一昨日(6月17日)の続きです。
一昨日は、昭和26年12月1日に、はがきの料金が2円から5円に改定された時に発売された国会議事堂のデザインの5円はがきまで紹介しました。現在から約70年遡りました。
今日はさらに遡ってみます。このあたりのはがきになりますと、記憶に残っている方は殆どいらっしゃらないと思いますので、駆け足で紹介します。
↓ 2円 国会議事堂(青色) 昭和25年6月1日より発売
昭和25年6月1日から昭和26年11月30日まで、1年半発行されました。このはがきが発行されtるまでは国会議事堂の料額印面部分は紫色でした。刷色のみの変更です。
↓ 2円 国会議事堂(紫色) 昭和23年9月10日より発売
昭和23年7月10日の郵便料金改定(はがき料金50銭→2円)から2か月後に登場しました。
↓ 50銭 稲束 昭和22年5月15日より発売
昭和22年4月1日の郵便料金改定(はがき料金15銭→50銭)から1か月半後に登場しました。
↓ 15銭 桜 昭和21年8月25日より発売
昭和21年7月25日の郵便料金改定(はがき料金5銭→15銭)から1か月後に登場しました。はがきの厚みが感じられなく、やや上質な「わら半紙」のようです。
↓ 5銭 桜 昭和21年7月20日より発売
はがきの料金が5銭になったのは戦時中の昭和20年4月1日ですが、戦時中の楠木正成公の図案から桜の平和的図案に改められました。物資不足のため、回収した古紙を利用した再生紙なのでしょうか、再生紙によく見られる斑点があります。
このはがきが発売されて5日後にはがき料金が15銭に改定されます。もの凄い勢いのインフレに国や政府も追いつかなかったようです。
↓ 5銭 楠木正成公 昭和20年12月15日より発売
戦後の物資不足のためタテ約120mm、ヨコ約74mmにまで小型化されました。厚みが感じられない紙質、印刷の統一性が無く、同時期に発売された5銭はがきを2枚並べてみましたが、かなりの違いがあります。
↓ 現在のはがきに比べてこんなに小さいです
物資が無く、大変な時代だったのだろうと感じさせられます・・・。
↓ 5銭 楠木正成公 昭和20年3月31日より発売
昭和20年4月1日の郵便料金改定(はがき料金3銭→5銭)に対応したものです。
↓ 3銭 楠木正成公 昭和19年5月8日より発売
昭和19年4月1日の郵便料金改定(はがき料金2銭→3銭)から37日後に登場しました。
↓ 2銭 楠木正成公 昭和12年8月1日より発売
それまでの2銭はがきの図案を替えたものです。
↓ 2銭 楠木正成公 昭和12年4月1日より発売
昭和12年4月1日の郵便料金改定(はがき料金1銭5厘→2銭)に対応したものです。はがきの料金は、明治38年4月1日から38年間もの間、1銭5厘でした。この初代の2銭はがきは4か月間だけ発行され、図案変更になりました。
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ここで、戦中戦後のはがきの料金の推移を見てみましょう。
昭和12年4月1日~ 2銭
昭和19年4月1日~ 3銭
昭和20年4月1日~ 5銭
昭和21年7月25日~ 15銭
昭和22年4月1日~ 50銭
昭和23年7月10日~ 2円
はがきの料金改定日と料金を示しております。新しいデザインのはがきが料金改定日の1か月後だとか2か月後から発売されたケースもありますが、あくまで料金改定日を基準に考えます。
5銭最後の日、昭和21年7月24日から、2円になった初日、昭和23年7月10日、までの僅か2年で、はがきの料金は40倍になっています。
もう少し幅を拡げてみますと、2銭最後の日、昭和19年3月31日から、2円になった初日、昭和23年7月10日までの約4年4か月で、はがきの料金は100倍になっています。
終戦後の超絶インフレがいかに凄まじかったかを示しています。
現在63円のはがきが、令和6年10月に6300円になったらビックリしますよね。
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それでは時代をさらに遡っていきます。
↓ 1銭5厘 楠木正成公 昭和8年2月15日より発売
↓ 1銭5厘 楠木正成公 昭和5年8月1日より発売
全く同じように見える2枚の1銭5厘はがきですが、1か所違いがあります。
↓ 「きがは便郵」と「きかは便郵」が違います。
昭和8年2月までは、「はがき」ではなく「はかき」でした。濁点はありませんでした。
↓ 1銭5厘 分銅図案 大正14年5月1日より発売
それまで発売されていた1銭5厘はかきから、「逓信省発行」と「印刷局製造」が無くなりました。
↓ 1銭5厘 分銅図案 大正4年10月1日より発売
これが私の手許にある最も古いはかきです。
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戦時中の官製はがきの図案には楠木正成公の図案が使われ続けましたが、当時の皇国史観思想が大きく影響していると思われます。日本の歴史上最大の軍事的天才にして、後醍醐天皇に忠節を尽くし、後醍醐天皇のために命をも捨てた楠木正成公が、戦時中の日本では極めて高く評価され、人気を集めていたのだと思われます。
終戦間際から終戦直後、官製はがきは楠木正成公の図案で、5銭紙幣の図案も楠木正成公でした、
↓ 終戦直後の官製はがきと5銭紙幣のコラボ
3回にわたって、官製はがき(郵政はがき)の歴史を遡ってみました。いかがでしたでしょうか。お読みいただいたりコメントをお寄せくださったみなさまには心より御礼を申し上げます。