埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

「日輪の下に」を観て毎回考えることなんですが・・・

2月11日(祝日・月曜)に「第44回日輪の下に」を観て3日が経ちました。あまりに素晴らしい演技を観たためか、今週は極端に短く感じます。明日出勤すればまた週末で休みです。

毎回「日輪の下に」を観ながら考えることがあります。

各校の応援団、応援部、応援指導部に所属する方々は、どのような経緯で入団、入部したのだろう? という疑問。この六校で応援がやりたくて、「日輪の下に」で演技披露をしたくて難易度の高い六校を目指したのだろうか?

それとも、入学後に勧誘されて入団、入部したのだろうか? 強引に勧誘されて断り切れずに入部したのだろうか? 騙されて(笑)入部した人はいないのだろうか?

また、いわゆる名門、一流進学校と呼ばれる高校に入学した直後に勉強中心の生活に入ると思いきやあえて負担の大きい応援団、応援部、応援指導部に入団、入部することについて、ご父兄をはじめとする周囲の方々の反応はどうだったのろう? 反対意見は無かったのだろうか? 入団、入部後の厳しい練習でイヤになったりしたことはなかっただろうか?

この問いについては、浦和高校の野球応援メドレーの中の学生注目の際にこのような本音を聞くことができました。

「毎日厳しい練習が続き、もうやめたい、逃げ出したいと思っていたが、周りの方々が支えてくれたおかげで今日まで応援団を続けることができた。」「本来は人々を応援しなければならない立場の自分が、逆に応援され続けていた。」といったような内容を話されていましたが、ご自身の立場や置かれた状況を冷静に分析され、飾らない言葉で語った見事な学生注目だったと感じました。

また、2年ほど前に川越高校放送部が制作した「バッジが伝えるもの」というドキュメンタリー作品(約14分間)は、応援団の存在意義や厳しさを伝え、それでもなお入団し応援活動を継続していく中での葛藤や苦悩と対峙する川高生の姿を追っています。この作品から伝統を受け継いだ名門校の応援団の華やかな面だけではなく、厳しい面が何倍もあることを知ることができます。素晴らしい作品です。この「バッジが伝えるもの」はYouTubeで検索しますと簡単に視聴することができます。是非一度ご覧になられることを強くお勧めします。

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また、毎回考えることなんですが、六校応援団連盟所属校の応援団(部)員、応援指導部員として活躍し、幹部を務めた方々は卒業後に進学した大学で応援団、応援指導部に入団、入部することができるのだろうかと気になってしまいます。

埼玉県内では誰もが一目を置いている伝統ある名門高校の応援団、応援部、応援指導部で頂点を極めた人々が、大学進学後にまた改めて最下級生の立場からやっていけるものなのだろうか? もしかしたら、輝かしい高校での応援実績が大学応援団への入団を躊躇わせるのではないか、そして一般学生として神宮球場の片隅でひっそり観戦しながら横目で大学の応援団員の姿を目で追い、「あぁ、俺も100年の伝統を受け継いだ高校の応援団でリーダー長を務めていたんだよなぁ・・・」などと呟くのかな・・・? と考えていました。

ところが、そんなことにこだわらずに果敢に大学応援団に志願していく六校応援団卒業生が一定数存在します。平成30年度の東京六大学応援団連盟の連盟委員長、川端竜史氏は県立浦和高校でリーダー長を務められていまして、私の手許にある「第38回日輪の下に」のプログラムの浦和高校の紹介ページにしっかりと写真付きで紹介されています。そのほかにも「日輪」から「六大学」に活躍の場を移している方が何人かいまして、本当に驚かされます。

伝統ある名門高校で最頂点に君臨し、大学で志願して最底辺に身を置き、そこからまた頂点にまで這い上がり、突き進むことは並の精神力ではできないこと。どれほどの年齢差があろうと、私はこうした方々を本当に尊敬します。私では絶対に真似ができないです。

明日も「日輪の下に」に関連するこぼれ話を紹介します。「日輪の下に」の他にも静岡県茨城県でも近年、高等学校の応援団の演技披露会が催されています。また珍しいところでは「東京六大学付属校」による「六旗の集い」(六大学の「六旗の下に」とは違います)という催しがありましたが、こうした他県の試みなどについても紹介しつつ、「日輪の下に」が何故40年以上も県民に支持され、毎年多くの観客を集め、永続できているのかを考えてみたいと思います。

明日もお読みくださると嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。