埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

職場の送別会でお別れのメッセージを話す機会を失ったダメ人間

あ、私が退職するのではなく、勤め先の会社の中で鉄工部門で溶接などを担当する方の退職送別会です。今夜隣町の割烹・小料理店で行われました。

退職される方は70才で勤続50年のベテラン職人Aさん。すでに65才で定年にはなっていますが、身体の衰えが見られない上に溶接技術が優れており、定年後も会社から乞われて雇用延長を5年も繰り返してこられた方です。70才とは思えない若々しさ。10年サバを読んでも気づかれないかもしれません。若さを保つ秘訣を聴きましたら、休日に自転車で10kmほどマイペースで走っているとのこと。やはり身体を動かさなければいけないですね。見習いたいと思います。

さて、今夜の送別会には50名前後の参加がありまして、歓談の途中、部長級の職員やAさんと関わりの深い方々から次々にお別れのメッセージが語られます。(社長や役員級は歓談の途中ではなく、改まった形で送別の辞を話します)

私、ダメ人間もAさんに語りかけるメッセージを用意していましたが、社内での立場が底辺で、影も薄いので、その順番が回ってくることなく送別会は予定の時刻を迎えお開きになってしまいました。う~~~ん、残念・・・。

仕方がないので、Aさんに語るはずだったメッセージをここに記します。

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「Aさん、50年もの長きにわたるお勤め、大変お疲れさまでした。Aさんがこの会社に入社された昭和43年当時の工場はM製作所という名称の鉄工所で、大正生まれの戦地からの復員兵だったコワイ先輩らに囲まれ、中には背中に鯉や般若の絵が描かれた人も何人かいたと聞いています。今の時代では考えられない大変な、恐ろしい体験をされたのではないかと想像します。50年の時を経て、Aさんは工場の大長老となり、これまで多くの後輩を育ててこられました。工場にはAさんが育てた若い技術者がたくさんいます。Aさん、見てください、ここにいる平成生まれの甘いマスクのイケメン溶接技術者たちを。大正生まれの復員兵から平成生まれのイケメンまで、これだけ幅広い世代の人々と関わりがあったのはAさんしかいないと思います。これは本当に凄いことです。」

「実はAさんにお願いがあります。数年前に工場を定年で退職されたS田さんとS本さんは退職後急いで天に旅立たれています。S田さんやS本さんがそれぞれ生きるはずだった20年をAさんが引き継いで、2人分の40年を生き抜いていただきたいと願っております。つまり110才まではお元気で過ごしていただきたい、それが私からのお願いです。Aさんの健康状態を奥様が懸命に管理されていることを聞いています。その甲斐あって今も若々しいAさんですから110才も夢ではないと思います。どうかこれからも充実した人生を歩まれてください。50年間本当にお疲れ様でした。」

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こんなメッセージを語ろうと考えて送別会場に向かったんですが、自分の職位が低いためか、存在感がないためか順番が回ってきませんで、このお別れメッセージ、Aさんに伝わることなく幻に終わってしまいました。