルを国内に備蓄するために流通させていたんです。

つまり普段は硬貨として流通させておき、有事の際にはそのニッケル硬貨を一気に回収して兵器などの製造に使い、他の素材の硬貨や紙幣を代替で流通させるという計画です。

今回紹介した「5銭ニッケル貨」ですが、希少性はなく、古銭の専門店では1枚200円程度で入手できます。

FM放送では「使用不可」の周波数があります・・・

誰でも手軽に音楽放送などを楽しめる「FM放送」には76MHz~90MHzが割り当てられており、全国のFM放送局とその中継局、コミュニティFM局とその中継局、さらには中波放送のFM補完局の一部など無数の電波が飛び交っています。(中波放送のFM補完局を含めると94.9MHzまでの割り当て)

この周波数の範囲内でも、76.0MHzで放送しますと75.9MHzにまで周波数がはみ出てしまいますし、90.0MHzで放送しますと、これも90.1MHzまではみ出てしまい、76~90MHzの中に納まりませんので、この2つの周波数は初めから除外して考えますと、76.1MHzから89.9MHzまで139の周波数を使うことができます。

↓ FM放送は76.1MHzから・・・

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↓ 89.9MHzまで、1つの周波数を複数の放送局が利用しています

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76~90MHzの電波はごくまれに発生するスポラディックE層などの異常伝搬でも発生しない限り、見通し範囲を超えて電波が届くことはありませんし、FM(周波数変調)という特性により、複数の放送が混ざり合って聴こえることも殆どありません。強力な電波だけが聴こえ、弱い電波は聴こえない弱肉強食のような状態になります。

それでも、1つの周波数を複数の放送局が使っている76~90MHz帯は過密状態であるとは思います。そんな過密状態の周波数帯の中にあって、使われていない周波数が139のうち5つあります。それは・・・

 

80.8MHZ

80.9MHz

81.0MHz

81.1MHz

81.2MHz

 

です。この5つの周波数は使われていません。いや「使用不可」となっています。

昨日買ってきました、三才ブックス社刊「ラジオ番組表2020(春)」に最新のFM放送周波数リスト(2020年5月現在)が掲載されていましたが、やはり80.8MHzから81.2MHzを使用している放送局はありません。

↓ こちらで確認できます。80.7MHzの次は81.3MHzになっています

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80.7MHzには名古屋の@FMやFM福岡といった民放FMの黎明期(民放FM局が全国に4局しかなかった頃)からある老舗名門FM局があり、81.3MHzには東京都内だけでなく関東一円に非常に多くのリスナー、ファンを持つJ-WAVEがあります。この表からも1つの周波数を多くの放送局が使っていることが判ります。

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こうした中で、80.8MHzから81.2MHzを使用できないのには理由があります。

実は、81MHzの3倍の周波数、243MHzは軍用航空無線機の国際緊急周波数になっています。

仮に81MHzで電波を輻射した場合、その2倍の162MHzとか3倍の243MHzとか4倍の324MHzといった周波数に混じって聴こえたりして悪影響を及ぼすことがあります。これを高調波(こうちょうは)と言います。

81MHzの3倍である243MHzを使用する軍用航空機の遭難通信に万が一にも妨害を与えてはいけないため、81.0MHzとその前後、合わせて5つの周波数(80.8~81.2MHz)の使用は許可されません。

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以上については、平成10年4月21日付の電気通信技術審議会による「FM放送の置局に関する技術的条件」の審議結果の答申書の別表3にも記してあります。

↓ 総務省のサイトから誰でも閲覧できます

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↓ 別表3 

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この、干渉検討の方法の1番目、航空機緊急遭難周波数243MHzに対する混信排除に関する制限として、「80.8MHzから81.2MHzの周波数は選定不可」とあります。

 

そのため、FM放送局は80.8~81.2MHzは使うことができません。

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周波数変調とか、スポラディックE層とか、高調波とか、電気通信技術審議会とか、難しいことは考えなくていいです。単純に、80.8MHz~81.2MHzで放送しているFM放送は無い、とだけ知って下されば嬉しいです。

