外出自粛の週末が続き、興味あるスポットを訪れたのは2月1日のスガヌマ立体駐車場が最後です。
無線や将棋や古銭収集、そしてブログ閲覧・投稿など、在宅でも楽しめることはたくさんありますので、休日に退屈することはありませんが、どこにも出掛けないと、ブログ記事の内容も「職場の愚痴」とか「昭和40年代の思い出話」とか「蒐集した古銭」といった話題に偏りがちです。
それでも、毎日100人を超える方々に目を通していただき、コメントをいただいたりしており嬉しい限りです。
職場のお取引先の方々からも、ブログ記事の感想をお聞かせいただくことがあります。先日も、3月25日の大相撲の「大関昇進基準」についての記事が参考になったというご意見を拝聴し嬉しく思いました。
↓ この記事ですね
このお取引先の方はまだ20才代後半の方なんですが、大相撲に興味を持っておられ、話が弾みます。
取引先「jh0iamさんは、三役で3場所33勝に達しない大関昇進の容認派なんですね」
わたし「はい、30勝くらいでも相撲の内容とか将来性を考慮したいですね」
取引先「俺は33勝が必要で、32勝だと、アレ?それで大関昇進?って思います」
わたし「平成以降は33勝以上で昇進が定着したからねぇ」
取引先「ブログの記事にあった28勝で大関昇進とかビックリしましたよ」
わたし「あ、そう? では横綱昇進は2場所連続優勝を強く求めますか?」
取引先「はい、2場所連続優勝が絶対条件だと思います」
わたし「ということは、2場所連続優勝を含んで直前3場所では何勝を求めますか?」
取引先「横綱昇進ですから、直前3場所13勝平均で、39勝とか40勝とか・・・」
わたし「なるほど、実は大関で直前3場所33勝で横綱昇進した例があります」
取引先「え? 33勝で横綱昇進ですか? 33勝って大関昇進の基準ですよね?」
わたし「大関で3場所33勝で横綱昇進です。もちろん戦後の15日制です」
取引先「えー? 5勝(途中休場)、14勝(優勝)、14勝(優勝)とかですか?」
わたし「いや、3場所45日皆勤ですよ」
取引先「いやー、33勝って11勝平均ですよ。それで横綱昇進ですか??」
わたし「過去に2例あります。近々ブログに書きます。是非ご覧ください」
仕事の最中に取引先とこうした雑談などしています。困ったものです。
では早速3場所33勝で横綱に昇進した2例を紹介しましょう。
昭和25年9月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇●〇●〇●〇●〇 11勝4敗
昭和26年1月 東大関 〇〇●〇〇〇〇〇●●●●●〇● 8勝7敗
昭和26年5月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇●〇〇〇〇〇 14勝1敗 優勝
これで横綱昇進となりました。当時は年3場所制(1月、5月、9月)です。実は千代の山は新大関だった昭和24年9月に13勝2敗で優勝。続く昭和25年1月は12勝3敗で連続優勝していましたが、不運にも横綱昇進を見送られており、昭和26年5月の3回目の優勝で、合わせ技一本のような形で横綱昇進となりました。
昭和36年5月 東大関 〇●〇〇〇●●〇〇●●〇〇〇〇 10勝5敗
昭和36年7月 西大関 ●〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●〇 11勝4敗
昭和36年9月 西大関 ●〇〇〇〇●〇〇〇〇〇●〇〇〇 12勝3敗 優勝同点
これで横綱に昇進しました。今では信じられない3場所33勝での横綱昇進ですが、ここまで9場所連続2ケタの勝ち星をあげる安定性と将来性が評価され、しかも大鵬とのアベック昇進を期待する世論も味方したのではないかと思われます。
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横綱昇進直前3場所で33勝での昇進はこの2例しかありませんが、平成に入ってから34勝で昇進した例があります。参考までにその3場所の星取を示します
平成11年1月 東大関 ●〇〇〇●●●〇●〇●〇〇●〇 8勝7敗
平成11年3月 東大関 ●〇〇〇●〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 13勝2敗 優勝
平成11年5月 東大関 〇〇〇〇〇●〇●〇〇〇〇〇〇〇 13勝2敗 優勝
大関で2場所連続優勝でしたが、3場所34勝の星だったことから、多少の異議はあったようです。それでも、新入幕の場所から46場所連続(幕下時代からだと52場所連続)勝ち越しの史上稀にみる安定性の高さが評価され、しかも大関で5回も優勝しており、昇進しないほうが不自然だと思います。この武蔵丸の横綱昇進はつい最近のことのように感じるのですが、もう20年以上経っているんですね・・・。