埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

小学5年生の私、日本ハムには全く期待していなかった・・・

今日はプロ野球ネタです。44年前の昭和50年(1975年)プロ野球開幕前に発行された野球雑誌をパラパラとめくりながら当時を振り返ることがあります。昭和50年の私は小学校6年生。それまではプロ野球の情報はテレビやラジオの実況中継を視聴し、新聞のスポーツ欄を読む程度でしたが、6年生くらいになりますと、書店に頻繁に立ち寄って野球雑誌を購入するようになります。

残念ながら、当時購入した雑誌の大半は昭和58年春の大学進学の際に処分してしまいましたが、ごく一部の雑誌は手許に残っています。また、近年ヤフオクで当時の雑誌などを買い戻して改めて入手することもあります。

44年前の球団名や球場の名称一覧を見るだけでも、懐かしさを感じます。

↓ セ・リーグはあまり変化がありませんが、パ・リーグは大きく変化していますね。

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セ・リーグは大洋が横浜に替わったくらいで、ヤクルトと阪神は使用球場も現在と同じですね。

パ・リーグは大きく変化していまして、現在も存続しているのはロッテと日本ハムだけ。阪急、南海、近鉄といった大手私鉄球団はその後消滅。九州の大手私鉄西鉄太平洋クラブに身売りし、その太平洋クラブも長続きしませんでした。

使用球場は解体されてしまったものが多いのですが、仙台宮城球場は現在の東北楽天の本拠地、楽天生命パーク宮城に生まれ変わりました。西京極球場は現在のわかさスタジアム京都。アマチュア野球や女子プロ野球で使われている印象があります。小倉球場は現在の北九州市民球場ですね。

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パ・リーグは鉄道会社の球団が多く、巨人や中日のような新聞社の球団に比べてメディア露出が少なく地味な印象がありましたし、数年前に西鉄ライオンズ所属選手を中心に八百長に関与したとされる黒い霧事件があり、パ・リーグ人気は全体的に低調だったイメージがありました。

そのためか、昭和40年代後半から昭和50年代前半は球団経営会社が次々と変わることになり、東映が日拓になり、日拓は昭和48年1年間で球団経営から撤退して日本ハムに身売り。西鉄太平洋クラブに身売りし、太平洋クラブが4年間球団を維持しましたが、昭和52年にクラウンライターに身売り。クラウンは2年間だけ球団経営し、西武に身売りすることになります。

そんな中で、昭和49年から球団経営に乗り出した日本ハムに、小学校5年生の私は・・・日本ハムなんて、どうせ1年か2年で球団経営を止めるんだろう・・・」と、全く期待していなかったんです。当時のパ・リーグ大手私鉄の球団(阪急、南海、近鉄)が盤石で、特に阪急と南海は戦前から続く老舗球団。それ以外の新興球団はどうしても見劣りしていたんです。

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ところがところが、日本ハムは現在に至るまで45年もパ・リーグを支えてくれました。関西の大手私鉄会社が次々と球団を手放す中、長期にわたって球団を維持するだけでなく、パ・リーグを大いに発展させてくれました。

昭和50年ごろのパ・リーグの試合の観客人数は3000人程度のことがよくありましたが、現在のパ・リーグセ・リーグに負けないくらいの観客動員を誇ります。休日のパ・リーグの試合のテレビ中継を観ますと、3万人とか4万人の観客が詰めかけた球場の様子が映し出されますが、パ・リーグ不人気の時代を知る者にとっては考えられないことなんです。日本ハムを含めたパ・リーグ各球団の経営努力が実を結んだものと思います。中でも日本ハムは北海道に拠点を移したり、新たな手法のファンサービスを導入することに積極的だったりと、パ・リーグ発展に最も貢献したのではないかと思います。

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45年前に、球団経営を始めた当時の日本ハムに期待していなかった小学校5年生の私。日本ハム球団に対して大変失礼なことを考えてしまったと感じています。今では買い物の際に、ハム、ソーセージ、チキンナゲット、レトルト食品などは積極的に日本ハム製品を購入し、45年前の非礼を詫び続けております(^^)。ハムもソーセージもどれもとても美味しくいただいており、日本ハムは球団経営だけでなく食品製造販売会社としても私の満足度は極めて高いです。\(^o^)/