埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

6月は「睡眠時間見直し月間」にします(^^)

いつもこのブログに目を通して下さる方はすでにご存知かと思いますが、私は「睡眠時無呼吸症候群」を患っています。

睡眠時は鼻から空気を送り込む装置を使用していますが、その装置には毎晩の睡眠時間や10秒以上無呼吸になった回数、鼻マスクからの空気漏れの状況なども記録されています。

昨年9月に専門病院に1泊して検査した際には、1時間当たりの無呼吸低呼吸回数が50回にも及びましたが、鼻から空気を送り込む装置を使用して睡眠をとっている現在の1時間当たりの無呼吸低呼吸回数は1回程度です。

睡眠時に記録されたデータに基づいて、1か月に1度、専門医の先生からアドバイスをいただいていますが、睡眠時間が少ない点を指摘されています。私の1日あたりの睡眠時間はおよそ5時間ですが、少なくとも6時間は確保することをお勧めしますとのことでした。

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そこで、睡眠時間はどれくらいとるのが良いのか調べてみました。

大塚製薬さんのサイト「睡眠リズムラボ」に最もわかりやすい説明がありましたので紹介します。

110万人超の男女の約6年間の追跡データで睡眠時間と死亡リスクの関連性を調査した米国の研究では、睡眠時間は7時間が最適との結論が出ていました。

 

↓ このデータです

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このデータは米国の調査ですので、日本人に適合するのか判りませんし、どの年齢層の人々のデータなのかも不詳ですので、「睡眠時間7時間」が絶対間違いなく正しいと断定はできかねますが、米国人も日本人も同じ人間。どの年齢層の人も同じ人間ですから、私個人的にはこの研究データに信頼を寄せています。

睡眠3時間の人より10時間超の人の方が死亡リスクが高いのは意外でした、睡眠3時間の人は精力的でパワフルな人が多く、10時間超の人はもともと虚弱体質だからこういった結果になったのかな・・・と勝手に想像してます。(いくらパワフルでも睡眠3時間はダメですね)

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そこで、今月は睡眠時間7時間の日を4割確保することを目指します。

つまり、睡眠時間「6時間30分以上7時間30分未満」の日を、今月30日間のうち4割、つまり12日は確保したいと考えます。

これまでほぼ毎日5時間程度の睡眠時間しかとっていませんでしたので、1時間30分~2時間くらい早く就寝することになります。場合によってはブログ記事の手抜きで就寝時刻を早めるといった禁じ手を使う日もあるかもしれませんが、ご理解いただければ嬉しいです。

「睡眠時間見直し月間」の結果は7月初旬のこのブログでお知らせします。

5月も毎日交信、元日から151日連続QRV

一昨日に引き続きアマチュア無線の話題になりました。アマチュア無線に興味のない方には退屈な記事かと思いますが、ご容赦ください(^^)

標題の通り、1月、2月、3月、4月に引き続き5月も毎日1局以上の交信ができました。これで今年は元旦から5月31日(月曜日)まで151日連続交信となり、今も記録更新中です。

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5月の31日間のQSLカード交換等を伴う交信は155局でした。

今年の元旦から連続151日オンエアしているものの、交信局数はそれほど多くはありません。たくさんの局と交信することよりも、少しずつでも長く続けることを目指していますので、毎月100局を超える程度でいいかと思っています。

 

◎5月の交信の周波数内訳

  3.5MHz    10局

   7MHz  55局

  10MHz  12局

  14MHz   5局

  18MHz  12局

  21MHz   2局

  24MHz  13局

  28MHz   4局

  50MHz   6局

 144MHz  14局 

 430MHz  22局(うち1局はWIRES-X)

     計  155局

※WIRES-Xは、PDN接続ではなく、隣町の公開ノード局に430MHzでアクセスしていますので、便宜的に430MHzに含めています。

 

◎電波形式の内訳

 CW     135局    

 SSB      4局

 FM      15局

 C4FM     1局(WIRES-X)

     計  155局

相変わらずCWが多数を占めており、5月は9割近くがCWでした。集合住宅に住んでいて貧弱なアンテナしか使えない状況で、しかも面倒くさがってFT8をまだ導入していない私はCWに依存するしかありません。

 

