埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

8月の「睡眠時間」の結果報告です (^^)v

6月1日のブログ記事で、睡眠時間は7時間が最適との検証結果があることから、今後は「睡眠時間6時間31分~7時間30分」の範囲内としたいと記しました。

 

↓ この記事です

saitama-dame.hatenablog.com

 

6月1日から6月30日までの30日間で、最適な睡眠時間と考えられる「6時間31分~7時間30分」の範囲に収まったのは20日。この範囲に収まらなかったのが10日で20勝10敗でした。

7月1日から7月31日までの31日間で、最適な睡眠時間と考えられる「6時間31分~7時間30分」の範囲に収まったのは21日。この範囲に収まらなかったのが10日で21勝10敗でした。

 

本日の記事は、8月1日から31日までの「睡眠時間」の結果報告で、以下の通りでした。睡眠時間が6時間31分から7時間30分の範囲内となった日は「〇」、範囲外となった日は「✖」を付しました。

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 日 付   睡眠時間

8月 1日(日)  5:37   ✖

8月 2日(月)  6:36   〇

8月 3日(火)  6:32   〇

8月 4日(水)  6:34   〇

8月 5日(木)  6:33   〇

8月 6日(金)  6:32   〇

8月 7日(土)  5:34   ✖

8月 8日(日)  7:21   〇

8月 9日(祝)  7:04   〇

8月10日(火)  6:40   〇

8月11日(水)  6:36   〇

8月12日(木)  5:26   ✖

8月13日(休)  7:19   〇

8月14日(土)  7:23   〇

8月15日(日)  6:10   ✖

8月16日(休)  6:33   〇

8月17日(火)  6:11   ✖

8月18日(水)  6:51   〇

8月19日(木)  6:33   〇

8月20日(金)  5:25   ✖

8月21日(土)  6:39   〇

8月22日(日)  6:49   〇

8月23日(月)  6:38   〇

8月24日(火)  6:40   〇

8月25日(水)  6:33   〇

8月26日(木)  6:33   〇

8月27日(金)  6:31   〇

8月28日(土)  7:05   〇

8月29日(日)  6:31   〇

8月30日(月)  5:42   ✖

8月31日(火)  6:32   〇

結果、24勝7敗。7月より3勝上回り、自己記録を更新しました\(^o^)/

 

ただし先月同様、睡眠時間が「ギリギリ範囲内に滑り込む日」、つまり6時間32分とか6時間33分とか・・・、がやたらと目立ちます。

たまたま睡眠時間が6時間20分で目覚めてしまって、12分くらい「起き上がらず目を閉じて横たわっているけれど眠ってはいない」という日もありました。これを見た家族からは、「記録を作ることのみを意識した恣意的不正行為!!」と非難されています(^^) でもまぁ1か月のうち2~3日そのような日があっても許容範囲じゃないかな、と考えています。

また、8月の31日間の睡眠時間の平均は6時間30分で、月より15分増えました。月もこれくらいの睡眠時間を確保したいと考えます。

8月は盆休みがあり、起床時刻を自身の都合でコントロールできる日が多かったため24勝し、平均睡眠時間も伸びました

3か月くらい前までは深夜2時ころまで読書などをしている日がしばしばありましたが、このところ深夜0時までには就寝する生活リズムが身についてきているようにも感じます。よい傾向です。

 

9月も引き続き、30日間のうち睡眠時間「6時間31分から7時間30分」の範囲に収まる日を24日は確保し、30日間の平均値もこの範囲内に収めたいと思います。

9月の「睡眠時間」については10月上旬のこのブログでお知らせします。

 

次回、9月5日(日曜日)の投稿は、夏の全国高校野球大会の話題に戻ります。

8月も毎日交信、元日から243日連続オンエア

8月29日と8月31日は高校野球の話題を投稿しましたが、今日は趣味のアマチュア無線の8月の実績をお知らせします。興味のない方には退屈な記事かと思いますが、ご容赦ください(^^) 高校野球の話題の続きは9月5日(日曜日)に投稿します。

標題の通り、1月、2月、3月、4月、5月、6月、7月に引き続き月も毎日1局以上の交信ができました。これで今年は元日から8月31日(火曜日)まで243日連続交信となり、今も記録更新中です。

