埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

41年前の今日、アマチュア局の第一声をあげました

今日、9月15日は私がアマチュア無線局(呼出符号JH0IAM)の免許状を受け取り、第一声をあげた日です。

昭和52年4月に長野市電話級アマチュア無線技士国家試験を受験。当時は1年間に2回(4月と10月)しか受験の機会が無く、試験場も原則として札幌、仙台、東京、長野、名古屋、金沢、大阪、広島、松山、福岡、那覇の11ケ所しかありませんでした。

まだ中学2年になったばかりの私は長野市の試験会場まで独りでは行くことができないため、父親に有給休暇を取って付き添ってもらい、急行赤倉に乗車して長野市まで日帰り往復した記憶があります。

5月に試験の合格通知を受け取り、6月に無線従事者免許証を受領。そこからアマチュア局開設に必要な機器を入手し、アンテナを製作し、アマチュア無線局の開設申請書を提出し、9月11日付で信越電波管理局から無線局免許が与えられました。中学2年の秋、14才4か月でした。

免許の日が昭和52年9月11日ですが、郵送された無線局免許状が届いたのが9月15日(木曜日=敬老の日)でしたので、第一声をあげたのは免許の日から数日のズレがあります。

無線局免許状が郵便で届きますと、最大の関心事はやはり「呼出符号」です。生涯にわたって付き合っていく第二の名前のようなものです。

開封して「JH0IAM」であることを確認しますと、呼出符号にアマチュア無線の俗称である「ハム(HAM)」の3文字全てが含まれています。しかも「IAM」は英語を習った方なら誰でも知っている「私は・・・」の「アイ アム」ですので印象に残りやすい上に、モールス符号では ・・ ・- -- と非常に簡単に打鍵することができる非常に良い呼出符号でしたので本当に驚きと嬉しさを感じました。この瞬間は今もはっきりと記憶しております。

アマチュア無線局開設に至るまでお世話になった市内のアマチュア無線の先輩の方々に電話連絡し、午後7時に第一声をあげることを伝えます。今のようにLINEなどありませんから、一人ずつ電話連絡です。

すでに用意してあった真新しい業務日誌の表紙に「局名 JH0IAM」とマジックペンで書き込み午後7時を待ちます。

↓ 今では汚れが目立つ業務日誌の表紙

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午後7時に予め打ち合わせていた周波数で形式的に「CQ CQ こちらはJH0IAM・・・」と第一声。アマチュア無線の世界に導いてくれたJA0XXZ局、次いで技術的、実践的な指導をいただいたJH0GRQ局と交信を済ませます。昨日までは受信するだけの立場でしたが、今日からは堂々と電波を送信することができます。その喜びをかみしめながら、天にも昇る気持ちで交信していました。

↓ 業務日誌の1ページ目

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この日からほぼ毎日、早朝から深夜までアマチュア無線を楽しむことになり、高校受験の受験勉強をしなければいけない時期になっても勢いは止まりません。勉強をしない中学~高校生になってしまいました。

あれから41年、今も細々と継続しております。現在では総務省の電波利用ホームページで無線局免許等情報が閲覧できます。

↓ 現在のJH0IAM局。平成34年9月10日までの免許を受けています

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アマチュア無線を知って中学~高校と勉強しなくなり人生を棒に振ってしまった・・・のか? いや、アマチュア無線の世界に足を踏み入れて、一般の方が経験することができないさまざまな刺激を受け、充実した人生を歩ませていただいております。私にとってはかけがえのないものです。