埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

プロ野球・年間541回1/3投げた怪記録を「見える化」

3月26日(金曜日)に今年のプロ野球公式戦が開幕しました。プロ野球は特定の贔屓球団はありませんが、スゴイ記録や珍しい記録が現れることを期待しながら観ています。プロ野球は昭和45年ごろから観ていますので観戦歴は50年になりますが、子どものころから勝ち負けよりも記録に重点を置いております。ブログにも時々そうした記事を書いております。

昨年11月19日にも「シーズン42勝」のスタルヒン投手(1939年)と稲尾和久投手(1961年)が、1年間どのように勝ち星を積み重ねて1年間で42勝もできたのかを「見える化しました。

↓ この記事です

saitama-dame.hatenablog.com

今日も投手の怪記録を見える化したいと思います。

朝日軍の新人、林安夫投手が昭和17年に記録した「年間投球回数541回1/3」なんですが、この記録は80年近く経過した現在でも破られていません。それどころか、今後絶対に破られることはないだろうと思っています。

この記録を持つ林安夫投手は、愛知県の一宮中学(現在の一宮高校)では春の選抜甲子園大会の準優勝投手。昭和17年にプロ野球朝日軍に入団。慢性的に投手不足の朝日軍で孤軍奮闘します。それまで最下位が指定席だったチームを昭和17年と18年にいずれも8チーム中4位に引き上げる原動力となっています。

新人ながら、71試合に登板(この年は105試合制)。先発51試合(これもスゴイ記録)、完投44試合。32勝22敗、防御率1.01。投球回数は541回1/3。いずれもスゴイ記録です。

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1シーズン541回1/3を投げた記録は以前から知っていましたが、どうやってそのような驚異的な記録になったのかが知りたくて、日別の投球回数を書き出してみました。

↓ 林安夫投手(朝日軍) 昭和17年の日別の投球回数

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※※※この表の投球イニング数を足しますと、年間の投球回数541回1/3に1アウト分(1/3回)足りません。集計ミスなんですが、今日のところは大目に見てやってください(^^)

さてこの表は日別の投球回数が判ることを目的としていますので、失点数や完投したとか完封したなどの情報は載せていません。

黄色=試合がある日。

勝利投手になった試合には白星、敗戦投手になった試合には黒星をつけ、投球イニング数を記載しました。イニング数の数字が大きいフォントは先発。小さいフォントは救援での登板です。

白星と黒星のほかに、△の印をつけた試合があります。これは引き分けなんですが、延長12回を完投しながら引き分けになった試合が3度あり、あまりに気の毒なのでこの表では△印をつけました。

この年のプロ野球公式戦は、春期、夏期、秋期の3期制(各35試合)であり、それぞれの期と期の間(5月下旬~6月上旬と8月下旬~9月上旬)は試合がありません。

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それにしても、原則として中1日で投げているように見えます。時々は2日連続登板。まさに孤軍奮闘、現在では絶対にありえない起用法です。この表では判りませんが、集計していて気付いたんですが、ロースコア(1-0や2-1)の試合が目立ち、味方打線の援護が無い中で踏ん張っている様子が浮かび上がってきました。

こうして日別の投球回数を書き出してみて、シーズン541回1/3の記録がどれだけスゴイことなのかが改めて解かってきました。

ちなみに、昨年(2020年)のプロ野球で最も多くのイニングを投げたのは中日ドラゴンズ大野雄大投手の148回2/3ですが、同じような日別投球回数を書き出しますと・・・

↓ このようになります (コロナ禍の影響で、開幕が6月19日でした)

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近年では投手起用法が確立され、先発投手は概ね1週間に1度マウンドに立ちます。大野投手は9回完投して勝つことが多いので非常に立派です。今では1シーズン200回投げる投手でも極めて珍しくなり、300回投げる投手は皆無(1975年の東尾修投手=太平洋=317回2/3が最後)です。

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このように、戦前と現代とでは投手起用についての考え方が全く異なるため、今後はエース級の投手でも200回を超える投球回数となることは殆ど無くなると思います。林安夫投手の持つシーズン541回1/3という記録は今後破られることは無いと断言できます。

新人でこの怪記録と32勝22敗の記録を残した林安夫投手ですが、2年目は38試合に登板し20勝11敗、防御率0.89。

3年目のシーズンを迎えることなく応召。1944年にフィリピン方面に出征したまま帰還せず、戦死したものと考えられています。合掌