埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

日頃言いたくても言えないことを吐露します。不愉快に感じる方は読まないでください。

「中秋の名月」かつ「満月」は8年ぶりv(^^)v

今夜は月見をしてますので短篇ブログです。月見といいましてもアルコール飲料は苦手ですので、ポンジュース飲みながらの月見です(^^)

 

↓ 埼玉県東部で撮影しましたf:id:jh0iam:20210921215932j:plain

平成25年(2013年)9月19日以来、8年ぶりに「中秋の名月」と「満月」の日が一致しました。

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次に「中秋の名月」と「満月」が同日になるのは・・・

令和4年(2022年)9月10日。

その次は・・・

令和5年(2023年)9月29日で、今年・来年・再来年と3年連続になりますが、その次になりますと、その7年先になりまして・・・

令和12年(2030年)9月12日です。その年の私は67才ですので、仕事はとっくに辞めて、老齢年金もらって毎日「CQ~ CQ~ こちらは~ JH0IAM」「-・-・ --・- -・・ ・ ・--- ・・・・ ----- ・・ ・- --」「CQ JH0IAM PM97」と一日中電波を発射しまくっている迷惑な爺さんになっているものと思われます。 v(^^)CQ CQ・・・

勤続21年に到達し理想の退職時期を探る

明日、9月20日(月曜日)は祝日で休業日ですので出勤しませんが、明日で今の勤め先で勤続21年になります。明後日9月21日に出勤する日からは勤続22年目に入ります。

ちょうど1年前は、長年の目標だった勤続20年に到達したことで感無量でしたし、それまでは1年がとても長く感じられたのですが、この1年間は一瞬で駆け抜けたような感覚で、とても短く感じられました。

当初、勤続20年に達したら今の勤め先は退職しようと考えていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の騒動でバタバタしているうちに1年経ってしまい、退職を考えることをうっかり忘れていました。また、お取引先の中でも特に親しくしていただいている敏腕技術者が私とほぼ同じ年齢(3か月差)で、その方が60才での退職を表明しており、同じ時期に私も退職するのがいいかな、と考えたりします。これで両社間の繋がりはかなり希薄になります。その後はどうするんだろう?

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勤続20年を花道に退職することができませんでしたので、次の狙いは前述の通り、還暦で退職することにしたいと考えます。具体的には令和5年5月、1年8か月後です。

退職後に私の担当職務を誰が引き継いでくれるのかは見当もつきませんが、後任の方にお渡しする「業務引継書」の作成にもそろそろ着手しなければならないと思っております。

ついでに申し上げれば、職場内で親しくしていただいている一部の職員の方とは個別に1対1で会食をし、これまでお世話になった御礼を述べる機会があればいいかな、と思っていますが、新型コロナウイルスの感染状況が一段落するまでは飲食店へは誘いづらく、これは当面見合わせです。

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このブログを長くお読みくださっている方ですと、私が常に会社を辞めたがっているように感じていると思いますが、その通りです。

今の勤め先での勤続年数は21年でしかありませんが、学校を卒業して初めて勤め人になったのは昭和62年4月ですので、勤め人歴は35年目です。35年にわたり常に嫌いな人や極端にソリの合わない人、絶対に許せない人、それこそ呪ってやりたい人もいました。

今年4月に「高年齢者雇用安定法」が施行され、70才までの就業確保措置の努力義務が事業主に課されたことにより70才まで働ける環境になったことは知っています。また働く意欲がある高年齢者が多数存在することも知っています。

それでも私はできるだけ早く退職し、嫌いな人や極端にソリの合わない人との接点を絶ってしまいたいと思っています。

日本人男性の平均寿命が80才で仮に70才まで働きますと、それまでに関わった嫌いな人や極端にソリの合わない人、ひどい目に遭ったことなどをを忘れ、傷つき疲弊しきった魂を甦生させるための「冷却期間は10年しかありません。

