一昨日(9月9日)の投稿記事の続きです。9月9日は有給休暇を取得して東京都内の呼吸器専門病院を訪れまして、最近発覚した「睡眠時無呼吸症候群」の診察を受けて参りました。
コロナ禍の影響で県境を跨いだ移動を長い間自粛していましたので、半年ぶりの東京都訪問となりました。久しぶりに東京都内に足を踏み入れることができて嬉しかったので、病院での診察を終えてから電車に15分ほど乗車し、本所回向院(ほんじょえこういん)を訪れました。昭和60年に一度行ったことがありますので、35年ぶりの訪問です。
↓ JR両国駅到着。駅でありながら大相撲展示館のような様相\(^o^)/
白鵬、武蔵丸、千代の富士、三重ノ海の優勝掲額。これだけでも「両国に来てよかった~」と感じてしまいます。
↓ 35代横綱双葉山以降の横綱38人の手形がズラリ! 本当に来てよかった~!
↓ 両国駅には「両国大相撲繁栄之図」(歌川国郷、1853年)の画も・・・
これから向かう本所回向院の約170年前の様子が描かれています。
両国駅西口から国技館とは逆の方向に3分ほど歩きますと回向院が見えてきます。
↓ 回向院の正門が見えてきました
正門をくぐり、少し歩きますと左手に巨大な「力塚」碑が姿を現します
↓ 巨大な「力塚」碑に圧倒されます
物故力士や年寄の霊を祀るために、昭和11年1月に当時の大日本相撲協会が建立しました。
「力塚」碑の周囲には、ほかにもいくつかの碑があります。
↓ 「角力(すもう)記」
新聞などの相撲記者の慰霊のために初代梅ケ谷の雷(いかづち)親方が大正5年建立
↓ 「法界萬霊塔」
大正5年に建立された慰霊塔です。
↓ 「回向院相撲記」建立は昭和14年5月。昭和38年9月改修再刻
江戸勧進相撲からの相撲の歴史を刻んでいます。
↓ 「東京相撲記者碑」昭和38年9月建立
「角力(すもう)記」の続き。相撲に関わる新聞記者、放送局アナウンサーなどの慰霊碑
↓ もう一つ「東京相撲記者碑」 上の碑がいっぱいになったのでその続き・・・
以上の石碑をまとめて「回向院相撲関係石碑群」と称しています。
本所回向院で最初に勧進相撲が催されたのは1768年(明和5年)9月ですが、その頃は深川八幡宮で開催されることが多く、本所回向院で開催される機会はあまりありませんでした。1790年代、谷風、小野川、雷電といった伝説の力士が目覚ましい活躍を見せたころから、本所回向院で開催される機会が一気に増加し、1827年(文政10年)11月から1907年(明治40年)1月までの約80年間はごくわずかな例外を除き、ほぼすべての相撲興行はここ本所回向院で行われています。初代梅ケ谷、常陸山、二代目梅ケ谷、太刀山などの明治時代の名力士もここで幾多の名勝負を演じています。コロナ禍の中ですので短時間での訪問となりましたが、古(いにしえ)の名力士に思いを馳せて清々しい気持ちを取り戻せました。