◎今月も一覧にしてみました

          CW  SSB  FM  WIRES    計

  3.5MHz  10                   10

    7MHz  54    1              55

   10MHz  12                   12

   14MHz   5                    5

   18MHz  12                   12

   21MHz   2                    2

   24MHz  13                   13

   28MHz   4                    4

   50MHz   4    2               6

  144MHz  12    1   1          14    

  430MHz   7       14    1     22

   計    135     4  15    1    155

 

5月の中旬以降は、連日18MHz、21MHz、24MHz、28MHzのコンディションが好調で、連続日数の記録更新のために苦し紛れにWIRES-Xに依存する場面はありませんでした。

 

6月も30日間連続オンエアと、月間100局超の交信を目指します。

新しいQSLカード印刷前の確認原稿が届きました

アマチュア無線で交信していただいた方に発行するQSLカードの新作1000枚の制作を、QSL印刷に定評のあるオノウエ印刷(長野県諏訪市)さんに申し込みをしていましたが、一昨日待望の印刷前の確認原稿が届きました。

絶妙のバランスで写真と文字とをうまく調和させていただき満足しております。オノウエ印刷さんにはこれまで何度もQSLカードの印刷をお願いしていますが、いつもいい仕事をしてくださりありがたく感じております。

 

↓ 新しいQSLカードのレイアウト。(カードの周囲の赤色の縁取りはありません)

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CQ ham radio誌の昭和38年(1963年)5月号と昭和52年(1977年)9月号を並べて撮影した写真を中央に据え、左上に日本アマチュア無線連盟の会員の証であるJARLマーク、右上にコールサインを明示しました。

左下にはこの写真の説明文「昭和38年5月生、昭和52年9月開局し今日に至ります。」を加えました。

実はこの説明文を「BORN MAY 1963 / HAM SINCE SEP 1977」にしようかと迷いましたが、海外のアマチュア局は徐々に紙に印刷したカードを交換する機会が減っており、このQSLカードはほぼ全てを国内のアマチュア局に対して発行することになりそうなので英文は止めました。

自身の出生年月と、アマチュア局の開局年月を2冊のCQ ham radio誌に代弁してもらっていますが、左側に月号(1963年)、右側に月号(1977年)が並んでいますので、偶然ですが「59(ファイブナイン)=了解度、信号強度ともに最高の状態」となっています。

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このQSLカード1000枚は6月8日(火曜日)に到着する予定で、以後、交信していただいた方にお送りします。受け取った方から「おや? 面白いQSLだな」と思っていただければ嬉しいです(^^)

過去記事アーカイブス ~令和元年10月6日~

1か月に2~3回を目途に過去に投稿した記事を再度掲載しています

今日の記事は925回目の投稿ですが、過去に投稿した記事の中には、まだ読者数が少なかったり、読者の方が時を経て入れ替わったりしていまして、現在親しくしてくださっている方々の目に触れていない埋もれた記事がたくさんあります。そうした記事に改めて注目していただきたいと考えた次第です。

長期間にわたってこのブログをお読みいただいている方ですと、見覚えがある記事に出くわすことになるかもしれませんが、そこはご容赦下されば幸いです。

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本日は、令和元年(2019年)10月6日に投稿しました「今年も残り3か月、今秋もさまざまな珍しい場所を訪れます」という記事を再掲します。通算575回目の投稿です。

 

 

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今年も残り3か月、今秋もさまざまな珍しい

場所を訪れます

 

 

10月に入り、今年も残り3か月となりました。昨年は、10月~12月までの3か月間にいくつもの珍しい場所を訪れていますが、今年もこの3か月でいくつもの珍しいスポット巡りをしたいと考えています。

昨年の10月~12月に訪れた場所を振り返ってみたいと思います。

・10月23日(火曜=有給休暇) 埼玉、群馬、栃木の3県境

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・11月11日(日曜) 東京湾に浮かぶ人工島要塞「第二海堡

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・11月17日(土曜) まんがタイムきらら

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・11月23日(金曜=祝日) 首都圏外郭放水路(埼玉県春日部市)

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・12月1日(土曜) 中央防波堤内側埋立地

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・12月9日(日曜) NHK菖蒲久喜ラジオ放送所

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10月~12月の3か月間、といいましても、実際には10月23日から12月9日までの48日間の間に6カ所もの場所を訪れていましたので、8日に1か所の頻度で出かけていたことになります。この48日間は本当に充実していました。

10月~12月の3か月間は祝日が多く、勤め先の会社でも比較的仕事が落ち着きますので有給休暇が取得しやすい時期ですので、今年もこの時期に少なくとも4カ所は珍しいスポットを訪れてこのブログに投稿したいと考えております。