イヤな人やイヤな出来事を忘れ去り、怒りを鎮めるための冷却期間」は、働いた期間の半分くらいは必要ではないかと常日頃思っております。35年勤めたら「冷却期間」は17年、40年勤めたら冷却期間は20年くらい必要かと考えます。退職後は「冷却期間」に入りますので、勤めていたころの苦悩を思い起こさせる会社関係の方々との交流や連絡は拒絶させていただきたいと望みます。

寿命を迎えるまでに十分な冷却期間があり「あいつは嫌いだ」「こいつは憎くてたまらない」「あいつは許せない」といったネガティブな気持ちを自然に忘れ去り、穏やかな気持ちで満たされることが理想と考えます。

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まだ還暦も迎えていない上に、無宗教の身でこのようなことを考えている変わり者って他にいない・・・ですよね・・・(^^)

平成世代との決定的な違いに気付いてしまった

今年令和3年は、仮に「平成」が続いていたら平成33年。「昭和」が続いていたら昭和96年に相当する年です。

私、個人的には「昭和」の時代は25年8か月、「平成」の時代は30年3か月過ごしており、「平成」のほうが5年くらい長いので、勝手に「平成世代」に準ずる立場で、昭和20年代以前に出生した方々よりも、平成の時代に出生した方々と、物事に対する考え方やフィーリングが近いのではないかと思っておりました。

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しかし今日、改めて小学校に入学した当時(昭和45年=1970年)の生活を思い出してみましたが、「平成世代」の方々には想像もできないことを経験している、あるいは知っていることに改めて気づいてしまいました。

パッと思い出しただけで5つありました。

 

1.蒸気機関車が牽引する通常列車に乗ったことがある。

 この蒸気機関車は、現在でも時々見かける観光客が乗車する目的の蒸気機関車ではなく、通常ダイヤで定期運行している列車です。昭和40年代前半は冬になると新発田駅>>水原駅蒸気機関車が牽引する列車に乗り、瓢湖の白鳥を見に行った記憶があります。

 

2.白黒テレビを視聴していた

 一部カラー放送もあったようですが、ウチのテレビ受像機はカラーテレビではないので常に白黒の映像です。今でも「8時だよ全員集合!」や「ケンちゃんシリーズ」で白黒画像の場面の記憶が蘇ります。

 

3.クラスの名簿で約半数の家に電話機が無かった

 小学校1年のクラスの名簿が配られた際に、電話番号の末尾に(呼)の記号が付せられている家庭が半数近くありました。私の家にも電話機はありませんので、ご近所で親しくして下さる裕福な家庭の電話を利用させていただいてました。携帯電話全盛で固定電話が必要ないという現代の理由とは違い、電話機を設置するのには高額な電話加入債券を購入する必要があり、一般家庭にはややハードルが高かったように思います。

 

4.近所の農地に多くの肥溜(こえだめ)があった

 ヒトの屎尿を溜めて発酵させて農作物の肥料にしていた時代の名残で肥溜を見かけることが珍しくありませんでした。昭和40年代に入ってましたので、今思えば肥溜とし稼働、機能していたのではなく、雨水が溜まっていただけなのではないかと考えられます。コンクリート製で2槽式(片側に屎尿もう一方に混ぜるための水を貯蔵)の肥溜のそばを通るときには緊張して歩いていた記憶があります。

 

5.百円紙幣で買い物をした記憶がある

 ↓ 写真をご覧ください

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この当時、100円は「紙幣」と「銀貨」と「白銅貨」の3種類が混在して流通していました。50円も「ニッケル貨」と「白銅貨」の2種類が混在して流通していました。私は新潟県のしかも北東部に居住していましたが、新しい現在の100円硬貨や50円硬貨への切り替えが都市部よりも遅れていたのではないかと思われます。

 

このような経験や記憶がある私でも「平成世代」の仲間に入れてくれますよね(^^)