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8月の31日間のQSLカード交換等を伴う交信は164でした。

今年の元旦から連続243日オンエアしているものの、交信局数はそれほど多くはありません。たくさんの局と交信することよりも、少しずつでも長く続けることを目指していますので、毎月100局を超える程度でいいかと思っています。QSLカードを1枚1枚手書きで書いていますが、以前に比べて交信局数が増えているため、少しずつQSL発行遅延が発生してきています。今のところ8月8日の交信までQSLカードを書いてビューローに発送しています。1カ月以上の遅延は避けたいところです。

 

◎8月の交信の周波数別内訳

  3.5MHz      2局

   7MHz   84局

  10MHz   23局

  14MHz   11局

  18MHz    8局

  21MHz    1局

  50MHz    4局

 144MHz    7局

 430MHz   23局

1200MHz    1局

     計   164局

 

◎電波形式の内訳

 CW      45局    

 SSB      1局

 FM       5局

 FT8    113局

     計  164局

8月もFT8が約7割を占めました。CWが3割弱、FMが5局、SSBは1局でした。唯一SSBでQSOしたのは、8J1OME局(青梅市市制70周年記念局)。FMの5局は、家族がショッピングモールで生活必需品類を買い求める僅かな時間を利用して、そのショッピングモールの屋上駐車場からオンエアしたときのQSOです。大型商業施設の屋上駐車場からのオンエアですので、長さ1m程度のモービルホイップ(144/430/1200)でも関東一円の広い範囲をカバーできます。屋上駐車場からのQSOでももちろんQSLカードの交換はします。

 

◎今月も一覧にしてみました

          CW  SSB  FM  FT8       計

  3.5MHz                 2      2

    7MHz  20            64     84

   10MHz   1            22     23

   14MHz   1            10     11

   18MHz                 8      8

   21MHz   1                    1

   50MHz   3             1      4

  144MHz   4    1        2      7

  430MHz  15        4    4     23

 1200MHz            1           1

   計     45    1    5  113    164

 

8月はコンディションが軟調な日も多く、まだFT8を導入していなければ、元日から続いていた連続日数交信記録は途切れていただろうと思います。FT8は、6月初旬に45年来の友人が拙宅を訪れて無線機やパソコンのセッティングをやってくれまして、非常にありがたい他力本願のFT8なんですが、すっかり主力モードになりました。

9月も30日間連続オンエアと、月間100局超の交信を目指します\(^o^)/

次回、9月3日の投稿は8月の1か月間の睡眠時間の報告。9月5日に夏の高校野球大会についての考えを投稿します。

夏の甲子園、全都道府県に出場枠は必要かな?

一昨日の記事、「減り続ける夏の全国高校野球参加校数」の続きです。

現在「夏の甲子園」に出場できる高校の数は、通常の年は49校。北海道と東京は2校出場でき、他の45府県からは1校が出場できます。

10年に一度、出場校数を増やす記念大会の年があり、3年前の第100回記念大会には、北海道、東京のほか、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡からも2校出場できることになり、甲子園出場校数は史上最多の56校になったことがあります。

一昨日の記事でも申し上げましたが、猛暑の8月の半月の間に48試合(節目の第100回記念大会では55試合)も屋根の無い甲子園球場で消化しなければならない日程は非常に厳しいと思い、夏の甲子園大会出場校数を減らすことを検討してもよいのではないかと考えます。

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全ての都道府県から1校以上が甲子園大会に出場できる、つまり「出場できない県が無くなった」のは昭和54年(1979年)からで、それ以前は夏の甲子園大会に出場できない県があるのは当たり前のことでした。(昭和53年は節目の60回記念大会のため全都道府県から49校が出場。昭和48年、昭和43年、昭和38年、昭和33年も節目の記念大会で特別に全ての都道府県から出場しています)

ちなみに、「出場できない県」がある最後の年となった昭和52年(1977年)の夏の甲子園出場校数は41校でした。出場できなかった県は、青森、山梨、富山、滋賀、和歌山、鳥取、徳島、長崎の8県。