 

 

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以上が令和元年(2019年)10月6日の投稿記事でした。

 

平成30年(2018年)の秋は48日間に6カ所も訪ね歩いていましたが、今はコロナ禍で約1年半にわたって外出自粛が続いており、さまざまなスポットへの訪問ができません。

新型コロナウイルスの感染拡大傾向に歯止めがかかり、気兼ねなく都府県境を自由に往来できる状態に戻って欲しいと願っております。まだまだ行きたいところはたくさんあります。

「安全第一」「では第二や第三ってなんだろう?」

建設現場や工場で見かける「安全第一」というスローガン、誰でも一度は目にしたことや耳にしたことがあるのではないかと思います。

↓ 勤め先の工場にある「安全第一」スローガンの掲示

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この「安全第一」というスローガンには、建設現場や工場で働いていて毎日のように「安全第一!安全第一!」と唱和している人々にも意外と知られていない逸話があります。知ってトクする話でもありませんが、まぁ、「知っておいて損はない」程度にお読みくだされば嬉しいです。

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「安全第一」というスローガンは、語呂もよく解りやすい言葉ですので、日本発祥のものかと思われがちですが、実は米国発祥で、英語の「safety-first」を和訳したものなんです。

1900年代初頭の米国は不景気のあおりを受け、労働者の多くは劣悪な環境の中で危険な業務に従事していました。その結果、労働災害が多発してしまいます。

当時、世界有数の規模を誇っていた製鉄会社、USスチール社の社長で熱心なキリスト教徒でもあったエルバート・ヘンリー・ゲーリーは、労働者の苦しむ姿に心を痛め、それまでの会社の経営方針「生産第一、品質第二、安全第三」を抜本的に改め、「安全第一、品質第二、生産第三」に替えました。

「安全第一」には続きがあって「品質第二」「生産第三」もあるんですね。

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「生産第一」から「安全第一」に方針が変わると、米国の労働災害は一気に減少し、品質や生産も景気回復の波に乗り、この「安全第一」というスローガンは米国全土、そして世界中へと広がっていきます。

日本には、大正5年(1916年)に北米旅行中の前逓信省管理局長の内田嘉吉氏がいたるところで「SAFETY FIRST」のスローガンを目にして感銘を受け、帰国後に「安全第一運動」を提唱し日本全国に広まります。

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今日の記事はWikipediaの切り貼りのようになってしまいました~(^^)

 

「安全第一」というスローガンは、危険作業に従事する作業員が気を付ければいい、という単純で近視眼的なものではなく、その成り立ちを考えますと、経営トップの姿勢として「自社の労働者を労働災害から護る」という崇高な理想と強い決意を表したものであってほしいと個人的には思います。

 

・・・と、まぁ、こんなことを考えているから勤め先の経営幹部や管理職諸氏から煙たがられ、敬遠されるんですよね・・・。

JR蓮田駅近くに「ゼブラ板付信号機」を見に行く

外出自粛が続き、みなさまに珍しいスポットの訪問記をお届けできない状態が続いています。

今日は生活必需品を買い求めるために外出する機会がありましたので、少しだけ遠回りしまして、JR宇都宮線蓮田駅東口から東へ150mほど歩いたところに設置してある「ゼブラ板付信号機」を撮ってきました。

「ゼブラ板」は正しくは「信号灯背面板」と呼ばれ、信号機の背後に取り付けられた白色と緑色の縞模様をあしらった板のことです。シマウマ(ゼブラ)の柄に似ていることから一般的には「ゼブラ板」と呼ばれています。

この「ゼブラ板」が取り付けられた信号機は、昭和40年代~50年代前半には街を歩いていればどこでも目にすることができたものでしたが、現在では殆ど見かけることはありません。

↓ JR蓮田駅東口近くのゼブラ板付信号機。80m先にもあります(どちらも赤信号)

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↓ 地図上の赤い矢印が「ゼブラ板付信号機」です

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「ゼブラ板」は信号灯の視認性を高めることを目的に取り付けられるものです。

戦後の我が国は慢性的な電力不足に悩まされ、信号機の光量が不足していた信号灯が非常に見づらかったそうなんです。そこで、光量が不足していても信号灯が見やすくするために白色緑色の縞模様の板を設置していました。