あ、すでに知っていた方も多いかもしれませんんね・・・(^^)

今週も5日間無事に勤務を終え疲労困憊。これから仮眠・・・

標題の通りです。月曜から金曜まで5日間、5月の月次決算業務をこなして疲労困憊です。かなり眠いのでこれから仮眠をとります。

今日は「奇数の日」です。仮眠のつもりが、日付を跨いでしまってはいけませんので、投稿してから仮眠にします。

このような日のために短篇ブログも用意してあります。

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手許に、昭和51年12月5日の新潟日報朝刊があります。

↓ これです。当時の私は中学1年生で、海外放送受信に熱中していました

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当時の私は新潟県に住んでいました。この日の朝刊を保存していたのは、紙面の右上の「第12345号」だからなんです。数か月前に、12345と数字がきれいに並ぶ日が近いことに気づき、この日を待っていました。

たまたまこの日は第34回衆議院総選挙でした。見出しの「ロ事件」とはロッキード事件のことです。

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テレビ番組欄を見てみましょう。

↓ これです

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当時の新潟県には民放テレビは2局。BSN(新潟放送)とNST(新潟総合テレビ)だけしかありませんでした。

朝は7時から放送開始。今より随分遅いです。

8時台は「長岡市だより」「こんにちは新潟」「市民のかけはし」「県民のひろば」といったローカル番組が目立ちます。

9時30分の野球教室・・・御幸毛織が提供する「ミユキ野球教室」。番組オープニング曲は今でも鮮明に憶えています。「ミユキー ミユキー ミーユキ ミユキ 服地はミユキ   ミユキー ミユキー ミーユキ ミユキ 服地はミユキ   紳士だったら知っているー 服地はミユキと知っているー  ミユキー ミユキテックス! ミユキー ファンシーテックス! ミユキー ミユキー 服地はミユキー」

 

あー、懐かしい(^^)

Youtubeでも「ミユキ野球教室」で検索しますとこのオープニング曲が視聴できます。

 

11時からは兼高かおる世界の旅。この番組も熱心に視聴していました。八十日間世界の旅という映画のテーマ曲で始まるこの番組もYoutubeでオープニング部分は視聴できます。

 

この写真にはありませんが、午後7時30分からのすばらしい世界旅行も印象に残る優れた番組でした。

 

「ミユキ野球教室」「兼高かおる世界の旅」「すばらしい世界旅行」の日曜日にワクワクしながら視聴してきた優れた番組はどれも平成2年(1990年)に番組終了になりました。

こうした番組を視聴しながら育った私も還暦まであと3年。ふと立ち止まってあの頃を懐かしく思い出してしまうことが増えたように感じます・・・。Youtubeでこれら3番組のテーマ曲を視聴するとなんだか優しい気持ちになれます(^^)

 

それでは仮眠です。次は日曜日にお目にかかります。

今日から「雑誌週間」って本当でしょうか???

職場では「日めくりカレンダー」を捲る係ですので、毎日日付を更新しています。57才にもなって、こんなことまでやってます。

で、今日(6月3日)のこよみの右端に「雑誌週間」とあります。

↓ 右端に「雑誌週間」、見えますでしょうか?

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「雑誌週間」って聞いたことが無いなぁ・・・と思い、Googleで「雑誌週間」を調べてみました。

↓ これです

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「雑誌週間」は見当たらず、「雑誌週に換えられた結果が表示されています。

仕方なく、「6月3日」をWikipediaで調べてみましたが・・・・

↓ 「雑誌週間」に関係ありそうな記述は見当たりません

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では、これまたいつもお世話になっている「今日は何の日」というサイトで探してみましょう・・・

↓ こちらです

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6月3日を含んだ、「○○週間」とか「○○旬間」とか「○○月間」などが数多く示されますが、「雑誌週間」は見当たりません。

