今日7月29日は「アマチュア無線の日」です。
昭和16年12月の太平洋戦争勃発で禁止されたアマチュア無線(当時は私設無線電信無線電話実験局と称していました)が、昭和27年に11年ぶりに解禁され、その年の7月29日に全国30名に戦後初の予備免許が与えられたことを記念し、昭和48年に日本アマチュア無線連盟(JARL)が制定しました。
昨年の7月29日、一昨年の7月30日にも「アマチュア無線の日」の話題をブログにアップしていますので、「あれ、なんだか見覚えがある記事だな・・・」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「アマチュア無線の日」は私にとっては特別な日ですので、昨年、一昨年とほぼ同じ内容の再掲載のようになってしまいますが、ご容赦いただきたく存じます。
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昭和27年7月29日に、戦後アマチュア無線再開の予備免許が全国30名に与えられたことについては、「電波受験界」1993年6月号に記されています。27年前の雑誌で、「電波受験界」は現在休刊となっていますが、「電波受験界」を思い出していただくためにも、記事の一部を紹介いたします。
↓ 「電波受験界」1993年6月号「アマチュア局の呼出符号」の記事の一部
この「アマチュア局の呼出符号」という記事は3ページにわたり、大正時代末期から現在に至るまでのアマチュア局の呼出符号(コールサイン)の変遷を記したもので、本当に素晴らしい記事です。あまりに素晴らしいため「電波受験界」1993年6月号は手放せないです。
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アマチュア無線を楽しんでいる方でも、「7月29日=戦後アマチュア無線再開の日=アマチュア無線の日」と知っている方が意外と少ないようですので、わたしが発行するQSLカード(交信証)には「7月29日は戦後HAM再開の記念日です」との文言を入れています。
↓ 当局のQSLカード 上が新潟県長岡市居住のころ 下が現在発行中のカード
↓ QSLカードにはこのようにメッセージを入れています(QTH:長岡市のカード)
↓ 現在のQSLカードにも同様のメッセージを入れています
QSLカードの写真は、戦後アマチュア無線再開当時、あるいはその直後に免許を受けた斯界の大先輩の方々のQSLカードを並べています。
もっと交信局数を増やして、このQSLカードを多くの方々に交付したいのですが、毎月数局しか交信しない怠け者ですので、作成したQSLカードがなかなか減りません。
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戦後最初に予備免許を受けた30局は先ほどの「電波受験界」の記事をご覧いただければお判りいただけると思います。30局の方々は戦後アマチュア無線のパイオニアの方々で、中には戦前にも免許を受けていた方もいらっしゃいます。
私はそれほど熱心なアマチュア無線家ではありませんが、幸いにしてこの戦後アマチュア無線のパイオニアの30局のちょうど半数の15局のQSLカードをいただいております。
ただ、尊敬の念が強すぎて交信する勇気が無く、そのほとんどはSWL(受信報告)によって得たQSLです。
一昨年の7月30日のブログにも掲載しましたが、改めて紹介させていただきたく存じます。
↓ JA1AA(庄野OM) JA1AB(市川OM)
JA1AA、庄野OMは戦前に実験局J2IBを開設されていました。
↓ JA1AG(黒川OM) JA1AH(小宮OM) JA1AI(稲葉OM)
↓ JA2AA(中川OM) JA2AB(仲川OM) JA2AC(村松OM)
JA2AB、仲川OMは戦前に実験局J2XFを開設されていました。
JA2AC、村松OMのQSLは2枚ありました。真空管コレクションが圧巻。
↓ JA3AA(島OM) JA3AD(深田OM) JA5AA(久米OM)
JA3AA、島OMのQSLカードはたくさんありましたがそのうちの2枚。
JA3AD、深田OMは戦前に実験局J2DJを開設されていました。
↓ JA6AB(熊野OM) JA8AA(浜OM)
↓ JA9AA(円間OM) JA0AA(阿部OM)
昭和27年当時9エリアと0エリアは無く、JA9AAは開設当初はJA2WAでした。またJA0AAは開設当初はJA1WAでした。
尊敬するアマチュア無線の大先輩の方々のQSLカード。写真撮影するために手に取りますと今でも緊張します。
アマチュア無線に関心が無い方には退屈な記事になったかと思い、申し訳なく感じますが、来年の7月29日も今日の記事とほとんど同じ内容になりますので、予めお知らせいたしま~す(^^)