昨日は夏の甲子園出場を目指す高校野球・東東京大会決勝、都立小山台×関東一高を東京の明治神宮野球場まで観戦しに出かけましたが、今朝になって神宮球場での日焼け箇所がヒリヒリするようになってきました。加えて長い距離を歩いた影響で両脚、両膝がやや痛むため、今日の日曜日は外出せず自宅で埼玉県、西東京、神奈川県の高校野球決勝戦をNHKテレビでのんびりと観戦して過ごしました。
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地元の埼玉県の結果です・・・
計
花咲徳栄 6 1 0 0 1 2 0 1 0 11
山村学園 1 0 0 0 1 0 0 0 0 2
(花咲徳栄は5年連続7回目の全国大会出場)
西東京の結果です・・・
計
国学院久我山 1 1 0 0 0 0 0 0 2 4
創 価 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2
(国学院久我山は28年ぶり3回目の全国大会出場)
神奈川県の結果です・・・
計
東海大相模 0 1 6 7 1 2 7 0 0 24
日大藤沢 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
(東海大相模は4年ぶり11回目の全国大会出場)
埼玉も神奈川もスゴイ試合です。これらの試合を自宅でNHKテレビの中継を観戦しながら休養していました。一定の年齢を超えますと、2日連続で遊ぶのはキツイですね。1日遊んだら1日は休養する必要があります。
途中、高校野球の地方予選を球場まで観戦に行った際に購入した選手名簿で、手元に残っている最も古いものはどれかと探してみました。昭和50年代の選手名簿は見当たらず、昭和60年夏の神奈川県予選の選手名簿が最も古いものでした。
↓ これです。「高校野球」の題字が素晴らしい!
↓ 表紙をめくってみます
↓ 「球場案内」には平成12年に解体撤去された川崎球場も載ってます
↓ 前年の夏に甲子園出場を果たした桐蔭学園と、今も昔も強い横浜高校。
↓ 今日24-1と記録的大差で甲子園行きを決めた東海大相模の34年前の雄姿
このようなチーム紹介の頁のほかに、ベンチ入り選手の背番号・守備位置・氏名・学年・出身中学・身長が記してある名簿の頁もあります。後に大学、社会人、プロで活躍する選手の名前も見つけることができ、非常に興味深いです。
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この選手名簿を買い求めたのは、昭和60年7月23日、慶應義塾高×大和東の試合を川崎球場で観戦したときだったのではないかと記憶しています。当時の慶應義塾高は有望選手と言えども難関の入試を経て入学するしかなく、結果としてチームの強化が図れない状況でしたが、この年の慶應義塾高は井上投手が注目を浴びており、そのピッチングを観に行きました。評判通りの好投手だったと記憶しています。
余談ですが、その試合の2日前の7月21日に、川崎球場でプロ野球オールスターゲームが行われ、そのときに外野スタンドの歓客が残した大量のゴミが放置されていたことが印象に残っています。当時はゴミ処理を翌日、翌々日にしていたこともあったんですね。