それでは、一般社団法人日本雑誌協会さんのサイトに「雑誌週間」についての記述を探してみます。

↓ こちらが一般社団法人日本雑誌協会さんのサイト

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「雑誌週間」などどこにも見当たりませんでした。

確か、雑誌の日は3月4日で、漫画週刊誌の日が3月17日週刊誌の日は4月2日雑誌愛読月間は7月21日から8月20日の1か月間。

読書の日が10月27日で、読書週間が10月27日から11月9日までの2週間です。

ただ、「雑誌週間」は聞いたことが無い上に、どこを探しても見つけることができませんでした。

今日(6月3日)から「雑誌週間」って本当でしょうか? 真偽をご存知の方は是非お聞かせください。

 

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昭和40年代中ごろから、本や雑誌を読んで育った私は、今でも紙媒体の書籍や雑誌を買います。スマートフォンタブレット端末で読む「電子版」はなじめません。雑誌購入量は同世代の人々に比べますとかなり多いほうです。無線、将棋、相撲、野球、経済、教育、歴史、科学、エンタメ、マンガ、一般週刊誌などを購読しています。書店に立ち寄れば必ず購入します。

↓ 今日買ってきたのは、本日発売の「将棋世界」7月号(右の茶色の小冊子は付録)

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雑誌は2年くらい溜まりますと、欲しい方に差し上げたり、廃棄したりして部屋のスペース確保に努めるのですが、「将棋世界」は一回り小さいサイズのため、うっかり手放すことを忘れ、6年半分(今日購入分を含めて79冊)が手許に溜まっていました。

↓ 前回処分してから6年半・・・、ちょっと油断したら溜まってました。

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↓ 面白いから6年半分並べてみました

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この「将棋世界」は他の雑誌に比べて読むのに何倍も時間がかかります。詰将棋などを丁寧に解いたり、棋譜を並べたりしていますとすぐに翌月号の発売日がやってきますので、結構追いまくられてしまいます(^^)

1か月で読み終えることができないため、譲渡したり廃棄したりするタイミングを逸してしまったのだろうと思います。

あ、「雑誌週間」から話題が逸れまくってしまいました・・・(^^)

今日は電波の日、「総合通信局」の方々にはお世話になってます

今日、6月1日は電波の日です。

電波の日」は、昭和25年(1950年)6月1日に電波3法(電波法、放送法電波監理委員会設置法)が施行されたことを記念して、昭和26年(1951年)に電波監理委員会「電波記念日」として制定したものです。

私は昭和52年からアマチュア無線を趣味としていまして、今日まで約43年にわたり細々とではありますが電波を利用して遊んでいます。したがって一般の方よりは電波というものをより身近に感じております。

無線従事者国家試験の受験や無線従事者免許証の交付、アマチュア無線局の開設、変更、5年ごとの再免許など、さまざまな場面で「信越総合通信局」や「関東総合通信局」の方にはお世話になっております。(国家試験事務は後に公益財団法人日本無線協会に業務委託されました)

総合通信局」に初めてお世話になったのは、昭和52年春の電話級アマチュア無線技士国家試験を受験する際に受験願書を送付した時です。当時は「総合通信局」ではなく「電波監理局」と称していました。

↓ 昭和52年4月の電話級アマチュア無線技士国家試験の受験票と結果通知書

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受験票、合格通知、ともに差出人は信越電波監理局長」です。

その後、国家試験の受験を趣味としていた時期があり、「電波法」「政令電波法施行令」に規定する無線従事者免許は8種類取得しました(^^)

↓ この8種類ですが、難易度の高い免許はありません

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ただ、第二級アマチュア無線技士だけは文系の私にはやや難しく感じました。合格したときは嬉しかったです。

 

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前述の通り、無線従事者免許証の交付やアマチュア無線局の変更や5年ごとの再免許の際には、総合通信局のお世話になっていますが、最初にお世話になった当時の「電波監理局」という呼称が最もなじみがあり、今でも電波監理局の略称の「電監(でんかん)」を使い続けています。一定以上の年齢のアマチュア無線家でそういう方は多いのではないかと思います。

 

