連日の猛暑で、勤務中は連日熱中症の一歩手前の状態になります。私、本来は事務職のハズなんですが、さまざまな資材、材料などの納品時にはフォークリフトやクレーンを操作して荷下ろしをしたり、或いは手作業で荷下ろしをすることもあります。
複数のお取引先の方々が立て続けに納品に来られた際には、猛暑の中で休みなしで肉体労働が続きますので、自分でも「あ、これ、危険な状態だ・・・マズイな・・・」と感じることもあります。
そんな労働環境ですので、夕方5時を回りますと倒れ込みそうになってしまいます。残業などできる体力も残っていませんので、午後5時半を目途に帰宅します。
今日は19日、44年間読み続けている「CQ ham radio」誌の発売日です。書店に買いに行こうと思いましたが、疲れ切っており書店まで行く気力が湧きませんでした。すぐに売り切れる雑誌でもないので、明日以降買いに行くことにします。
この「CQ ham radio」誌ですが、最初に購入したのが昭和49年11月号です。小学校5年生の秋のことです。親や親戚にアマチュア無線をやっている人はいませんので、そうした身近な人の影響を受けたわけではありません。
↓ CQ ham radio誌 昭和49年11月号
実はCQ ham radio誌は部屋が雑誌類でいっぱいになったため、昭和60年ごろに大量に廃棄したことがあります。ほかにも週刊ベースボールや相撲、大相撲、ラジオの製作、初歩のラジオなどを捨ててしまいました。この写真のCQ ham radio 昭和49年11月号はヤフオクで買い戻したものなんです。
↓ 裏表紙、トリオのVHF・UHF機器の広告
小学校5年生当時、記事の内容はあまり理解できなかったのですが、こうした憧れのアマチュア無線機器のカラー写真を眺めて楽しんでいました。すでに無線機器を自作する時代ではありませんでした。
↓ 八重洲無線のHF機のカラー広告
小学校5年生にとって、12万円とか16万円などといった金額は気が遠くなる数字でした。
↓ 八重洲無線のVHF機
当時の144MHz/FM機は10チャンネル程度しか送受信できないものが主流で、高価な200チャンネル実装機はまさに高嶺の花。
↓ 左側のページ、当時の中学生や高校生に大人気だったRJX-601
RJX-601は50MHzのAMとFMで出力3W。パナソニックも当時はアマチュア無線機を製造販売していました。RJX-1011という最高級HF機も販売しており、定価が43万円だったと記憶しています。またRF-8000という最高級オールウェーブ受信機も販売(受注生産)していました。定価60万円でした。
↓ 福山電機工業も優れた無線機を世に送り出していました
↓ ICOMは当時はVHF機のイメージで、ややマイナーな印象でしたが・・・
今では押しも押されぬ業界トップ企業の一角を占めていますね。
↓ その姿から「レジスター」の異名があった、TRIOのTR-7300
ユニークな形の無線機で、今も語り草になっています。
↓ NECも無線機の製造販売をしていました
今日の記事はアマチュア無線を知らない方には全く面白くない記事でした。疲れていますと写真をベタベタ貼り付ける手抜き記事になってしまいます。申し訳ありません。