子どもの頃から、休日の朝が嬉しくて早朝から目を覚ますクセがあります。
特に小学校に通っている頃は、休日の朝は午前4時半に起床していました。学校に行かなくてもよいという解放感があまりにも嬉しくて自然に目が覚めてしまったものです。
それに関連した余談ですが、小学校~大学まで、学校に通っている頃はまだ週休二日制ではなく、土曜日は午前だけ授業がありました。従って、休日は日曜日のみでした。ただ、学校に通っている頃は、夏休みや冬休み、春休みがありましたので、1週間に1日だけの休日でもそれほど抵抗はありませんでした。土曜日と日曜日が毎週連休となったのは、私が勤め人になって2年目か3年目くらいの昭和63年か平成元年からだったかと記憶しています。それまでは土曜日は「半ドン」が一般的でしたし、殆どの国民は土曜日と日曜日の完全週休二日制など考えたことも無かったと思います。
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今日は土曜日で休日ですが、子どもの頃のように元気バリバリではなく、今は疲れた爺さんですので、今朝の起床は朝7時。今日は浦和の骨董市で古銭類を譲ってもらって、その後は「練馬区西大泉町飛び地」か「富岡八幡宮の横綱力士碑」、或いは「東京23区唯一の渓谷・等々力渓谷」のどれかに行ってこよう・・・、などと考えてワクワクしていました。
ところが、NHKの「チコちゃん」をのんびり視聴していましたら、宇都宮線が人身事故で運転見合わせとの報道があり、急遽埼玉新都市交通(ニューシャトル)で大宮駅を目指すことになり大幅に時間のロスが生じ、やっとの思いで浦和駅を降りて骨董市会場を目指そうと思いきや、スゴイ勢いの大雨に見舞われてしまい、傘をさしていたものの衣服も靴も鞄もびしょ濡れに・・・。
もう「飛び地」とか「富岡八幡宮」とか「等々力渓谷」を目指す気力も失せてしまい、古銭類を廉価で譲っていただいて自宅へと戻ります。
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自宅に戻りますと、テレビでプロ野球中継を観ながら、今日入手した古銭類と、5月~6月に入手した古銭類の整理に着手します。
↓ この2か月の間に入手した古銭類
↓ 相変わらず、「ギザ10」お気に入りです。所有数は2500個を超えました
↓ その他の古銭類も数枚ずつ増えています
↓ 先月の骨董市で「5円黄銅貨」の楷書体(昭和24年~32年発行)を50個入手しました
60年以上使われてきた5円黄銅貨ですのでどれも傷みや汚れがあります。
参考までに、5円黄銅貨の新旧2種類の違いを簡単に説明します。
↓ 新旧2種類の5円黄銅貨(額面=五円が記されている面)
↓ 新旧2種類の5円黄銅貨(日本國または日本国と発行年が記されている面)
左が旧いタイプの5円黄銅貨で、昭和24年~33年まで発行(昭和29、30、31年は発行されず)されたものですが、「日本國」の「國」の字が旧字体です。しかも文字は楷書体(筆で書いたような字体)です。
右は新しいタイプの5円黄銅貨で、昭和34年から現在まで60年間も発行され続けています。「日本国」と「國」が「国」に改まっています。字体は現代的なゴシック体に切り替わっています。
一部のマニアは旧いタイプの5円黄銅貨をフデで書いたような楷書体なので「フデ5」と称して「ギザ10」と同じように収集の対象にしています。私も「フデ5」には関心があり、手許には1100個あります。「ギザ10」に比べて集めにくいため、「ギザ10」の4割程度しかありません。
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さて、今月は少し変わった古銭を入手しました。「未発行1銭陶貨」です
↓ これです(直径15mm)
この「未発行1銭陶貨」ですが、第二次大戦の戦況悪化により硬貨の材料が「銅」から「アルミ」そして「錫」へと質を下げていきましたが、さらにその次の材料として「陶貨」が検討されていました。
素材が「土」ですので金属のように細かい文字を記すことはできませんのでこの陶貨には発行年号がありません。明治以降の硬貨では唯一発行年が記されていないものだと思います。本来なら「昭和二十年」と入れなければならない筈です。
この陶貨、昭和20年4月から製造に着手し、京都市や愛知県瀬戸市、佐賀県有田町といった「せともの」の名産地の工場で約1500万枚製造されましたが、同年8月に終戦を迎えたため、実際に発行されることは無く、製造された1500万枚の陶貨の殆どは粉砕廃棄されました。しかしごく一部の陶貨は粉砕廃棄を免れ、70数年を経た今でも私のような古銭マニアの手許に残っているんです。