埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

7月13日は私の「ズル休み記念日」です(^^)

今日、7月13日は私の「ズル休み記念日」です。

昭和48年7月13日(金曜日)、私は小学校4年生でした。この日は通っていた珠算塾を「ズル休み」した日で、この日のことは今でも強く印象に残っています。

 

珠算塾に通い始めたのは小学校3年生の9月です。学校の同級生たちは同じ年の4月から通っていて、私は半年くらい遅れをとっていたのですが、何故か珠算とは相性が良く、トントン拍子に昇級していき、同級生たちを一気にゴボウ抜きして、上級生の5~6年生や中学生に囲まれて受講していました。

 

この珠算塾は市内に3カ所の教室があり、教室によって開講日が「月曜・木曜」の教室、「火曜日・金曜日」の教室、「水曜日・土曜日」の教室とがありました。私が通っていたのは「火曜日・金曜日」の教室です。当時の珠算塾はたくさんの生徒であふれ、非常に活気がありました。入門したばかりの生徒は午後5時台、初級者は午後6時台、中級者は午後7時台、上級者は午後8時台と、上達するにつれて夜遅い時間帯になっていきます。

 

昭和47年9月の入塾以来、珠算塾は1度も休んだことは無かったのですが、昭和48年7月13日(金曜日)だけは、どうしても休みたい理由がありました。

 

それは、当時大人から子どもまで大人気を博していたドラマ太陽にほえろ!」の第52話「13日金曜日マカロニ死す」をどうしても視聴したかったからなんです。

 

↓ 当時、大人気を博していた「太陽にほえろ!」の雑誌広告(昭和49年秋)

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ボス(石原裕次郎さん)の左はテキサス刑事(勝野洋さん)。

マカロニ刑事(萩原健一さん)昭和48年7月殉職→→→ジーパン刑事(松田優作さん)昭和49年8月殉職の後に七曲署に配属になったテキサス刑事も昭和51年9月に激しい銃撃戦の末に殉職することになります。

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さて、「ズル休み」の話題に戻ります。

昭和48年当時、家庭用ビデオなどありませんし、インターネットの見逃し配信などもありません。持ち歩きができるテレビ受像機など持っている家庭など殆どありません。視たい番組は放送時間に家に居て視るしかありません。当時はBSやCSなど無く、地上波のみ、再放送など期待できませんでした。

 

太陽にほえろ!」の7月6日の放送の最後に「次週」「13日金曜日」「マカロニ死す」と大きく予告テロップを出したらしく、学校のクラスでも「マカロニ刑事が死んじゃうんだって」と大変な話題になっていました。

 

珠算塾はトントン拍子に昇級したことがアダとなり、「太陽にほえろ!」の放映時間帯と同じ夜遅い時間に受講するようになっていました。それまでは中級クラスでしたので、午後8時には帰宅できていました。

 

こうなったら、珠算塾を休んで「太陽にほえろ!」を視るしかない。どうしてもこの「13日金曜日マカロニ死す」だけは視聴したい、と思い、猛反対されたり叱られることを覚悟で親に申し出ました。そしたら・・・・

「これを視ないといつまでも後悔することになるだろうから、珠算塾は休んでよい」と、あっけなく承諾され、7月13日(金曜日)は親公認のズル休みをして午後8時からマカロニ刑事の殉職の場面を視聴することができました。

 

48年前、小学校4年生の私は7月13日(金曜日)に初めてズル休みを経験しました。今日は「ズル休み記念日」です(^^)

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この「太陽にほえろ!」52話「13日金曜日マカロニ死す」は、当時の社会現象にまでなりましたが、現在でもGoogleなどで「マカロニ死す」などで検索すると・・・

↓ さまざまな動画、静止画、あらすじ、当時の思い出を語るブログがたくさん出ます

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48年経っても語り継がれる名シーン、視聴できてよかったと思っています。