この年の地方予選では、最終的に2県で甲子園出場の1枠を争うところがあり、甲子園に出場できなかった8県は隣県との決戦に敗れたため甲子園に出場できませんでした。

青森と秋田は奥羽大会

山梨と群馬は北関東大会

富山と石川は北陸大会

滋賀と福井は福滋大会

和歌山と奈良は紀和大会

鳥取と島根は山陰大会

徳島と高知は南四国大会

長崎と佐賀は西九州大会

を勝ち抜かなければ甲子園出場の切符を掴み取ることはできませんでした。

また、この地方8大会は各県の優勝校同士で対戦する方法もあれば、双方の県から複数校が参加してトーナメントで優勝を争う形式の大会もありました。

 

さらに2年遡った昭和50年(1975年)は、甲子園出場校はさらに3つ減って38校でした。この年は前述の8大会に加えて・・・

山形と宮城は東北大会

香川と愛媛は北四国大会

大分と熊本は中九州大会

を勝ち抜かなければ甲子園出場ができませんでした。

 

さらに昭和47年(1972年)にまで遡りますと、甲子園出場校は30校。単独で甲子園出場枠を持つ都道府県はかなり少なくなります。

北北海道、南北海道、東京(1校)、神奈川、静岡、愛知、長野、大阪、兵庫、広島、福岡、鹿児島だけは単独で出場枠を持っていましたが、それ以外の36の府県は隣県など複数の県で構成される地方大会を勝ち抜いてようやく甲子園に出場できる制度でした。

 

時代を遡れば遡るほど、甲子園に出場できない県が増えます。45年くらい前までは、甲子園大会出場への道のりは現在よりもはるかに遠かったと言えます。

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ここで、夏の甲子園出場校数が増え続けた昭和47年(1972年)から昭和54年(1979年)までの8年間の、甲子園出場校数と全国の参加校数の推移を記します。

 

                 甲子園出場校     全国の参加校数

第54回大会 昭和47年(1972年)  30        2614

第55回大会 昭和48年(1973年)  48(記念大会)    2660

第56回大会 昭和49年(1974年)  34        2709

第57回大会 昭和50年(1975年)  38        2798

第58回大会 昭和51年(1976年)  41        2893

第59回大会 昭和52年(1977年)  41        2985

第60回大会 昭和53年(1978年)  49(記念大会)     3074

第61回大会 昭和54年(1979年)  49(以後全県出場)   3170

 

第55回大会は東京が2校ではなく1校だったため現在より1校少ない48校、第60回の記念大会で初めて49校が出場し、翌年からは通常の年であっても全ての都道府県から49校が出場する現在のスタイルになりました。全国の参加校数もどんどん増えています。

全国の参加校数が3000を超えたあたりで、全ての都道府県から甲子園に出場できるようになりましたので、全国の参加校数が3000を下回ったら、都道府県から夏の甲子園大会に出場できる現在の制度を改め、出場できる枠を40校程度に縮小し、参加校数が2500校以下になったら、出場できる枠を30校程度に減らすのも一案ではないかと考えます。ただ、全都道府県から必ず1校以上が甲子園大会に出場できる制度が定着する前、つまり昭和53年以前の夏の高校野球大会を知らない世代の方々にとって、夏の甲子園大会に出場できない県が発生するのは極めて不自然に思われ、著しい抵抗を感じると思います。なお参加校数が3000を下回るのは15年後くらいではないかと予想します。

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夏の全国高校野球大会について、次は9月5日(日曜日)に投稿します。48試合すべてを甲子園球場で行うことの妥当性について考えたいと思います。

なお、9月1日(水曜日)はアマチュア無線ネタ(8月の交信内訳)。9月3日(金曜日)は8月の睡眠時間の報告を投稿します。

今日の投稿、約2200文字あります。お読みくださったみなさま、お疲れさまでした(^^)

減り続ける夏の全国高校野球参加校数

第103回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)は、和歌山県代表の智弁和歌山高校が智弁学園(奈良)を9-2で下し、21年ぶり3回目の優勝を決めました。

