コロナ禍の影響で、今年のプロ野球は一体どうなるのかと思われましたが、セ・パ両リーグともに6月19日に開幕し、パ・リーグは11月9日、セ・リーグは11月14日に公式戦全日程を終えました。両リーグともに、例年よりは試合数が少ないものの、この異常な環境の中で、各球団が途中で頓挫することなく、120試合を行うことができたことは快挙だと考えております。
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例年とは異質な環境下で、しかも試合数が例年より15%くらい少ないため、珍しい記録が発生するかと期待していましたが、概ね予想の範囲内で、腰を抜かすほどビックリするような記録はありませんでした。
強いてあげれば、パ・リーグの最多勝利のタイトルを11勝の3投手(ソフトバンクの千賀投手と石川投手、楽天の涌井投手)が獲得したことですが、例年より試合数が少ない上に、選手らを取り巻く環境そのものが異様な中での11勝は立派な記録だと思います。
ここで、プロ野球の初年から今年まで85年間(1945年は戦争でプロ野球は中止)の最多勝利投手が何勝だったのかをまとめてみます。単純化を図るため、最多勝利投手名や負け数は省略しております。
◎ 1リーグ時代
1936年秋 13勝
1937年春 24勝
1937年秋 15勝
1938年春 14勝
1938年秋 19勝
1939年 42勝
1940年 38勝
1941年 30勝
1942年 40勝
1943年 34勝
1944年 22勝
1946年 30勝
1947年 30勝
1948年 27勝
1949年 27勝
1950年 39勝 26勝
1951年 28勝 24勝
1952年 33勝 23勝
1953年 27勝 24勝
1954年 32勝 26勝
1955年 30勝 24勝
1956年 27勝 29勝
1957年 28勝 35勝
1958年 31勝 33勝
1959年 27勝 38勝
1960年 29勝 33勝
1961年 35勝 42勝
1962年 30勝 28勝
1963年 30勝 28勝
1964年 29勝 30勝
1965年 25勝 27勝
1966年 24勝 25勝
1967年 29勝 23勝
1968年 25勝 31勝
1969年 22勝 24勝
1970年 25勝 25勝
1971年 17勝 24勝
1972年 26勝 20勝
1973年 24勝 21勝
1974年 20勝 16勝
1975年 20勝 23勝
1976年 20勝 26勝
1977年 20勝 20勝
1978年 17勝 25勝
1979年 22勝 21勝
1980年 16勝 22勝
1981年 20勝 19勝
1982年 20勝 20勝
1983年 18勝 18勝
1984年 17勝 21勝
1985年 17勝 21勝
1986年 18勝 16勝
1987年 17勝 19勝
1988年 18勝 15勝
1989年 20勝 19勝
1990年 20勝 18勝
1991年 17勝 17勝
1992年 17勝 18勝
1993年 17勝 17勝
1994年 19勝 15勝
1995年 18勝 16勝
1996年 16勝 17勝
1997年 18勝 15勝
1998年 17勝 13勝
1999年 20勝 16勝
2000年 14勝 14勝
2001年 14勝 15勝
2002年 17勝 17勝
2003年 20勝 20勝
2004年 17勝 15勝
2005年 15勝 18勝
2006年 17勝 18勝
2007年 16勝 17勝
2008年 17勝 21勝
2009年 16勝 16勝
2010年 15勝 17勝
2011年 18勝 19勝
2012年 15勝 17勝
2013年 16勝 24勝
2014年 13勝 16勝
2015年 15勝 15勝
2016年 16勝 15勝
2017年 17勝 16勝
2018年 15勝 16勝
2019年 15勝 15勝
2020年 14勝 11勝
各年度によって試合数が異なったりしますが、最多勝利投手になるには、1940~1950年代は30~35勝、1960年代は25~30勝、1970年代は20~25勝、1980年代は18~20勝、1990年代は15~20勝を挙げる必要がありました。そして2000年以降は15勝を上回れば最多勝利投手になれる可能性がかなり高くなっています。
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過去の投手が現在の投手より優れていたということではなく、投手の登板ローテーション制の確立などの戦略、投手起用そのものが時代とともに変化したためこのような結果になっているものと思います。野球は時代とともに変化し進化しています。
しかしながら、日本プロ野球記録である年間42勝の投手って、1年間どのように勝ち星を重ねていったんだろう・・・?と興味を持ち、「勝利投手」か「敗戦投手」になった日のみに的を絞った一覧表をまとめました。対戦相手チームとか、得点スコアとか、投球イニング数などを全て省略し、これ以上ないくらい単純化しました。
1年間に42勝した投手は2人いまして、1939年のスタルヒン投手(巨人)と1961年の稲尾和久投手(西鉄)です。
↓ 最初に1939年のスタルヒン投手 〇=勝利投手 ●=敗戦投手
1939年のプロ野球は春期(3月18日~5月30日)、夏期(6月7日~8月27日)、秋期(9月6日~11月16日)の3期制。各期で優勝チームが表彰されますが、各期の優勝チーム(春:阪急、夏:タイガース、秋:巨人)が年度優勝決定戦を行うのではなく、単純に年間の勝敗で年度優勝を決めました。年度優勝は巨人(66勝26敗4分)。その66勝のうち42勝をスタルヒン投手が占めました。
巨人は3月18日から11月16日まで8か月で96試合を行いましたが、7月の日程が極端に少なく5試合しか消化してません。
この年のスタルヒン投手の成績は68試合に登板しそのうち先発が41試合で完投が38試合。458回1/3投げて、42勝15敗、防御率1.73。
「単純見える化」した一覧表から、毎月コンスタントに勝ち星を積み上げていることが判ります。それにしてもチームの年間試合数が96試合で42勝とは・・・、まさに空前絶後の記録です。
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↓ 次に1961年の稲尾和久投手 〇=勝利投手 ●=敗戦投手
この年のパ・リーグは140試合制。稲尾投手が所属する西鉄ライオンズは81勝56敗3分、勝率.589の好成績ながら3位。優勝は南海、2位は東映。
稲尾投手は78試合に登板し、そのうち先発は30試合で完投が25試合。投球回数は404回で、42勝14敗、防御率1.69。先発、救援のどちらでもフル回転していたことが判ります。
7月中旬から下旬にかけて登板間隔が空いているように見える時期がありますが、オールスターゲームで公式戦が中断した時期(7月17日~21日まで)があり、その後7月22日と27日に救援と抑えで登板し、チームは勝利しましたが稲尾投手に勝ちがつかなかった試合があります。
「単純見える化」した一覧表に目をやりますと、6月の7勝無敗、8月下旬の1週間で4勝、10月1日のダブルヘッダーで2勝が目を引きます。