現在開票作業が行われている埼玉県知事選挙の速報を視ながらの投稿です。
昨日は埼玉県知事公館を訪れ、県立浦和高校と県立浦和第一女子高等学校のそれぞれの創立100周年記念碑にも立ち寄ることができました。
また、県知事公館前から市役所通りを100メートル弱歩き、中山道を横切りますと、さいたま市役所がありますが、その構内には「埼玉サッカー発祥の地」の彫像と「埼玉県師範学校跡」の石碑があります。
↓ 「埼玉サッカー発祥の地」彫像
↓ 埼玉サッカー発祥の地碑文
↓ 改めて正面から撮影。力強さや躍動感が素晴らしい。今にも動き出しそう・・・
↓ 裏側からも撮影
長身でヘッディングをしている選手の背番号は「9」
もう一方のボールを狙っている選手の背番号は「3」
我が国サッカー黎明期の襟付きユニフォームに目を奪われます。
↓ 彫像の制作は島田忠恵氏、デザインは鈴木国平氏
何故ここが「埼玉サッカー発祥の地」なのかといいますと、埼玉のサッカーは明治41年6月に埼玉県師範学校で始まり、多くの指導者が県内各地に教師として赴任したことにより、普及、発展を遂げたからです。現在では、さいたま市役所になっているこの地はかつて埼玉県師範学校だったことから、「埼玉サッカー発祥の地」となっています。
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そしてもう一つ、「埼玉県師範学校跡記念碑」がすぐ近くにあります
↓ 秩父産の赤色角岩、記念碑というより巨岩。右に詳しい説明碑
説明碑では、埼玉県師範学校跡記念碑建設期成会が昭和53年10月に竣工したとあります。
↓ 巨岩の中央に「埼師跡」の3文字
記念碑としては見たことの無い大きさで驚かされましたが、埼玉県師範学校が県の教育界に残した足跡や及ぼした影響力を考えると、妥当とも思えます。前述の「埼玉サッカー発祥の地」の彫像と併せて改めて拝覧できてよかったと感じた次第です。
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あ、先ほど埼玉県知事公館の新しい主人(あるじ)が決まったようです・・・。