ワクチン接種の副反応出ず、普段通りの出勤(><)

標記の通りです。一昨日(9月13日・月曜日)の午後5時に新型コロナウイルスワクチン(2回目)の接種を受けまして、約54時間経過しましたが、ここまで発熱、頭痛、倦怠感などの副反応と呼ばれる症状は一切ありません。

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職場にはすでに2回目のワクチン接種を受けた人が何人かいますが、ほとんどの場合翌日は気分が悪くなったり、激しい頭痛で寝込んだりしていまして、私もそれなりに覚悟し、かなり身構えてワクチン接種に臨んだ次第でした。その一方で、副反応で体調を崩す可能性が高いので、それを理由に会社を休もうとも考えていました。

会社を休むつもりで、その日に読む本や鑑賞するDVDなども枕元に用意してルンルン気分で就寝しました。

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翌朝、目が覚めてすぐに、「あれ!? 頭痛や倦怠感といった体調の変化が無い!!」と気付き、こうなったら検温で37度を超えていれば、それを理由に休もうと一縷の望みを託して体温を測ってみましたが平熱の35度台。注射針を打った箇所だけは微かに痛みを感じたものの、それ以外は普段と全く変わりません。倦怠感どころか、むしろ清々しい朝(^^)

一晩明ければ体調の変化が生じ、堂々と「ワクチン接種による副反応がひどくて休みます」と電話をかけて休めると思っていたのに、普段と変わらぬ朝を迎え、休む理由が無くなってしまいました(><) 仕方なく、普段通り出勤しました。トホホ・・・

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以上が昨日(9月14日・火曜日)の朝の様子です。そして今に至るまで副反応らしきものは全くありません。もしかしたら、接種後すぐにワクチンが尿などと共に体外に放出されてしまったのか? とか、ワクチンが免疫反応に作用せず体内で分解されてブドウ糖のような単なるエネルギー源に化けてしまう特異体質なのではないか? といった非科学的なことにまで考えを及ぼしております・・・。

まぁ、私の周りの多くの方々が副反応に苦しめられている中、接種後も普段通りに暮らせたことはよかったと素直に感じております。

こんなに気持ちに余裕があるのは、来週の月曜と木曜が祝日で休みだからなんですね(^^) あと2日出勤すれば3連休!!そのあと2日出勤すればまた休み\(^o^)/

ウソをつけず融通の利かない性格、自分でも不思議

本日午後5時、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種を受けてきました。8月23日に1回目の接種を受けていまして、今日は2回目です。ちなみにファイザー社製ワクチンです。

2回目のワクチン接種後は、副反応で発熱や頭痛、倦怠感の症状に悩まされるらしいので、念のため明日(9月14日)は、お取引先の方々には「もしかしたら副反応の症状がひどくて休むかもしれない」と伝えてあり、納品も無いように日程を調整してきました。

勤務先の所属長にも、2回目のワクチン接種後は副反応で体調を崩す例が多いため、もしかしたら休むかもしれない旨を伝えてあり、それについては快諾を得ております。

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現在、午後11時、ワクチン接種から6時間経過しましたが、発熱も頭痛も一切ありません。体調は絶好調ですし、体温はど1時間ごとに測っていますが、常に35度台で安定しています。

明日は仕事を休んでもいいと了承を得ているので、副反応が出ても出なくても、休めばいいと思うのですが、それができない性格で困っています。

「著しい体調不良でもないのに勤務を休む」ことへの後ろめたさや罪悪感を勝手に感じており、自分自身が納得して休めるように、副反応で発熱や頭痛や倦怠感などの諸症状が少し出てくれないかな・・・と、ヘンな期待をしてしまっております。不謹慎甚だしいですよね(><)

副反応が全く出なくて絶好調でも、「体温が38度ありまして・・・」とか「だるくて動けません・・・」とか「強烈な頭痛で頭が割れそうです・・・」などとウソをついて明日は休暇をエンジョイしようかとも考えましたが、うまくウソをつき通す自信もありません。