今年の夏の大会はコロナ禍による無観客試合や2校の出場辞退、降り続く雨の影響による大会日程の大幅な変更などがあり、強く印象に残る大会となりました。

高校野球は小学校4年生だった昭和48年(1973年)ころから観ていた記憶がありますので、あと2年くらいで観戦歴は50年となります。

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さて、標題にもありますように、夏の高校野球の参加校数は平成14年(2002年)と平成15年(2003年)の4163校をピークとし毎年減り続けており、今年の参加校数は3603校にまで減少しました。少子化傾向に歯止めがかからず、高校の統廃合が進んでいることから、今後参加校数が増加に転じることは考えにくいと思います。

少子化の影響は、高校以外も含めた学校運営や教育産業、スポーツ業界、出版、娯楽などさまざまな分野の縮小化を招いており、高校野球もその例外ではありません。

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また今大会を通じて、数日間雨が降っただけでも大会運営が窮地に陥ることが判りました。また、将来ある選手の身体への負担軽減策にも本腰を入れなければならないとの声も年々高まっています。

これはあくまで個人的な考えになりますが、猛暑の8月の半月の間に甲子園球場のみを会場として48試合も消化することそのものを考え直す時期に差し掛かっているのではないかと思っています。

半世紀近く観戦してきた高校野球です。嫌いになったわけではありませんが、参加校数が著しく減少していることは事実ですし、高校野球に対する国民の視線が微妙に変化し、高校野球だけが特別視され、優遇されていた傾向が徐々に薄らいできていることも感じます。

そろそろ昭和53年(1978年)から今日まで定着した都道府県から1校ずつ(北海道と東京は2校)出場できる制度の見直しや、昭和38年の第45回大会以来となる甲子園球場以外の球場の使用などを検討してもいいのではないかと思っています。

-・・・-

繰り返しになりますが、高校野球が嫌いになったわけではありません。現在の運営方針を批判したり疑問を投げかけているわけでもありません。その点はどうかご理解いただきたくお願いいたします。そもそも1日に訪れる方が約120人、つまり国民の100万人に1人しか読んでいないこのブログには世論に影響を及ぼす力などありません。ここで申し上げる夏の高校野球の見直し案がすぐに実現などするわけがありませんのでご安心ください。

今日は平成14年と平成15年にピークとなった全国の参加校数の今年までの推移を紹介し、8月31日、9月5日、9月7日の投稿で、夏の全国高校野球大会のこれからの運営について考えるところを申し述べたいと思います。

 

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◎夏の全国高等学校野球選手権大会参加校数推移

平成14年(2002年)  4163校(前年比  +13)

平成15年(2003年)  4163校(前年比   +0)

平成16年(2004年)  4146校(前年比  ▲17)

平成17年(2005年)  4137校(前年比   ▲9)

平成18年(2006年)  4112校(前年比  ▲25)

平成19年(2007年)  4081校(前年比  ▲31)

平成20年(2008年)  4059校(前年比  ▲22)

平成21年(2009年)  4041校(前年比  ▲18)

平成22年(2010年)  4028校(前年比  ▲13)

平成23年(2011年)  4014校(前年比  ▲14)

平成24年(2012年)  3985校(前年比  ▲29)

平成25年(2013年)  3957校(前年比  ▲28)

平成26年(2014年)  3917校(前年比  ▲40)

平成27年(2015年)  3906校(前年比  ▲11)

平成28年(2016年)  3874校(前年比  ▲32)

平成29年(2017年)  3839校(前年比  ▲35)

平成30年(2018年)  3781校(前年比  ▲58)

令和 元年(2019年)  3730校(前年比  ▲51)

令和 2年(2020年)  コロナ禍で中止

令和 3年(2021年)  3603校(前回比 ▲127)

 

このようにどんどん減っています。特にここ数年の減り方は勢いを増しており、参加校数が3568校だった昭和58年(1983年)の水準にまで戻ってしまいました。

駅周辺の案内地図、どうしても気になる・・・

2月27日に「東京都第一建設事務所に知らせるべきなのかな?」という記事を投稿してからちょうど半年経ちました。

 

