一昨日、3年後に「国民体育大会」が「国民スポーツ大会」に改称される記事を書いている際に、ふと過去のさまざまな制度や仕組みの変化について考えてみましたが、日頃全く意識していないことに改めて気づかされたことがいくつかあります。
例えば「消費税」なんですが、私が学校を卒業して勤め人になってから2年間は「消費税」というものがありませんでした。「消費税」が導入されたのは平成元年4月1日。昭和62年から勤め人をやっている私は「消費税」というものが国内ではまだ存在しない時代にすでに働いていたことになります。ふと立ち止まって考えて改めて気づいた次第です。
当然ですが、当時は「仮受消費税」とか「仮払消費税」とか「未払消費税」といった勘定科目などありません。学校でもそのような勘定科目は習っていはいません。
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これまたふと立ち止まって考えましたら、通貨(紙幣)は私が大学に通っている昭和59年11月に新しいデザインに替わりましたので、勤め人になった時にはすでに「聖徳太子」の高額紙幣は殆ど流通していませんでした。
予備校や大学の入学手続きでは「聖徳太子」の肖像の1万円紙幣を封筒に詰めて持ち歩いたことを思い出します。
↓ 懐かしく感じる方も多いのではないでしょうか・・・
同じ聖徳太子の肖像でも、1万円紙幣と5千円紙幣とでは多少違いがありますね。
1万円、5千円、千円の3種類は私の大学在学中の昭和59年11月1日から新しい紙幣(1万円=福沢諭吉、5千円=新渡戸稲造、千円=夏目漱石)に替わりました。5百円紙幣は昭和57年から500円硬貨が発行され、徐々に姿を消していきました。
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私の記憶の中では、いつまで経っても高額紙幣は「聖徳太子」のイメージがあり、失礼ながら福沢諭吉の肖像の1万円紙幣は今でも「新参者」というイメージがありましたが、福沢諭吉の肖像が採用されてすでに35年も経っているんですね・・・。しかも数年後には渋沢栄一にその座を譲る大ベテランでした・・・。本当に失礼いたしました・・・。
この写真の4種類の紙幣ですが、紙幣のデザインが替わる際に、折り目の無い紙幣を1枚ずつ手に入れて記念に保管していますが、現在でも通用する通貨です。勤め人になったばかりのころは手許にお金が全然無く、欲しいものを買うために、この16500円を使ってしまおうかと考えたことが何度もありました。
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紙幣のほかにも、大学生のころから社会人になりたてのころにお世話になった銀行預金通帳もまだ手許にありました。
↓ これです
3行ともすでに経営統合や経営破綻のため、現在ではこの名称の銀行はありません。
これも懐かしいと感じる方がいらっしゃるかもしれません。
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そういえば、昭和48年10月1日に神戸銀行と太陽銀行が合併して「太陽神戸銀行」になり、平成2年4月1日に、その太陽神戸銀行が三井銀行と合併して「太陽神戸三井銀行」になるまでの16年半にわたり、都市銀行13行(第一勧業、三井、富士、三菱、協和、三和、住友、大和、東海、北海道拓殖、太陽神戸、東京、埼玉)が定着しており、その時代に大学に通って金融を学び、その都市銀行の中の一つに就職でき社会人のスタートを切れたことから、今も当時のことが強く印象に残っています。
↓ 当時の新聞の株価欄(金融・保険)より
当時は証券コード順に、興銀(日本興業銀行)、長銀(日本長期信用銀行)、日債銀(日本債券信用銀行)の3つの長期信用銀行が並び、次いで第一勧銀、拓銀、東銀、といった国策特殊銀行の流れをくむ名門銀行、そして財閥系銀行がズラリと並んでいます。当時はこれが当たり前で、特に意識したことなどありませんでしたが、今、改めて見ますと、我が国の戦前戦後の産業振興を支えてきた名門銀行ばかりなんですね・・・。
↓ 現在の株価欄(銀行)
当時の面影はすっかりなくなり、長銀の流れをくむ新生銀、日債銀の流れをくむあおぞら銀、それに三菱UFJ、りそなHD、三井住友などが辛うじて3長銀と13都市銀行が百花繚乱だったころの名残を感じさせてくれます。
銀行業の証券コードは8300番台ですが、後に地方銀行の合併などで発足した持ち株会社には空き番号が無く、7100番台と7300番台が割り当てられたため、番号順に並べられるきまりになっている株価欄(銀行)の上位にはこうした企業が並ぶようになりました。
株価欄には興銀、長銀、日債銀、第一勧銀、拓銀、東銀・・・と並び、消費税など存在せず、高額紙幣は「聖徳太子」だったころが懐かしく感じられます。