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現代の労働者を取り巻く環境は驚くほど変化し、会社側から「有給休暇を消化しなさい」などと、休むことを命じられるようになりました。それはそれでいいことですし、時代の変化の波に乗って自らも有給休暇をバンバン使って休めばいいとも思います。周りからもそれを咎める声は出ないことも解っています。

それでも平日の昼間に職場に行かない、仕事をしないことに対する後ろめたさや罪悪感が消えないのは何故なのか、自分でも解らないんです。

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私が学校を卒業して勤め人になったのは昭和の末期ですが、当時は、救急搬送されるくらい体調が悪いとか、相当重大な事情があるときくらいしか勤務を休むという考えに至らなかったように記憶しています。勤め人になってから長い間、平日の昼間の街の様子など見たことがありませんでした。

あの当時に勤め人を経験したことと、自身のウソをつけず融通が利かない性格が重ね合されて、副反応の症状を待ち望む異常な心理を醸し出しているように感じます。この性格を恨めしく思ってしまいます・・・。

明日が出勤日になるか休暇になるかは、明朝目が覚めたときの体調に委ねられます(^^)

無線の話題・五輪記念局が閉局して1週間・・・

今日、9月11日は私のアマチュア無線局の免許を受けた日です。44年前の昭和52年9月11日付で呼出符号JH0IAMの免許をいただきました。無線局免許状が郵便で届いたのが4日後の9月15日ですので、実際に交信を開始したのは9月15日です。以前は9月15日を開局記念日としていましたが、近年は無線局免許状に記載された9月11日を開局記念日と考えるようにしています。

開設から44年が経過し、今日から45年目に入りました。来年は45周年となりますので9回目の更新申請が必要です。

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ということで、今日はアマチュア無線の話題です。

 

標題にもあります通り、東京オリンピックパラリンピックの開催を記念した特別なアマチュア無線局が、オリンピック・パラリンピックの全日程が終了した9月5日をもって全て閉局して1週間が経ちます。

5月1日から9月5日までの4か月あまり、JARL地方本部が開設するPR記念局でサフィックスが「OLYMPIC」の局と、海外向け記念局でサフィックスが「OLP」の局が開設されました。それぞれ各エリアごとに開設されましたので20局。それに加えて7月16日から9月5日まで「JA1TOKYO」が開設されました。

約4か月もの間、この記念局全21局と交信することを目標にし、各バンドをくまなくワッチしたり、J-クラスタをこまめにチェック(邪道かもしれませんが・・・)したりで、充実した日々だったように感じます。

9月5日で21局全ての記念局が閉局し、この1週間は言いようのない寂しさを感じております。これって「五輪記念局ロス」とでも言うのでしょうか。

東京オリンピックパラリンピック大会の開催には、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から、個人的にはどちらかといえば開催反対の気持ちが強かったのですが、この記念局探しは楽しかったです。随分ムシのいい話ですよね(^^)

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この4か月あまりの、「8J●OLYMPIC」「8N●OLP」「JA1TOKYO」との交信実績です。

 

8J1OLYMPIC  3.5/CW 7/CW 7/FT8 430/FM

8J2OLYMPIC  7/CW

8J3OLYMPIC  7/CW 7/FT8

8J4OLYMPIC  7/FT8

8J5OLYMPIC  7/CW 7/CW 7/FT8

8J6OLYMPIC  3.5/FT8 7/FT8

8J7OLYMPIC  7/CW 7/CW

8J8OLYMPIC  10/CW 14/FT8

8J9OLYMPIC  7/CW

8J0OLYMPIC  7/FT8

 

8N1OLP    3.5/CW(高崎) 3.5/CW(八王子) 7/CW(高崎) 7/CW(八王子)

