埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

バナナが贅沢品だったころを知る最後の世代かも・・・

このブログをお読みくださる方の中には、昭和38年生まれの私よりも先輩にあたる方が何人もいらっしゃいまして、ときどきブログを通じてコメントなどをお寄せくださり、ありがたく拝読している次第です。

私よりも先輩にあたる方(昭和30年代初頭から中頃生まれ)ですと、まだカラーテレビが普及してなく白黒テレビを視聴していた経験や、電話が自宅に無く隣近所で電話がある裕福な家の方にお願いして電話を取り次いでいただいたりした経験があるのではないかと思います。私でも昭和40年代前半(幼稚園に通っている頃)にそのような生活を経験をしています。

電話の無い家庭って・・・、どんなに惨めかと思う方も多いかと思いますが、当時は電話のある家庭と無い家庭とは半々でしたので、特に惨めには感じることはありませんでした。

そんな時代を知っている方でしたら、「バナナは贅沢品」だったころを憶えているかもしれません。

今でこそ、バナナは廉価で気軽に買えるフルーツで、それこそ1カット(4~5本)で200円~300円程度で一年中手に入ります。今は「バナナは贅沢品」と思う人は殆どいないでしょう。

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実は私が幼稚園に通っている頃には贅沢品だったバナナは、小学校に入学した年あたりから急激に価格が安くなり、一気に大衆化してしまいました。

大きく時代を遡り、明治~大正期のバナナは一般庶民などは余ほどのことが無い限り食べることも見る機会もない特別な果物だったようです。昭和の初期になりますと、台湾からの輸入量が増え、庶民でも何とか手が届くようにはなりましたが、贈答品や病気の見舞でいただくもので、まだまだ特別な食べ物でした。

戦時中は輸入バナナの輸送船は軍用に使用され、バナナの入荷量は激減。戦後、昭和25年7月から台湾バナナの輸入が再開されたものの、外貨が不足していた当時の日本は、バナナのような生活必需品ではないものは輸入量を制限しており、国内に流通するバナナは少なく、価格は高値を維持していました。

昭和38年4月にバナナの輸入自由化となり、輸入量、流通量がそれまでの数倍になり、ある程度値下がりはしますが、価格が比較的高い台湾やエクアドルから輸入したバナナですので、劇的な値下がりをしたわけではありません。

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私が幼稚園~小学校低学年の頃がこの時代で、バナナは絶対に買えないほど高いわけではないのですが、あくまで感覚的なものですが、バナナ1カット(4~5本)の価格は現在の価格に置き換えるとおおよそ600~800円前後だったように思います。バナナは普段のおやつに食べられるものではなく、病気で学校を休んだ際に枕元にそっとバナナが置かれていた記憶があります。昭和40年代生まれの方ですと、このような記憶は無いかと思われます・・・。

状況が変わり始めたのは昭和45年から。日本市場向けに輸出するバナナを生産する大農園(プランテーション)を整備したフィリピンが価格が安く、品質が安定したバナナを日本に送り込んできました。

そして昭和48年にはフィリピンからの輸入量が最も多くなり、このころから安くておいしいバナナが手軽に食べられるようになりました。この頃からは現在とほぼ同じような状況になっているように感じます。

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私たちの世代ですと、バナナといえば「台湾バナナ」を思い浮かべる方も少なくないと思いますが、2018年の財務省貿易統計で「国別バナナ輸入割合」を見ますと・・・

1位 フィリピン  83.6%

2位 エクアドル  11.0%

3位 メキシコ    2.8%

4位 グアテマラ   0.8%

5位 ペルー     0.6%

   その他     1.2% ←台湾もこの中に含まれています

 

こうなっていまして、昭和44年まで輸入バナナの大半を占めていた「台湾バナナ」は現在ではほとんど見かけることは無くなってしまいました。

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50年前に「バナナは贅沢品」という印象を刷り込まれたからか、今でもバナナを口にするときはなんとなく嬉しくなってしまいます。

↓ バナナはこれくらいは常備しています\(^o^)/

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特に休日は、食前食後にバナナを食べてま~す (^^)モグモグ