現在の総合通信局になる前は「電気通信監理局」で、その前が「電波理局」、さらにその前に遡りますと「電波理局」、そして逓信局」となります。時系列で示しますと・・・

 

大正時代末期?~昭和24年5月       逓信局(逓信省所管)

昭和24年6月~昭和25年5月       電波理局(電気通信省所管)

昭和25年6月~昭和27年7月       電波理局(総理府所管)

昭和27年8月~昭和60年3月       電波監理局(郵政省所管)

昭和60年4月~平成13年1月       電気通信監理局(郵政省所管)

平成13年1月~現在            総合通信局(総務省所管)

 

このように電波行政の窓口となっている役所は時代とともに移管や改称で変わっています。

↓ 私の手許の無線局免許状も・・・

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古いものから信越電波監理局長」、「信越電気通信監理局長」、「信越総合通信局長」と変化しています。

昭和25年6月から約35年間使われてきた「電波監理局」という名称がやはり一番親しみを感じます。

 

電波の日」とはいえ、一般の方には全く面白くない駄文を書き連ねてしまいました・・・。反省します・・・(><)

外出を控えても、意外と減ってなかった「交通事故死者数」

今年は新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言だとか外出自粛、営業自粛で多くの国民がこの2か月くらいは「STAY HOME」に徹してきました。

実際、感染拡大を防止するために、学校は休校措置を取り、仕事はリモートワークが急速に普及。ゴールデンウィークでさえも観光地は閑散とし、高速道路の渋滞も皆無だったと聞きます。

であれば、その副産物として、今年の交通事故による死者数は昨年に比べて大幅に減っているのではないかと考え、公益財団法人交通事故総合分析センターのホームページで調べてみました。

 

↓ 公益財団法人交通事故総合分析センターのホームページより

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今年の交通事故死者数は、元日から5月28日までで、1135人です。

昨年は5月28日までで、1193人でしたので、昨年比で58人減っています。

冒頭申し上げました通り、今年は約2か月にわたってほとんどの国民が外出を控えていましたので、昨年比で2割~3割くらい減っているのではないかと期待していましたが、思ったほど減っていませんでした。やや意外に感じました。

昨年(2019年、平成31年元日~令和元年12月31日までの365日間)の交通事故死者数は、3215人。この数は、昨年5月28日までの交通事故死者数1193人の2.695倍ですので、今年の5月28日までの数、1135に同じく2.695を掛けた数字、3059人前後が今年(令和2年)の1年間の交通事故死亡者数として予想できるかと思います。

ちなみに過去6年間の交通事故死者数を記してみますと・・・

平成26年(2014年)  4113人

平成27年(2015年)  4117人

平成28年(2016年)  3904人

平成29年(2017年)  3694人

平成30年(2018年)  3532人

平成31/令和元年(2019年)  3215人

令和2年(2020年)   3059人 ←私の勝手な予想

 

着実に減ってはいますが、2か月余りにわたって全国の人々が外出を控えた今年は初めて3000人以下になるかと思いましたので、やや不満な数字です。

とはいえ、交通事故死者数を減らすために外出自粛をしたわけではありませんし、6月から12月までの7か月間、伝染病感染拡大防止に努めながら交通事故発生防止にも努めれば3000人以下に抑制することも可能かと思います。

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なお、私が小学校に入学した昭和45年(1970年)は「第一次交通戦争」と呼ばれている年で、1年間の交通事故死者数は16765人。それに比べれば現在の交通事故死者数は大幅に減っています。(※第二次交通戦争は、一度は減少傾向にあった交通事故死亡者数が昭和55年ごろから増え始め、再び1万人を超えてしまった昭和63年を指します)

50年前の交通事情を考えますと、急速な自動車の普及に道路の整備が追い付いてなく、今思い出しても、砂利敷き舗装道路が散見され、信号機が設置してある交差点はかなり少なく、照明塔やガードレール、交通標識が設置してあるところも現在とは比べ物にならないくらい少なかったと感じます。当時は通学時の児童や生徒の交通死亡事故があまりにも多発したため、スクールゾーンが昭和47年から導入されました。