         10/CW 10/FT8 14/CW

8N2OLP    7/CW

8N3OLP    21/CW

8N4OLP    18/FT8

8N5OLP    7/FT8 10/FT8 14/FT8

8N6OLP    14/FT8

8N7OLP    10/FT8

8N8OLP    7/FT8 14/FT8

8N9OLP    7/FT8

8N0OLP    3.5/FT8 7/CW 7/FT8

 

JA1TOKYO(西東京) 3.5/FT8 7/CW 7/FT8 14/FT8 50/FT8 144/FT8 430/FT8

JA1TOKYO(豊島区) 50/FT8 144/CW 430/CW 430/FT8

 

以上の通りでした。1回だけ地元の工業大学キャンパス内からQRVしていた8J1OLYMPIC局と430/FMでQSOしましたが、それ以外は全てCWかFT8です。

「OLP」局は全てログサーチでQSO確認済ですが、「OLYMPIC」局はログサーチが無いため、ビューローからQSLカードが送られてくるまで多少不安です。特に2,4,9,0の各エリアは1回しかQSOできていませんので、何らかの間違いや手違いがあった場合、全エリアCFMできない可能性があります。

また、欲を言えば、8N4OLPは松江市宇部市、8N8OLPは札幌市と江別市、8N9OLPは富山市南砺市、8N0OLPは魚沼市大町市の全てを揃えたかったのですが、4と9は1回しかQSOしていませんのでこれは完成できませんでした。

記念局のQRV期間の途中からFT8を導入したのでそれぞれAJDを完成出来ましたが、FT8の力を借りなければ全く無理だったと思います。

この4か月間があまりにも楽しく充実していましたので、「五輪記念局ロス」はしばらく尾を引きそうです。

菅首相の時局講演会を楽しみにしてたのに・・・

昨日は本来投稿する日ではない「偶数の日」でしたが、事情があり、記事を投稿しました。今日は「奇数の日」ですので投稿する日ですが、昨日も投稿していますので、短篇ブログにします。

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菅首相は今月3日、自民党総裁選への立候補を断念すると表明しました。自民党総裁選は9月17日告示、9月29日に投開票が行われ菅氏に代わる新しい自民党総裁が決定します。

↓ 9月4日の朝日新聞朝刊1面トップ「菅首相退陣へ」

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実は、10月15日(金曜日)18時から、春日部駅西口ロータリー自民党総裁である菅義偉氏による時局講演会が予定されていまして、私はこの日、午後は有給休暇を取得して春日部駅西口に行き、講演を聴きたいと考えていました。

 

↓ 今年2月28日に撮影。埼玉県東部では今でもこのポスターをよく見かけます

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私は特に支持政党はありませんが、それでも現職の首相が来られるのであれば、そのお姿を遠くからでも一目拝見したいと思いますし、肉声も聴いてみたいとも思います。講演の最中に幸運にも菅首相と目と目が合ったら嬉しいな(^^) なんて思ったりもしてました。また、講演会当日の春日部駅西口ロータリーの幾重にも及ぶ黒山の人だかりも見てみたかったです。

菅氏が自民党総裁ではなくなる以上、この講演会は取り止めになるんだろうと思います。ミーハー気質と野次馬根性を発揮して半年も前からこの講演会を結構楽しみにしていただけに残念です。あぁぁぁぁ・・・。

夏の全国高校野球、3球場使用の仮想大会日程

今日は9月8日で「偶数の日」。「偶数の日」は投稿しない日なのですが、特別な事情があり投稿をさせていただきます(^^)

実は、昨日の投稿記事「夏の全国高校野球での複数球場利用を考える」をお読みくださった方から、甲子園球場のほかに2球場を使用すると大会日程はどのように変わるのかが判りにくいとのご指摘を受けました。

そこで今日は、夏の全国高校野球選手権大会甲子園球場だけでなく、京セラドーム大阪ほっともっとフィールド神戸の2球場を併用した場合の仮想大会日程を投稿したいと思います。