しかし、昭和30年代に入ると電力不足は解消され、さらに信号機の電球の改良やレンズの大型化により信号機の視認性は大幅に向上します。そうなりますと、ゼブラ板は必要性がなくなってしまいます。加えて「ゼブラ板」が風に煽られて信号機が揺れるといった問題や、派手なゼブラ柄が景観を損ねるとの指摘があり、昭和50年ごろからゼブラ板は撤去されることになります。

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このような事情や背景から、「ゼブラ板付信号機」は瞬く間に姿を消していきますが、例外的に現在でもわずかに残っています。

それは、時間帯によって朝陽や夕陽が眩しくなり信号機が非常に見づらくなるところや、前後の信号機の間隔が近く、見間違いを起こしやすいところ、周囲に派手な色の看板があるために信号機が見づらいところなどは現在でも「ゼブラ板」を取り付けた信号機が設置してあります。しかしその数は極めて少数です。

この蓮田駅東口近くにある「ゼブラ板付信号機」もそうした特別な事情があり現在でも設置されているのだろうと考えられます。

通巻900号を迎えたCQ ham radio誌

毎月欠かさず購読している、アマチュア無線専門誌のCQ ham radioが、一昨日発売の2021年6月号で通巻900号を迎えました。

↓ 通巻900号となった2021年6月号の表紙

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表紙には、CQ誌の創刊号から始まって、反時計回りで100号、200号・・・800号まで9冊が並べられていますし、本誌27頁から42頁にわたって創刊号から今月号までの全ての表紙を一挙公開しています。

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私が最初にCQ ham radio誌を購読したのは昭和49年(1974年)11月号で、小学校5年生の時でした。小学生にはやや難しい記事が多く、内容をあまり理解できていませんでした。それでもワクワクしながら夢中で読んでいたことを憶えています。

↓ 最初に購読した昭和49年11月号。

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↓ 裏表紙にはTRIOのモービル機の広告

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この昭和49年11月号は通巻341号。それ以来ほぼ毎月購読していますので、500冊以上は読んでいます。

なお、この昭和49年11月号は、一度は他の大量の書籍や雑誌とともに処分してしまったため、数年前にヤフオクで買い戻したものです。

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次に私の手許にある最も古いCQ ham radio誌をご覧いただきます。

↓ 昭和29年(1954年)4月号、通巻65号。ヤフオクで最近入手しました

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表紙の右下に大きく「QTH」と記されているので、お気づきの方も多いと思いますが、この号は記事が少なく、大半が「局名録」です。

「局名録」に掲載されている局は以下のとおりです。

JA1AA~JA1VZ JA1AAA~JA1ADX

JA2AA~JA2IJ

JA3AA~JA3IZ

JA4AA~JA4DP

JA5AA~JA5BZ

JA6AA~JA6ET

JA7AA~JA7CZ

JA8AA~JA8BZ

JA9AA(exJA2WA)~JA9CM(exJA2YM)

JA0AA(exJA1WA)~JA0CN(exJA1YN)

戦後アマチュア無線再開直後に開局されたOM各氏のお名前、生年月日、使用周波数、電波形式、終段管、住所、職業勤務先(学校)、空中線、特技・趣味、所属クラブなどが掲載されていまして、この当時のアマチュア無線界の様子を垣間見ることができ、OM各氏の人物像までもが浮かび上がってくるくらい充実した局名録です。個人情報保護が叫ばれている現代では考えられないですね。Hi

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ここまでお付き合いいただきましたみなさまには、この昭和29年(1954年)4月号の裏表紙もご覧いただきましょう。

↓ 裏表紙です

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本日は以上です。最後までお読みくださりありがとうございました。(^^)

記憶にありますか? 都市銀行に名を連ねた13行

昨日の朝刊に、「3メガ銀行グループの21年3月期決算」が掲載されていました。「3メガ銀行グループ」とは、三菱UFJフィナンシャル・グループ、三井住友フィナンシャルグループみずほフィナンシャルグループの3つを指すようです。個人的にはりそなホールディングスを加えて「4大銀行グループ」としてほしかったと思いましたが、3メガ銀行グループはどんどん巨大化して業容も業態も違ってきており、4つのグループの決算内容を同じ土俵で比較する意味がないと判断されたのかも知れません。

 

↓ 昨日の朝刊に掲載されていた「3メガ銀行グループの21年3月期決算」

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このメガ銀行グループの3つは、いずれも1973年~1990年までの約17年間都市銀行13行」に属していた銀行同士が合併、再編して形成されたものです。(みずほフィナンシャルグループには旧長期信用銀行だった日本興業銀行も加わっています)

