埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

2月21日、37年前の今日は私立大学の受験をしていました

※大変申し訳ありません・・・訂正です・・・。

 

 

↑ 標題の「2月21日」は間違いで、正しくは「2月11日」です。

↓ 本文1行目の「2月21日」も間違いで、正しくは「2月11日」です。

 

本当に失礼いたしました・・・。こんな間違いをするから、2年連続で共通一次試験に失敗するんですね・・・、トホホ・・・。

 

 

標題の通りです。37年前の今日(2月21日)は、東京都内の私立大学の受験をした日ですので、毎年この日になると当時のことを思い出します。

私はもともと国立大学一本槍の受験でしたので、現役のときは国立大学のみの受験で私大は受験せず、浪人して臨んだ2回目の受験も国立大学専願でしたが共通一次試験が絶不調、希望する国立大学への進学はほぼ絶望的になりました。

2浪はしたくないけど大学生にはなりたい・・・。であれば、それまで考えたことも無かったのですが、私立大学を受験するしかありません。

しかしながら、国立大学一本槍だった私は、共通一次試験の社会科でそれほど勉強しなくてもある程度の得点を狙える「地理B」と「倫理社会」を選択していましたので、私立大学入試の社会科で課せられる「日本史」や「世界史」あるいは「政治経済」は全く勉強していませんでした。私立大学を受験することなど全く考えていませんでしたので当然の流れです。

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共通一次試験の自己採点が終わり、希望する国立大学合格は無理と悟ってから、大慌てで私立大学の募集要項を調べ始め、「英語」「国語」はともかく、選択科目となる3つ目の科目に「地理B」か「倫理社会」で受験できる大学を探すことになります。

共通一次試験対策しかやってきませんでしたので、最初から私立大学を目指して大学ごとの過去問などをじっくりと勉強してきた受験生に勝てる筈はありません。しかも「地理B」や「倫理社会」で受験できる大学など殆どありません。

そんな中で、東京・市ヶ谷にある私立大学で幅広い選択科目から選べることを知り、入試難易度もそこまで厳しくなさそうなので、その私立大学の4つの学部に祈るような気持ちで入学願書を提出しました。とにかく大学生になれればどんな学部・学科でも構わないというとんでもない受験生でした。

直前まで入学願書の入手方法や受験料の振込手続き方法、入学願書の作成方法、高等学校の調査書の入手方法、どれも知りませんでしたので、それだけで右往左往していました。当時の高等学校や予備校はそれほど丁寧に指導はしていなかったように思います。

なんとか入学願書を提出したものの、当時新潟県に住んでいた私が、東京で受験するのですから宿泊場所を必要とするのですが、東京には全国から受験生が押しかけますので、1か月以上前からホテルや旅館は予約が殺到しているのだと思いますが、何も準備をしていなかった私は途方に暮れ、親に頼んで東京・上野にあるホテルを辛うじて確保してもらいました。シングルルームは満室で、仕方なく2人部屋に1人で宿泊しました。2人部屋の宿泊料金はべらぼうに高かったと記憶しています。

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国立大学一本槍から急遽私立大学受験に転換し、バタバタしながらもなんとか受験することができましたが、東京の鉄道の仕組みや乗り方がよく解っていない上に、願書〆切ギリギリで提出したためか、入試会場が神奈川県川崎市にある付属高校でしたので、その場所が判らないなど準備不足の私に次々と困難なことが襲い掛かります。今ならスマホで検索すればすぐ判りますが・・・。

そして迎えた2月11日が4学部受験の最初の学部でした。その受験票はまだ手許にありますが差し障りのない部分だけご覧いただきます。

↓ 受験票の一部分

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選択科目が「社会、理科、数学、商業」と幅広く、私立大学文系では必須となっていた日本史や世界史をそれほど学んでいなくても、地理Bや数学、化学などでも受験できました。私はこの選択科目の幅広さに救われました。選択科目には商業もありますので商業高校の生徒(や卒業生)も得意な簿記で高得点を叩き出せば合格できますね。

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結果として、私立大学入試は事前の準備不足もあり、2月11日に受験した学部のみ辛うじて合格し、それ以降の日に受験した3学部は不合格でした。私立大学入試は1勝10敗でもとにかく大学生にはなれますので、1つ合格すればそれで十分です。1つだけ合格した学部に入学し、きっちりと4年で卒業できました。

余談ですが、この受験票の右端には合否の結果を知らせる電報に対する注意事項が記されています。

↓ これです

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この当時、大学入試会場の近くの路上には、合否を電報で知らせるという人たちがたくさん待ち構えていました。当時はインターネット、ホームページなども無く、受験生が合否を確認するには大学構内の掲示板を確認するか、合格通知書が郵送されてくるのを待つしかないことから、受験生に代わって構内掲示板で合否を確認し、その結果を電報で知らせる行為が行われていました。

実際に利用している人は少なかったように思います。電報の発信料金として高額の料金を受け取りながら、「電報を発信しようとしましたが、電話局が混みあっており、急いでお知らせするために電話でお知らせします・・・」と、電話だけで済ませて通信費を大幅に節約するケースが多く、また合否を間違えているなどトラブルが絶えなかったようです。

ネット全盛の現在では考えられない商売です。今でも時々、大学入試で合格すると「サクラサク」、不合格だと「サクラチル」などと表現することがありますが、この合否電報の名残りかと思います。

毎年2月11日になると、昭和58年のこうした一連のことを鮮明に思い出します。当時まだ19才、ですがつい最近のことのように感じます。