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その前に、今年の夏の甲子園大会の実際の大会日程を記します。当然のことながら全て甲子園球場です。

             甲子園

 1日目(8月 9日)  開会式+3試合

 2日目(8月10日)  4試合

 3日目(8月11日)  4試合

 4日目(8月12日)  4試合

 5日目(8月13日)  4試合

 6日目(8月14日)  4試合

 7日目(8月15日)  3試合

 8日目(8月16日)  4試合

 9日目(8月17日)  3試合

10日目(8月18日)  4試合

11日目(8月19日)  4試合

    (8月20日)  休養日

12日目(8月21日)  4試合(準々決勝)

    (8月22日)  休養日

13日目(8月23日)  2試合(準決勝)

    (8月24日)  休養日

14日目(8月25日)  1試合(決勝)

 

このようになるはずでしたが、予想外の降雨が続いたため実際には決勝戦が行われたのは8月29日でした。

 

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それでは甲子園球場京セラドーム大阪(大阪と略します)、ほっともっとフィールド神戸(神戸と略します)の3球場を併用した仮想の大会日程を記します。実際の大会と同じ8月9日を1日目とします。

 

             甲子園      大阪      神戸

 1日目(8月 9日)  開会式+3試合

 2日目(8月10日)  4試合      4試合     3試合

 3日目(8月11日)  4試合      3試合     3試合

    (8月12日)  休養日      休養日     休養日

 4日目(8月13日)  3試合      3試合     3試合

    (8月14日)  休養日      休養日     休養日

 5日目(8月15日)  3試合      2試合     3試合

    (8月16日)  休養日

 6日目(8月17日)  4試合(準々決勝)

    (8月18日)  休養日

 7日目(8月19日)  2試合(準決勝)

    (8月20日)  休養日

 8日目(8月21日)  1試合(決勝)

 

甲子園球場で24試合、京セラドーム大阪で12試合、ほっともっとフィールド神戸で12試合行う仮想日程です。投手の球数制限との兼ね合いなど細かい点の検討は行っていませんので、修正しなければならない点はあるとは思いますが、休養日を5日間入れても8月21日に決勝戦を行うことができます。

 

これはあくまで仮想であり空論ですので、実際にできるはずはありません。甲子園球場以外で全国高校野球選手権大会を行うということに抵抗を感じる方が相当数いることは想定しています。今日の記事は、「あぁ、こんなことを考えている人がいるんだなぁ・・・」くらいに考えていただくだけで十分です(^^)

ですが、正直申し上げますと「あ、この日程意外といいかも・・・」と感じてくださる方が、お1人でもいらっしゃると嬉しいんですが・・・。

夏の全国高校野球での複数球場利用を考える

9月5日の投稿記事の続きです。夏の全国高等学校野球選手権大会は、夏の甲子園」とも呼ばれており、全ての試合を「甲子園球場」で行うことが当たり前になっています。

実際、夏の全国高等学校野球選手権大会甲子園球場以外で開催したのは、昭和38年の第45回記念大会にまで遡ります。その前は昭和33年の第40回記念大会。いずれも記念大会のため全国46都道府県+沖縄の全ての地域から出場したための措置でした。

当時は47~48校も出場したら、限られた日程の中で全試合を甲子園球場だけで消化するのは難しいと考えたのかもしれません。複数球場を利用した2度の記念大会と前後の年の出場校数を記します。

 

昭和32年(1957年) 第39回大会    23校

昭和33年(1958年) 第40回記念大会  47校(2球場併用)

昭和34年(1959年) 第41回大会    29校

昭和35年(1960年) 第42回大会    30校

昭和36年(1961年) 第43回大会    30校

昭和37年(1962年) 第44回大会    30校

昭和38年(1963年) 第45回記念大会  48校(2球場併用)

