今日は36年振りに「母校」を訪れました。「母校」と言っても、大学でも高校でも中学校でも小学校でもありません。幼稚園でもありません。
今日訪れたのは大学受験予備校です。私は昭和57年4月から1年間、新潟市花園(JR 新潟駅前)にあった、新潟予備校に通っていました。
当時は大学受験生の浪人は非常にたくさんいまして、私の出身高校などは卒業生の半数は浪人となっていました。現在では考えられないことですね。
少子化の影響から大学全入時代になりますと、浪人の数は一気に減少してしまい、この新潟予備校も残念ながら平成18年(2006年)3月をもって休校=廃校となってしまいました。
しかしながら、当時の校舎は今も残っていて、専門学校の校舎として使用されているらしいと聞き、本日午後に36年ぶりに訪れてみました。
↓ 新潟駅万代口から東の方向へ徒歩1分。右手に見えてきました。懐かしい・・・
↓ 新潟予備校だった校舎。今は新潟保健医療専門学校さんの校舎なんですね
↓ 36年前に毎日昇降した正面入り口の階段
↓ 校舎の西側と裏側(南側)
新潟予備校だったことを示すものを探してみます。
↓ 「定礎」竣工は昭和55年2月。私も通学時に毎日見ていました
ここに、高崎栄通氏のお名前がありますが、この方が新潟予備校を経営されていました。昭和41年に新潟予備校出版部から「いばら〜予備校経営者の歩いた道」という図書(216頁)を出版されており、現在も国立国会図書館に収蔵されています。
↓ 校舎の西側に高崎氏が詠まれたのでしょうか、石碑が残っています
人の世は生き甲斐のありか※※※←判りません(><)
いばらの花に刺ありてこそ 栄通
とあります。 これは新潟予備校の石碑に間違いありません。(予備校に通っていた頃には気づきませんでした・・・)
この石碑の左隣にも石碑があるのですが、植物の枝や葉に覆われていまして確認できません。漢字一文字「愛」と彫られているように見えますが、覆っている植物も現在は新潟保健医療専門学校さんの所有物ですので、勝手に触れることができません。
この校舎がかつて新潟予備校だったことを示す遺物が見つかって嬉しく感じました。今でもこの校舎を大切に使ってくださっている新潟保健医療専門学校さんのおかげで懐かしい校舎に再会できました。特に正面入り口の階段を見たときには、一瞬ですが36年前の自分に戻れました。訪れて本当によかったと思います。(^^)
5月5日午後7時加筆修正