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都市銀行」という分類は1968年から発足しましたが、日本相互銀行が普通銀行に転換して太陽銀行となってすぐに都市銀行に加わったり、大手地方銀行だった埼玉銀行都市銀行に加わったりして、都市銀行は一時的に15行を数えた時期もありましたが、第一銀行と日本勧業銀行が合併して第一勧業銀行に、太陽銀行(旧日本相互銀行)と神戸銀行が合併して太陽神戸銀行になったことにより都市銀行の数は1973年に13行になりました。

1990年に、三井銀行太陽神戸銀行とが合併するまで約17年間は都市銀行は13行体制で安定しており、多くの企業、自治体、個人が利用していました。

私が大学4年生で就職活動をしていた昭和61年(1986年)も、新社会人としてこの都市銀行13行の一角を占める銀行に勤めていた時期も、常にこの13行体制でしたので、記憶や印象としてはハッキリ残っており、今でも13行すべてを淀みなく言えます。

現在では当時の「都市銀行13行」についての書籍や雑誌も見なくなりました。私の手許にもほとんど残っていません。辛うじて当時の新聞の株価欄に懐かしい13行の名称を見つけることができる程度です。

 

↓ たまたま手許にあった昭和51年12月の新聞、印が都市銀行13行

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懐かしいと思われる方も多いのではないかと思います(^^)

13行の顔ぶれも、旧財閥系(三井、三菱、富士=安田財閥、住友、大和=野村財閥)や旧特殊銀行(北海道拓殖、東京)、旧地方銀行で業容拡大など(三和、東海、埼玉、協和)、合併してできた銀行(第一+日本勧業=第一勧業、太陽+神戸=太陽神戸)とさまざまで、それぞれに個性がありました。

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最後に、かつての都市銀行13行がその後どうなったのかを記します。

第一勧銀>>>みずほ銀行

北海道拓殖>>>1997年破綻、北洋銀と中央信託銀に営業譲渡 2006年法人格消滅

東京銀行>>>三菱UFJ銀行

三井銀行>>>三井住友銀行

三菱銀行>>>三菱UFJ銀行

富士銀行>>>みずほ銀行

住友銀行>>>三井住友銀行

大和銀行>>>りそな銀行埼玉りそな銀行

三和銀行>>>三菱UFJ銀行

東海銀行>>>三菱UFJ銀行

協和銀行>>>りそな銀行埼玉りそな銀行

太陽神戸>>>三井住友銀行

埼玉銀行>>>りそな銀行埼玉りそな銀行

 

就職活動をしていた35年前には、このような状況を全く想像できませんでした(^^)

「1級」を目指さない、「2級コレクター」なんです

4月29日に、「2級建設業経理士登録講習会」を受講してきたことをこのブログ記事に書きましたところゴールデンウィーク明けに、親しくしているお取引先の方から「1級建設業経理士試験は受験するんですか?」と訊かれました。

その問いに対しては、「1級を受験する予定はないですね~」と即座に答えました。

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標題にもあります通り、私はどのような試験でも「2級」で満足してしまい、その上位にある「1級」を目指さない「2級コレクター」なんです(^^)

 

↓ 建設業経理士、英検、作業環境測定士(第二種)、どれも「2級」

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どれも2級です。作業環境測定士は「2級」ではなく「第二種」となっていますが、「第二種」の上位に「第一種」がありますので、実質的に「2級」と同じ意味です。自動車運転免許ですと「第一種」より「第二種」の方が上位になりますので、これとは逆ですね。

 

↓ ボイラー技士も無線従事者関係も全て「2級」

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確かに「1級」の免許・資格は魅力的に映りますので、取得できるものなら欲しいとは思います。

しかしながら、どの免許・資格も2級と1級の間にはかなりの難易度の差があり、生来の怠け者でこれまでの資格試験は過去に出題された問題の丸暗記で対応してきた私では、「1級」に合格はできないと直感で判ります。

また、平成24年の12月に49才7カ月で公害防止管理者(騒音・振動)試験に合格最低点でギリギリ合格を果たした際に、「資格試験の受験はこれで終わりにしよう。50才になったら気楽に生きることを心がけ、残り少ない時間はツライ受験勉強よりも趣味や読書の時間に充てよう」と決意したことも「1級」を目指さない理由です。