交通法規を遵守するという人々の意識も今ほど定着しておらず、自動車運転免許などは現在よりも合格基準がかなり甘く、自動車等の安全性能も現在に比べればかなり見劣りします。私が普通1種免許を取得した昭和56年(1981年)でさえ、シートベルトの着用は義務付けられてなく、排気量50cc以下のいわゆる原動機付自転車にヘルメット着用の義務はありませんでしたし、エアバッグなどはベンツ(上位クラス)など一部の超高級外車にのみ装備されている程度で、庶民には関係ないと思われたものでした。

あ、ついつい古い話を持ち出してしまいました・・・。

職場をジワジワと蝕んでいる「陽キャ」という人種・・・

今週も月曜から金曜まで5日間、無事に勤め上げました。勤め人になって34年目になりましたが、今でも金曜日の夜は嬉しくて心が躍ります。緊張感から解放されるためか、金曜日の夕刻から夜にかけては帰宅してすぐに眠気が襲ってくることもあります。

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土曜日と日曜日は仕事が休みで嬉しい・・・、というよりは、土曜日と日曜日は職場で騒がしくしている陽キャと呼ばれる人たちと会わなくて済むから嬉しい・・・、というのが正しいかと思います。

陽キャ」とは「陽気で明るい性格(キャラクター)の人」を示す略語で「ようきゃ」と読みます。主に若い方々が用いています。逆に「陰気な性格の人」を陰キャ」(いんきゃ)と称します、私は明らかに「陰キャ」に属します。

「陽気で明るい性格の人」は一般的には良く思われる傾向が強いとは思いますが、「明るさ」をはき違えた「陽キャ」が勤め先の職場に増え始めており、特にこの数年は「陽キャ」に職場が支配されているかのような雰囲気になっています。

以前は誠実で真面目で責任感が強い職員が多く働いていまして、私も親しくさせていただいていましたが、徐々に「陽キャ」が勢力を伸ばし、誠実で真面目な職員は「陽キャ」の暴走に嫌気がさして1人、また1人と職場を去っていきます。私の話し相手は殆ど残っていません。

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陽キャ」は若者言葉ですが、職場の「陽キャ」は若い方ではなく、中高年の男女数名。苦手というか嫌いな人種です。

この「陽キャ」たち、就業時間中で、お客さまやお取引先の方が来られていようがそれを無視して大声で雑談を続けます。しかも、何が面白いのかが解らない話題で大盛り上がりしています。

 

例えばこんなやりとりです・・・

 

陽キャ女 「今日は〇〇さん休みだって!」

陽キャ男A「え、コロナじゃね」

陽キャ男B「ワハハハハハハハハハハハハ!」

陽キャ女 「ギャハハハハハハハハハハハ!!」

陽キャ男A「ウワハハハハハハハハハハハ!!!」

陽キャ女 「〇〇さんってカラダ弱いんですかネ?」

陽キャ男B「弱いんじゃね、アハハハハハハハハハハ!」

陽キャ男A「ワーハハハハ! ワーハハハハ!!」

陽キャ女 「ギャハハハハハハハハッハ!!」

陽キャ男B「〇〇くんはお前の部下だろ!身体鍛えろって言えよ!」

陽キャ男A「関係ないよ!アハハハハハハ!!」

陽キャ女 「ワハハハハハハハハハハハハハ!!」

陽キャ男B「ギャハハハハハハハハハハハハ!!!」

陽キャ女 「あ、△△さんって、危険物乙4類試験また落ちたんですって!」

陽キャ男A「へぇー、バッカじゃね。ワハハハハハハハハハハハ!」

陽キャ女 「ですよね~、ギャハハハハハハハハハハ!!!」

陽キャ男B「ワハハハハハハハハハハハハハ!!」

陽キャ女 「いつになったら受かるんでしょうね~、アハハハハ!」

陽キャ男A「ゲハハハハハハハハ!!!」

 そこにたまたま乙4類危険物不合格の△△さんが通りかかります

陽キャ男B「おい、△△、お前また乙4類落ちたんだって?」

△△さん 「あ、はい・・・」

陽キャ男A「何回落ちるんだよ! ギャハハハハハハハハハハ!!」

陽キャ男B「ワハハハハハ、ワハハハハハ、ワハハハハハ!!!」

陽キャ女 「ギャハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

△△さん 「・・・・」

陽キャ女 「アハハハハハハハハハ、ウケルー、アハハハハ!」

 

