昨日、大相撲九州場所は千秋楽を迎え、今年の大相撲の本場所は全ての日程を終えました。
一昨日(11月27日)はプロ野球日本シリーズがヤクルトが4勝2敗でオリックスを降して終了。今年のプロ野球の公式試合の全ての日程を終えました。
プロ野球日本シリーズの終了から遡ること2週間、11月13日には将棋竜王戦が藤井挑戦者が豊島竜王から竜王のタイトルを奪取。年内の将棋タイトル戦の日程は終了しました。
大相撲九州場所、プロ野球日本シリーズ、将棋竜王戦、この3つの日程が終了しますと毎年のことですが「いよいよ今年も終わりだなぁ・・・」と感じてしまいます。なお今年の出勤日はあと22回です(^^)
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さて今日の話題は、一昨日(11月27日・土曜日)に訪れた「埼玉県師範学校 埼玉県医学校 発祥之地」の石碑です。
この「埼玉県師範学校 埼玉県医学校 発祥之地」の石碑は、埼玉県さいたま市浦和区岸町7丁目1-8にある東和銀行浦和支店の駐輪場脇にあります。最寄り駅JR浦和駅の西口から徒歩で10分弱です。
↓ 浦和駅西口から徒歩で10分弱。東和銀行浦和支店駐輪場脇にあります
県庁通り(県道34号)や、旧中山道(国道463号)側から歩いてきますと、このように石碑の裏側を先に見ることになってしまいます。裏面には「埼玉県師範学校」と「埼玉県医学校」がこの地に開設されたことや両校のその後についての説明が記されています。
↓ 表はこの碑を建立した当時(昭和46年7月)の埼玉県知事、栗原浩氏による揮毫
↓ もう一度裏面を詳しく見てみます
説明によると、埼玉県師範学校は明治7年6月この地に開校し4年後の明治11年9月に浦和稲荷丸に移転。埼玉医学校は明治9年5月にこの地に設立されたものの、明治12年8月に廃校となったとのこと。
↓ 碑の側面。昭和四十六年七月二十四日建之 大生相互銀行
大生相互銀行は平成元年2月に相互銀行から普通銀行に転換し、東和銀行と商号を変更して今日に至っています。
↓ 改めて石碑の表面を眺めます
埼玉県師範学校も埼玉県医学校も明治時代初頭にこの地に設立されたものの、師範学校は移転、医学校は廃校となりこの地では数年しか存立していませんでした。そのためかこの記念碑に対する注目度はあまり高くないという印象があります。郷土史に関心がある方や日頃から記念碑や石碑に意識的に注目している人でなければ気づかないかもしれません。
自動車や自転車、歩行者の往来が非常に激しい県道213号沿いの銀行の駐輪場脇にポツンと置いてあるこの記念碑。その存在をより多くの方々に知っていただきたいと思っております。