埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

「こども」のころに最も嬉しかった出来事はこれです

外出しない5連休となりましたので、開設しているアマチュア無線局の変更申請でも書こうと思い、過去に総合通信局(電波管理局)に提出した申請書類などの控えを取り出そうとしましたら、昭和52年4月に受験した電話級アマチュア無線技士(現在の第四級アマチュア無線技士)」の国家試験の受験票と合格通がポロッと出てきました。

↓ 左が受験票、右が合格通知 (ラジオの製作という月刊雑誌の付録の用紙を利用)

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捨てた記憶は無かったのですが、見当たらないなあ~、どこにしまったかなぁ? などと考えることはありました。30年ぶりくらいのご対面でしょうか。

今日は「こどもの日」の祝日ですので、「こども」のころに最も嬉しい出来事だった、この国家試験の合格について記します。

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この受験票と合格通知は昭和52年の春ですので、私が中学1年から2年に進級するころのものです。

今でこそ、第四級アマチュア無線技士の国家試験は全国各地で受験ができ、受験機会も頻繁にありますし、養成講習会も全国各地で行われていますので、資格を得るハードルはかなり下がっているように感じます。

当時のアマチュア無線技士国家試験は4月と10月の年2回。会場も原則として電波管理局のある都市(全国11会場)でしか行われませんでしたので、遠隔地に住んでいる者(特にこども)にとっては受験することだけでも大変なことでした。

実際、私の通う中学校でも、アマチュア無線に興味のある友人は何人かいまして、私なんかより数学や理科の成績が優れ、半田ごてやテスターを器用に使いこなしてラジオを作ったり修理したりしていた人たちなのですが、遠く離れた試験場まで行くことを親が許してくれなかったり、家庭がそれほど裕福ではなかったりで、受験することすら叶わなかった人が何人かいました。

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私はたまたま親の理解が得られて、受験願書を提出することができましたが、新潟県のしかも北東部から長野県長野市の試験会場まで一人で行くことは許されず、受験当日は父親が勤め先に有給休暇を申請して受験地の長野市まで付き添ってくれました。父親が勤め先を休むことなど殆どありませんでしたので、ビックリした記憶があります。

私は受験当日の4月7日(木曜日)が、中学校が春休み中だったのか、それとも学校を休んで受験しに行ったのか、その記憶がありません。

親に仕事を休ませて付き添ってもらっていますので、絶対に不合格となるわけにはいきません。入念に受験勉強をし、問題集を何度も繰り返し解いて、万全の態勢で受験に臨みました。

その甲斐あって無事に合格できました。受験日からちょうど2か月後の日付の合格通知が郵送されてきましたが、この嬉しい嬉しい合格通知が郵送で手許に届いたのはいつだったのかを改めて調べてみました。

↓ 受験票(左)と合格通知(右)の郵便の消印

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↓ 昭和52年3月~6月のカレンダーも貼りますね・・・

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受験票は3月23日(午後)の消印がありますので、翌々日の3月25日に受け取っていたものと思われます。そして、格通知には6月7日(午後)の消印がありますので、翌々日の6月9日(木曜日)に手許に届いているものと思われます。

あ、今思い出しましたが、学校から帰宅したら合格通知が届いていて、すぐに近所の開業医の先生を訪ねて診断書(視力や聴力、聾唖、四肢、精神耗弱・・・だったかな)を書いていただいたのが確か木曜日だったように記憶しています。当時はアマチュア無線技士でも、免許証を申請するには医師の診断書の添付が必要でした。(現在は原則不要)

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受験した日から2か月経ってようやく届いた合格通知。これを手にした瞬間がこどものころに最も嬉しかった出来事として記憶に残っています。当時居住していた市内で、同じ昭和38年生まれで免許保持者はすでに数人いて、違う中学校に通っていましたがすでに交流はありました。この合格で自分も免許保持者の仲間入りが確定し、本当に、本当に、もの凄く嬉しかったです。なお、この数人のうちの1人(国立大学法人職員)とは現在まで44年近くも親しくしていただいております。友人が極端に少ない私にとっては稀有でありがたい存在・・・(^^)

 

あれから43年経過していますが、その時の猛烈な嬉しさと、受験を許してくれた親への感謝の気持ちがありますので、細々とではありますがアマチュア無線を止めることなく続けて現在に至っています。

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中学2年からしばらくアマチュア無線にのめり込み、学業成績がガタガタになりまして、高校受験だけは辛うじて第1志望の県立高校に滑り込めましたが、大学受験では希望する国立大学受験に2年連続失敗することになります。

もしもこの時に、アマチュア無線技士国家試験の受験が許されず、無線とは縁の無い学生生活を送り、勉学に専念していれば、国立大学に現役で合格して違う人生を着実に歩んでいたのではないかと、考えたこともありますが、無線をやっていなくても、のめり込む対象が他の趣味に替わるだけで、結局は大学受験は失敗していただろうと思います。(^^)ゝ

せっかく他の人々よりも早く、14才でアマチュア無線を始めたのですから、アマチュア無線歴の還暦(無線局開設60年)を目標にしたいと本気で思っています。2037年(令和19年)9月です。