昭和39年(1964年) 第46回大会    30校

 

このように、5年毎の記念大会は普段の年に比べて出場校が多く、2度の記念大会では、1回戦、2回戦、3回戦は甲子園球場西宮球場の併用で、準々決勝からは甲子園球場のみで行われました。

現在の夏の甲子園大会は例年49校が出場し、3年前の第100回大会では史上最大56校が出場しましたが、全試合甲子園球場で行いました。

ただ、今年のように雨の日が数日続いただけで日程が行き詰まってしまうことが露呈してしまった以上、全48試合を甲子園球場で行うという常識を見直す動きがあってもよいのではないかと考えます。

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具体的には、大会初日から11日目までの1回戦から3回戦まで41試合は甲子園球場と京セラドーム大阪、ほっともっとフィールド神戸の3球場を併用してできないものかと考えます。私のように真剣にスポーツに取り組んだことのない者の視点では、灼熱地獄の甲子園球場よりも、屋根があって空調設備が整っていて快適な京セラドーム大阪でプレーしたいと思ってしまいます。もちろん、なにがなんでも甲子園!!甲子園以外はイヤ!!という方々のお気持ちも尊重します。

 

3球場を併用しますと、日程の短縮に大きく寄与し、出場選手の滞在期間の短縮、プロ野球の日程(特に甲子園球場を拠点とする阪神)に及ぼす影響を減らすことにつながります。また、甲子園球場での試合数を減らすことにより、私が懸念している甲子園球場の美しい外野天然芝の疲弊、損傷が避けられるのではないかと思います。

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参考までに、全国高校サッカー選手権大会は全国48校が出場しますが、1回戦16試合を8つのスタジアム(浦和駒場、NACK5、等々力、フクダ電子など)で1日で行い、2回戦も8つのスタジアムで16試合を1日で一気に消化してしまいます。メイン会場となる埼玉スタジアム2002では準決勝・決勝の3試合のみ行われます。(今年からメイン会場は埼玉スタジアム2002から国立競技場に8年ぶりに戻ります。)

 

もう一つ、全国高校ラグビーの例を紹介しますと、出場51チームはくじ引きにより花園ラグビー場第1グラウンド」・・・収容人員26544人

花園ラグビー場第2グラウンド」・・・収容人員1300人

花園ラグビー場第3グラウンド」・・・収容人員2880人

のいずれかで試合を行うことになります。効率的に試合日程を消化するためには3球場併用は不可避です。それぞれのグラウンドの特徴を書きますと長くなりますので、単純に収容人数で比較します。第1グラウンドと第2、第3との間には大きな格差があるのがこれだけで判ります。

念願の全国大会出場切符を手に入れたら、高校ラグビーの聖地といわれる「花園ラグビー場第1グラウンド」でプレーしたいというのが選手や関係者の本音ではないかと思いますが、これだけはくじ引きなのでどうにもなりません。

全国大会に出場すれば必ず甲子園球場でプレーできることが保証され、ほぼ例外なく全試合がテレビで全国放送されている現在の高校野球がいかに恵まれたものなのかが改めて理解できます。

夏の全国高校野球大会に使用する球場の検討・・・

8月29日の投稿「減り続ける夏の全国高校野球参加校数」、8月31日の投稿夏の甲子園、全都道府県に出場枠は必要かな?」、に引き続き、夏の全国高校野球大会(いわゆる夏の甲子園大会)について考えます。

8月29日の投稿でも申し上げましたが、これらの記事は高校野球のあり方や、現在の運営方針を批判したり疑問を投げかけているわけではなく。個人的な考えを率直に申し述べているだけの記事で、改革を促す目的はありません。そもそも1日に訪れる方が約120人、つまり国民の100万人に1人しか読んでいないこのブログには世論に影響を及ぼす力などありません。ここで申し上げる夏の高校野球の見直し案がすぐに実現などするわけがありませんのでご安心ください。