↓ 2月27日の記事。主に歩道に設置してある地域案内地図の誤りに注目しました

saitama-dame.hatenablog.com

今日はその続編です。

1か月に1度、呼吸器専門医の診察を受診している関係で東京都内に行きますが、駅周辺や歩道に設置してある地域の周辺地図をじっくり眺めてしまいます。今回もいくつか気になる点がありました。

 

↓ 案内地図中央よりやや下に「山脇美術専門学」さんがあります

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↓ 行ってみました。「山脇美術専門学」さんで、案内地図とは異なります。

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案内地図では「山脇美術専門学」さんとありますが、

実際には・・「山脇美術専門学」さんとなっています。

ただ、これは恐らくは校名変更だろうとヤマを張り、調べてみました。

 

↓ やはりそうでした(^^)・・・山脇美術専門学校さんのサイトより

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したがって、これは問題ナシ!

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次にこれはどうでしょう? JR市ヶ谷駅近くに設置されている2つの案内地図に微妙な違いがあります。

 

↓ Jidosa Kaikan

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↓ Jidosa Kaikan

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JR市ヶ谷駅近くにある2つの案内地図で・・・

「Jidosa Kaikan」と「Jidosa Kaikan」の異なる2つの表記がありました。どちらかといえば「Jidosa」が自然な綴りのように思えますが、いかがでしょうか? これも調べてみました。

 

↓ 自動車会館さんのサイト。URLにご注目ください

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なんと、「Jidosa Kaikan」が正しい表記のようです。ちょっと意外でした。(「jidosa Kaikan」とした表記も間違いではありません。サイトのURLと違っているというだけのことです)

なお、この「自動車会館」とは別に、東京都港区芝大門1丁目には「日本自動車会館」があり、そのURLは「jidoshakaikan.aba-j.or.jp」となっています。

市ヶ谷の自動車会館さんは、港区芝大門の日本自動車会館さんのサイトのURLが先に「Jidosha」を使っていたため、「Jidosa」を採用し、そこまで調べた地図製作業者の方が、地図上の表記もURLに忠実に「Jidosa」としたのではないかと考えました。もしそうだとしたら、その注意力、調査能力は本当にスゴイと思います。

現在の勤め先の会社で251回目の給料日です(^^)

毎月25日は、勤め先の会社の給料日です。数えてみましたら、この会社での251回目の給料日でした。

昨年9月に、現在の勤め先の会社で勤続20年となり、20年×12か月=240回目の給料日を迎えたことは記憶に残っていますが、気が付いたら、あれから11カ月も経過していまして、来月20日まで勤めると勤続21年(252か月)になります。

目標としていた勤続20年に到達したら、それを花道に今の勤め先を退職しようと考えていましたが、油断していましたら勤続21年に手が届きそうになってしまいました。

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昭和38年5月生の私は、今月がちょうど生後700か月目ですので、ここまでの半生の約36%は現在の勤め先に奉職していることになります。

平成12年(2000年)9月、37才のときに中途で採用していただいたのはよかったのですが、中小同族会社の独特の空気感や価値観に馴染めず、3年勤まるかどうか自信が無いな・・・、と考えていました。

間もなく勤続21年になる今も、勤め先の会社の雰囲気には馴染めません。会社というより、この5~6年以内に入社してきた強烈な個性を放つ人たちに辟易しているというのが正しいです。典型的な中小同族会社ですので、異動や転勤などありません。気が合わない人、感性や価値観、倫理観が極端に異なる人、どうしても嫌いな人と、10年でも20年でも30年でも同じフロアで仕事をすることになります。私よりも長期間勤めている方などは、嫌いな人と40年も同じ部署で働いていたそうです。支店や営業所が無い中小企業はこの点が最もイヤですね。

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勤続20年を迎えた昨年9月からの1年間があまりにも速く感じてしまい、1年9か月後の還暦もあっという間にやってくるのではないかと焦り始めました。

退職しますと、現在住んでいる社宅は退去しなければなりませんので、新しい住居を探す必要があります。その点が面倒でこれまで退職や転職ができなかったのですが、1年9か月後に控えた還暦を機に静かに職場を去るためにも新たな住居探しを始めます。