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どの資格・免許も最終的に「1級」を取得するような方は、通過点である「2級」の試験にはラクラク合格していますが、私の場合は「2級」の試験でさえもほぼ合格最低点でギリギリ合格ラインに滑り込むことが多く、仮にもう一回「2級」の試験を受けたら合格ラインを超えることができないかもしれない、実質「2.5級」レベルですので、「1級」など受けても合格できるはずがないと思っています。

たまたま運よく一発合格させていただいた「2級」の合格証書や免許証を人一倍大切にして桐の箪笥の奥にしまい込んでいる「2級コレクター」こそが、私の立ち位置としては最適だと考え、居心地の良さをも感じています(^^)

昭和50年代初頭、カラー写真QSLは高嶺の花だった

このところ大相撲ネタの記事に偏っていましたので、今日は久し振りにアマチュア無線の話題です。

新しいQSLカードの制作を申し込もうと思い、昨日資料(申込用紙)を請求しましたところ、今日早速届きました。新しいQSLカードを制作するのは楽しいですね。

 

↓ 今日届いたQSLカード制作資料(申込用紙)

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2年前にも同じ制作会社にQSLカード1000枚を発注し、美しい仕上がりで満足しました。その際もブログ記事として投稿しています。

 

↓ 2年前のブログ記事「新しいQSLカードが出来上がり、本日届きました・・・」

saitama-dame.hatenablog.com

 

現在は色鮮やかなカラー写真のQSLカード、1000枚制作を依頼しても1万円前後でできますので、多くのアマチュア無線家が気軽にカラー写真のQSLカードを制作・発行できますが、私が中学校に通っていた昭和50年代初頭にカラー写真のQSLカードを制作できるのはごく一部の裕福なアマチュア無線家だけでした。

 

↓ 「CQ ham radio」昭和52年9月号の館山印刷センターさんの宣伝広告

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「出来上りと価格に絶対の自信を持って・・・38000円です。」との文言があります。そうなんです、この当時はカラー写真のQSLカードを1000枚制作しますと、3万8千円でした。

この印刷会社が特に高値を提示していたのではなく、当時の印刷技術ではこの価格が精一杯だったのだろうと思います。

3万8千円あれば、当時は50MHzのポータブル機を1台購入することができました。QSLカードは交信した相手局に差し上げてしまい自身の手許には残らないものです。そうしたQSLカードに3万8千円を費やす中学生や高校生アマチュア無線家はほぼ皆無。1カ月の小遣いが2000円~3000円だったであろう当時の中学生アマチュア無線家は文字だけのシンプルなデザインで1枚あたり5円程度のQSLカードを制作したり、ハガキ大に切った画用紙に謄写版印刷で自身の手で制作したりしていました。

私も開局して最初のQSLカードは4000枚で1万円、1枚当たり2円50銭の文字だけで1色刷のカードを地元の印刷会社に依頼しました。

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その後、印刷技術の向上やカラー写真QSLカードを制作するアマチュア無線家が少しづつ増えると、制作料金が少しづつ下がり始めます。

↓ 「CQ ham radio」昭和53年7月号の館山印刷センターさんの宣伝広告

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合理化達成記念価格・・・33000円(1000枚)の文言が見えます。同じく昭和53年7月号には、オノウエ印刷さんの宣伝広告もありました。

↓ オノウエ印刷さんの宣伝広告

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こちらは28000円(1000枚)。この当時としては驚異的な安値だったようです。それでも中学生だった私には手が出せない価格でした。社会人になり収入を得るようになったら美しいカラー写真のQSLを制作してドンドン発行したいと考えていました。

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その後もQSL制作各社の経営努力や印刷技術の向上もあり。QSL制作料金は下がり続け、現在では1000枚で1万円前後になりました。学生のアマチュア無線家の方はやや高く感じるかもしれませんが、勤め人のアマチュア無線家には払えない金額ではないと思われます。

私は小学校5年生のころから放送局のカードを集めていましたので、美しいカードやデザインの凝ったカードを制作したいという思いを強く持っています。

↓ 昭和50年前後の首都圏と私の地元(新潟県)の放送局のカード

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こうした放送局のカードに影響を受けています。

したがって、時代遅れと思われるかもしれませんが、どちらかといえば「eQSL」よりも「紙のカード」を好んでいます。このようなアマチュアの方は意外と多いのではないかと思っています。