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さて、今年の夏の甲子園大会は8月9日(月曜)から8月25日(水曜)までの17日間の日程で行われる予定でしたが、台風9号の接近による悪天候のため8月9日の開会式を翌日に順延。さらに8月12日~14日も雨天中止。15日は雨で荒れたグラウンドを朝から整備をして午前11時に第1試合開始、第4試合の終了時刻が大会史上最も遅い午後9時40分となる珍事。

8月17日は降雨の中で大阪桐蔭×東海大菅生が行われ、8回オモテに3点を追う東海大菅生が1死1、2塁のチャンスを迎えたにもかかわらず降雨コールドゲーム勝った大阪桐蔭も勝利の校歌斉唱が省かれる、これまた珍事が発生。

8月18日も雨天中止、8月19日は第1試合が5回ウラ降雨ノーゲーム。第2試合も翌日に順延と決まった後に、雨が上がって第3試合と第4試合が行われたため、1回戦の試合が全て終了する前に2回戦の試合を消化し始める珍事が発生。

このように雨が続き、日程再編したり休養日が消えたりと日程がギリギリの状態となり、もしかしたら決勝戦が9月にずれ込む珍事になるかと思われました。しかし、その後は日程を消化でき、8月29日に決勝戦が行われ、智弁和歌山が21年ぶり3回目の優勝を飾りました。(優勝した智弁和歌山は初戦の宮崎商業戦が不戦勝となったため、4試合戦って優勝となりましたが、これは全国49校出場が定着した昭和53年以降の最少試合での優勝となる珍事)

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このように、8月の半月の間に48試合を甲子園球場のみで消化するのは大変なことであることが判りました。

今年だけが特に不運が続いたわけではなく、今後もこのような状況が発生することは十分あり得ます。この問題を解決する方法としては・・・

 

① 甲子園出場校を減らす(8月31日に投稿済)

 

② 甲子園球場ドーム球場

 

③ 甲子園球場で全48試合を消化せず、1回戦~2回戦(途中)までの24試合は関西地方にある甲子園球場以外の球場を併用する

 

ことが考えられます。

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降雨による試合日程の変更は、体調やメンタルのコンディションの調整に影響を与えるばかりではなく、宿泊費負担や、大応援団の交通機関(主に長距離バス)の予約の調整などにも影響が出ます。

さらに降雨だけでなく、近年の猛暑に起因する熱中症から出場選手を守るためにも、甲子園球場のドーム化が望ましいと考えています。ただ、ドーム化は莫大な費用を要する問題と、高校野球の聖地たる甲子園球場にドームはふさわしくない」と主張するファンの声が根強く、簡単に実現できるものではありません。

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こうなると、夏の全国高校野球大会の全48試合のうち1回戦~2回戦途中までの24試合を甲子園球場以外で開催するのが現実的だと思いますが、昭和38年(1963年)に西宮球場を使用したのが最後で58年もの間、全ての試合を甲子園球場で行ってきた歴史、伝統、実績があり、これも簡単に導入できるやり方ではないとは思います。

特に高校野球の場合は、都道府県予選を勝ち上がって「全国大会に出場する」というより甲子園球場でプレーする」ことこそが高校球児の目的になっているようにも感じられます。そればかりか、高校生の各種全国大会の通称に「甲子園」が多用(例えば「IT・簿記の甲子園」「かるた甲子園」「短歌甲子園」「ダンス甲子園」など80以上あります)されていることも、他球場を利用する方法を採用しづらくしています。

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ただ、サッカーの全国高校大会や、ラグビーの全国高校大会では複数の試合会場を利用して効率的に日程消化をしていますので、その方法を参考にし検討してみるのも悪くはないと思います。これについては9月7日(火曜日)のこのブログで述べたいと思います。

 

本日も1900文字を超えてしまいました。ここまでお読みくださったみなさま、本当にお疲れさまでした(^^)