実は退職を申し出たら会社側から慰留されるか、されないか、非常に興味があります。会社側は意地でも慰留などしないと予想していますが・・・。

退職後、私は会社に出入りすることはありませんし、社内の人々に知られている携帯電話番号やメールアドレスは廃止し、業務や作業の方法、お取引先に関する情報などの問い合わせは遮断します。退職者の親睦会組織のようなものがあるそうですが、加入はしません。

明日で「NINTENDO・脳トレ」100日目

今日は新型コロナウイルスワクチンの1回目の接種をしてきました。

腕に痛みが生じたり腫れたりしてブログ記事の投稿に影響が出るのではないかと予想し、今日の記事は簡単に書けるものを用意していました。

現在午後9時30分で、ワクチン接種から4時間30分が経過しましたが、今のところ痛みも腫れもありません。頭痛や発熱、下痢といった症状もまったく見られず、普段と変わったところはありません。接種する前にはかなり警戒していただけに拍子抜けした感じなのですが、一夜明けたら何らかの変化があるかもしれませんので油断はできません。

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さて5月中旬から、NINTENDO SWITCH 脳を鍛える大人のトレーニング(略して「脳トレ」)を始めまして、今日が99日目。明日で100日目になります。

 

↓ NINTENDO SWITCH の「脳トレ」です

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↓ 今日で99日。明日でちょうど100日目です

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家族4人の中で私が最も遅く参戦しましたので、どの種目も大差をつけられての最下位で恥ずかしいのですが、ここまでの自己ベスト記録を晒してみます(^^)

 

↓ 計算25 計算100 直前写真

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↓ 指計算 指体操 二重課題

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↓ 漢字合成 瞬間記憶 

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脳トレ」は始めたばかりですので、まだまだ記録が伸びる余地は十分にあると思っています。

このブログを読んで下さる方の中で「脳トレ」をやっている方は恐らく1人か2人ではないかと思います。それ以外の大多数の方には、何のことか解らない内容ではないかと思われますが、どうかご容赦願います・・・。

電話級合格を目指していた頃を懐かしむ・・・

時々Yahooオークションを眺めていますが、45年前に電話級アマチュア無線技士合格を目指していた頃に利用していた「初級ハム国家試験問題集」の出品を見つけ、1000円で落札しました。

↓ これです

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↓ 昭和50年8月発行の第26版。私が使っていたのはこれです。懐かしい・・・

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45年前、当時中学1年生だった自分にはかなり難しく感じたものです。

無線工学から2問、法規から2問を貼りますので、解いてみてください。四者択一、正解はこのブログ記事の最下段にあります。

 

↓ 無線工学(送信機・問題25)

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↓ 無線工学(測定・問題15)

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↓ 法規(アマチュア局の免許・問題24)=昭和50年当時

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↓ 法規(アマチュア局の運用・問題30)

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昭和51年(中学1年)の秋から昭和52年の春までこの問題集で受験対策をし昭和52年4月期の試験を受験、運よく合格できました。

↓ 国家試験受験から2か月後に合格通知を受け取りました

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その後、電信級、第2級と幸運なまぐれ合格を果たして、現在は第2級アマチュア無線技士を名乗っていますが、加齢による忘却、時代の流れに取り残されてこれまでに学んだことや経験により得た知識の陳腐化は否定できず、現在の真の実力は「第6級アマチュア無線技士」という架空の資格に相当するレベルだと思っています(^^)

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ヤフオクやメルカリには時々、数十年前の懐かしい記憶が鮮やかに蘇る品が出品されていることがありますので注目しています。

 

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問題の正解

無線工学(送信機・問題25) ①

無線工学(送信機・問題15) ①

法規(アマチュア局の免許・問題24) ③=昭和50年当時

法規(アマチュア局の運用・問題30) ①

三県境の境界プレートが盗難被害に・・・(><)

標題の通りです。栃木県、埼玉県、群馬県の3つの県で構成される三県境の境界プレートが何者かに盗まれて無くなっているとのことです。

この、栃木・埼玉・群馬の三県境は全国でも唯一の平地にある三県境で、最寄り駅から徒歩10分で誰でも気軽に行ける三県境として、地理マニア、地図マニア、珍スポットマニアに絶大な人気があります。