とまぁ、こんなノリですかね。「陽キャ」たちはとにかく声量がもの凄く、意識して大声を出していなくてもとにかく声が大きいんです。腹の底から声を出しているからか、胃や肺や気管、気管支が躍動する音までもが聞こえてきそうです。

 

職場での就業時間中の雑談は一切認めないなどとは申すつもりはありませんが、長時間、大声、人々を傷つける言動、の三拍子そろった陽キャたちの雑談にはホトホト嫌気がさします。

電話の最中に通話の相手から「賑やかな事務所ですね・・・」と言われたことが何度もありますし、集中力が削がれて間違いが発生しそうになるため、席を離れてトイレなどで呼吸を整え直すこともあり、思わぬ時間のロスにもつながっています。

事務所から20歩ほど歩けば工場です。油断すれば大怪我や死亡事故だって起こりかねません。ある程度の緊張感の維持は必要です。

陽キャ」の中には幹部職員や管理職も含まれているため、どんなに迷惑を被っていても誰も指摘や注意ができません。

中でも陽キャの中の陽キャ」ともいえる「超陽キャの女」が特に最悪。入社して数年が経っても何一つ仕事はできず、毎日お茶を飲みながら大音響雑談の輪の中心にいるだけ。特に任せられている仕事も無く、責任も重圧もないことから、職場に来るのが楽しくて楽しくて仕方がないご様子。朝はズングリしたデカいBMWに乗って颯爽と出勤し、夕方は正社員より1時間早く帰るパートタイム社員。この女が入社した数年前から事務所のムードがガラリと変わったと感じます。

陽キャ」の人たちに共通するのは、精神年齢が幼い状態を保ったまま40才とか50才になったかのように感じること。とにかく言動が幼く、無邪気、天真爛漫。思いついたことは考えることなく無条件反射のようにすぐに口を衝いて出る、といった様子です。

陽キャ」の中にはしっかりと仕事をこなす人もいますが、仕事は周りの職員に押し付けて逃げ回るズルい人が多いように感じます。自分では責任を伴う仕事をしていないので、仕事で悩んだり苦しんだりすることは無いんでしょう。

「職場」というところは、真面目に仕事に取り組んでいる人にとっては本当にツラいところで、腹の底から大笑いできる場所ではないと思います。たまたま自身の仕事が比較的順調なときでも、難しい課題に直面したり、お客さまとの間でトラブルが発生して困り果てている職員は周囲には必ずいるはず。腹の底から大笑いなどしてはならない場だと考えています。

「職場」や「仕事」があまりにツラくて退職したり、精神を病んだり、自殺をしてしまう人が全国には数多くいます。それくらい「職場」とは働く人にとって厳しいところなんですが、そんな「職場」で連日楽しく轟音を響かせて大笑いしている「陽キャ」たち。責任も重圧もない状態の限られた一部の人たちなんだろうと思うんです。職場の「陽キャ」、大迷惑ですし、大嫌いです。

この「陽キャ」たち、恐らくは子どものころからこんなノリで、小学校、中学校、高等学校で同じクラスや部活動の人々を無意識のうちに笑いものにしたり、多くの人たちを踏み台にしたり傷つけたりしてきたのではないかとさえ考えてしまいます。

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これ以上「陽キャ」が増え、真面目に仕事をこなす「陰キャ」職員を支配し利用し搾取するようになり、しかも「陰キャ」職員の善意によって業務が支えられているにもかかわらず、その「陰キャ」職員を嘲り笑う風習が定着するようになると、この職場の秩序は簡単に崩壊すると思います。いや、一度崩壊してしまえばいいんだと思うことすらあります。