今日5月15日は、沖縄本土復帰記念日ですね。昭和47年の今日、沖縄の施政権が米国から日本に移りましたが、当時小学校3年生だった私はそれがどういったことなのかよく理解できていませんでした。ただ、沖縄返還の記念切手を買ってもらって大喜びしたことははっきりと記憶しています。
↓↓↓この切手です、これは昨年の展示会の広告ですので、今年は復帰46年です。
古銭や記念硬貨、紙幣類はこの頃から現在まで収集を続けていますが、切手収集はあまりにも次から次へと記念切手が発行されるため購入資金が続かず、高校に入学する頃に止めてしまいました。収集した切手はアマチュア無線のQSLカードを送付する際にペタペタ貼ってポストに投函して使ってしまいました。ですから手元には殆ど残っていません。
沖縄本土復帰から6年後、昭和53年7月30日に沖縄県で「自動車の対面交通が右側通行から左側通行に変更」される一大イベントが行われました。この出来事は私も中学3年になっていましたので、はっきり記憶にあります。
戦前の沖縄は現在と同じく自動車は左側通行でしたが、戦後米国の占領下に置かれたため昭和22年5月からは自動車は右側通行になってしまったんです。
それから25年後の昭和47年の今日、沖縄は日本に復帰しましたが、すぐに自動車の右側通行を左側通行に戻すわけにもいかず、6年後の昭和53年の7月30日にようやく左側通行に変更したのでした。
変更作業は相当綿密な計画に従って行われたようで、何か月も前から左側通行用の信号機や標識を設置してそれを覆い隠したり、左側通行に即した交差点の改良や道路の拡張を行っていました。
そして右側通行から左側通行に変更する前日(7月29日)の午後10時に沖縄県全域で自動車の通行が禁止され、新しい標識を隠していた覆いを古い標識に移したり、新しい路面の白線を隠していたテープの除去などの作業が行われ、朝4時18分に作業は完了。朝6時に自動車の左側通行への移行が完了したそうです。大変な作業だったと思います。
沖縄県での自動車の右側通行から左側通行への変更施行事業を、「730(ナナサンマル)」と称していますが、これはもちろん施行日からとっています。
この「730」、アマチュア無線の世界でも記念QSLを発行するなどしてPR運動が活発でして、この変更日当日に私も沖縄県のアマチュア無線局と交信して記念QSLカードをゲットしました。
↓↓↓これが昭和53年7月30日に交信(1局は受信)して得た記念QSLカードです。カードの左上の赤と青の三角形イラストは車線が右レーンから左レーンへ移動することを表しています。
この時、私は中学3年でして7月30日といえば夏休みです。7か月半後に高校入試を控えて勉強しなければならばいはずですが、勉強など全くせず朝から晩まで「CQ CQ」と趣味のアマチュア無線三昧。毎日数十局の国内外のアマチュア無線局との交信を楽しんでいました。
おまけにその合間に海外放送の受信も行っていまして、毎日午後3時からキューバ、午後4時からスイスとオランダ、午後5時からは日本語放送でソ連、米国、午後6時から北朝鮮、午後6時半から中国、午後7時オーストラリア、フィリピン、午後8時英国、午後8時15分西ドイツ、午後8時半エクアドル、午後9時ベトナム、深夜になりますと近隣諸国の中波放送などなど・・・受信しまくり。受験生とは思えない暮らしですよね。
55才になった今の私は、仕事大嫌いのダメ人間なのですが、中学生のころは勉強しないダメ人間だったんですね~。今も昔もダメ人間。改めてそう思います。