ちなみに、全国には40もの三県境がありますが、ここ以外は深い山の中であったり、河川の中にあったりするため、そう気軽に行けるものではありません。

私も平成30年(2018年)10月23日に訪れていまして、訪問記をブログ投稿しております。

 

↓ この記事です。昨日までほとんど誰にも読まれていない記事です(^^)

saitama-dame.hatenablog.com

 

3県の境界を示す円形で直径約8cmの真鍮製プレートが盗まれたというニュースに大ショックを受けています。

 

↓ NHKニュースサイトより コンクリートの杭には剥ぎ取られた跡が・・・

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ニュースサイトの写真には、無残にも真鍮製の円形のプレートが剥ぎ取られたコンクリート製の杭だけが映し出されています。

私はてっきりこのプレートの裏側には長さ10~20cm、径が10~16mmくらいのアンカーボルトのような形状のものが溶接されていて、コンクリートの杭に埋まっているものだとばかり思っていましたので、剥ぎ取られたと聞いてやや意外な印象を受けました。ただ単に貼り付けられているだけとは考えていませんでした。

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3年前に訪れた際にこの円形プレートの写真を撮ってありますのでご覧いただきたく思います。

 

↓ まずは栃木・埼玉・群馬の三県境の様子がこちらです

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↓ 三県の県境界がここです。コンクリートの杭とプレート判りますか?

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↓ これが3年前に撮影した三県境界のプレートです

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↓ このプレートを象ったスタンプも・・・

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非常に残念な出来事で嘆かわしいです。このプレートが無くなっていることは、たまたま栃木市職員の方が気づき、栃木県警に盗難届を提出したため栃木県警が捜査をすることになったそうですが、本件は特例として3県の県警(栃木県警・埼玉県警・群馬県警)合同で徹底した捜査をしていただきたい案件。

まぁ、盗ってしまった人が事の重大さに気付き、いずれかの警察署に出頭、謝罪、そしてこのプレートを返還して解決という流れが望ましいんですけどねぇ・・・。

過去記事アーカイブス ~平成30年9月11日~

今日は4連休明けで久しぶりの出勤日でした。いきなり全力投球などせず、今日は肩慣らし程度にしようと考えていましたが、ドッサリと依頼事項が舞い込んできまして普段以上にバタバタしてしまいました。

帰宅後はグッタリ倒れ込んでしまい、ブログ記事をまともに書く余力も残っていませんので、久しぶりに「過去記事アーカイブス」にさせてください・・。

 

本日は、平成30年(2018年)9月11日に投稿しました「約38年前の大相撲トランプが出てきました」という記事を再掲します。通算190回目の投稿です。

 

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約38年前の大相撲トランプが出てきました

 

今日は写真が中心の記事になります。実は一昨日、押入れの奥に眠っている「大相撲トランプ」を発見しました。昭和55年ごろに相撲雑誌の懸賞で当選していただいたものなんです。

昭和55年頃ですと、私は高校2年だったと思いますが、そのころはトランプで遊ぶことはなく、専ら麻雀ばかりやっていましたので、この「大相撲トランプ」はほぼ未使用状態です。

↓ 「大相撲トランプ」パッケージの紙箱からも昭和の雰囲気が感じられます

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↓ 紙箱から取り出します

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↓ 上位から順に並べてみます

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この4横綱が揃うのは昭和54年秋場所から55年九州場所までの8場所です。その間に制作されたものですね。

↓ 懐かしい四股名や写真の数々

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↑ 立行司木村庄之助がJOKER。裏面は国技館本場所の様子を描いた絵画です。

大相撲は昭和44年名古屋場所場所から今日まで50年近くテレビ桟敷で観戦しています。大相撲を取り巻く環境の変化、力士の体格の大型化や多国籍化、ファン層の変化、大相撲人気の浮き沈み、マスコミの報道姿勢の変化なども全て含めてその移り変わりを楽しんでおります。

 

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以上が平成30年(2018年)9月11日の投稿記事でした。いかがでしたでしょうか。

 

4連休が明けたばかりですが、いきなり疲労困憊となり、早くも週末の休日が待ち遠しく感じております(^^)