2回連続で「過去記事アーカイブス」で、しかもかなり突っ込んだ内容のアマチュア無線の話題です。もしかするとアマチュア無線を趣味としている方であってもよく解らないかもしれません。
本日は昨年9月15日に投稿した「アマチュア無線局開設から43年経ちました」という記事を再掲します。ここでは18局のアマチュア無線局のQSLカードをご覧いただき、その共通点が何なのかをお考えいただきたいと思います。
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「アマチュア無線局開設から43年経ちました」
昭和52年9月15日にアマチュア無線局(JH0IAM)を開設し、第一声をあげてから今日で43年経ちました。現在でも細々と継続しております。
2年前の9月15日のブログで、昭和52年9月15日に中学2年生でアマチュア無線局を開設した当時のことを記しておりますので、ご覧くだされば幸いです。
↓ 2年前の記事ですので「41年前」となってます。今年で43年です
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2年前と同じことを繰り返しブログに書いても面白くありませんので、ここからは開設43周年を記念して、アマチュア無線に関するクイズを出したいと思います。
アマチュア無線をされていない方、関心が無い方も覗いて下されば嬉しいです。アマチュア無線家が交換するQSLカードってどんなものか是非一度ご覧いただきたく思います。
問題です。以下の写真でご覧いただくQSLカードの18局には、ある共通点があります。それは何でしょう?
JA1KKA、JA8GZ、JH1WAH、JP1BJR、JA5AG、JA1AA
JP1JCK、JA1RX、JA3AAU、JA1ATF、JA2AB、JK6JPP
JA6CS、JA1NT、JA3AD、JH1WIX、JG1IKY、JA3CS
以上の18局です。共通点は何でしょう?
全て日本のアマチュア局・・・とか
全て男性・・・とか
全てのQSLカードが長方形・・・いうのも確かに共通していますが、不正解とさせてください。
それでは正解を申し上げます。
正解は・・・この下にあります・・・。↓
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この18局の共通点は「戦前に私設短波実験局を開設していたことがある、アマチュア無線界のパイオニアの方々」であることです。戦前の日本では個人で無線局を開設することは極めてハードルが高く、全国で300名くらいしかいません。
戦前の私設短波実験局は、昭和16年12月の太平洋戦争の勃発で原則廃止となり、戦後アマチュア無線が再開したのは11年後の昭和27年7月です。それ以降に復活した戦前派の方々のうち18局からQSLカードをいただいております。
では改めて手許にQSLカードがある18局を紹介します。(QSLカードの並べ方は左上からお名前の50音順です)
左上から
JA1KKA(exJ3GN)荒木様
JA8GZ(exJ2MD)上野様
JH1WAH(exJ1DV、J2HV)漆原様
JP1BJR(exJ1FP、J2JJ)大河内様
JA5AG(exJ4CM)太田様
JA1AA(exJ2IB)庄野様
左上から
JP1JCK(exJ3CK、J2KI)鈴木様
JAIRX(exJ2XA)高崎様
JA3AAU(exJ3CO)玉井様
JA1ATF(exJ7CG、J2PS、MX3H)田母上様
JA2AB(exJ2XF)仲川様
左上から
JA1NT(exJ2NT)日村様
JA3AD(exJ2DJ)深田様
JH1WIX(exJ1DO、J2GX)矢木様
JG1IKY(exJ2OM)山田様
JA3CS(exJ3CS)山本様
戦前に私設短波実験局を開設されていた方で最も若い方でも大正13年3月生で96才となりますので、戦前派の方で現在もアアチュア無線で交信をされている方は皆無ではなかろうかと思います。昨年8月にJA1AA(exJ2IB)庄野氏が100才でサイレントキー(お亡くなりに)なられましたが、もしかしますと故庄野氏が戦前派最後の1人だったのではないかと思います。合掌
超々マニアックな話題にもかかわらず最後までお読みいただき心より感謝申し上げます。
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以上が2020年9月15日の投稿記事でした。この記事を投稿した日から1年2か月ほど経っていますので、今ではアマチュア無線局開設から44年経っています。
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ここからは追加記事です。
戦前に実験局を開設していたことがあり、戦後もアマチュア無線をされていた斯界の大先輩のQSLカードには、戦前のコールサインや戦前に実験局を開設した年を記してあるものもあります。戦前に実験局を開設されていた方で、戦後もアマチュア無線をされていた方は2年前に100才でSKされたJA1AA(exJ2IB)局が最後ではないかと思われますので、ご覧いただくような戦前のコールサインが記されたQSLカードは今後いただくことはできません。
それぞれのQSLカードには、ご住所やお名前が明記されていますので、それらが写らないよう撮影しています。そのため不自然で見づらい写真になっていますがご容赦願います。
↓ 上から JP1BJR JH1WIX JA1ATF
JP1BJR=J2JJ局は戦前日本では2人しかいないDXCC達成者の1人です
JH1WIX=J1ZB局は1924年開設ですのであと3年で100周年です
JA1ATF=J2PS局は中国、満州のコールサインも併記されています
↓ 上から JH1WAH JK6JPP JA3AAU
3局とも戦前のコールサインを誇らしく併記されています。戦前に実験局を開設していた方々の親睦団体「レインボークラブ」の会員であることを示している方もいらっしゃいます。
↓ 上から JA1KKA JG1IKY
2局とも戦前のコールサインを併記されています。レインボークラブのメンバーなので虹の写真ですね。FBです。
↓ 上から JA3AD JA3CS
JA3AD=J2DJ局は1936年開設
JA3CS=J3CS局は戦後のコールサインも戦前と極めて似ている珍しいケースです。
↓ JA2AB局は戦前J2XFの免許を受けた際の官報をQSLカードにしています
このQSLカードそのものが貴重な資料です。戦前は常時電波を発射してよいわけではなかったようです。なお、施設者名(お名前)と機器装置場所(住所)は消させていただきました。
↓ JA5AG局 戦前はJ4CM
EX J4CMと記してある直ぐ上にご住所やお名前が記してありますので、いただいた4枚のQSLカードを重ねています。都度丁寧に「大正3年生」であることをお書き下さっています。
↓ JA8GZ局 戦前はJ2MD
4枚のQSLカードをいただいております。QSLカードのデザインから、船舶通信の職業に就かれていたのではないかと思われます。
JA1NT局 戦前はJ2NT サフィックスが戦前と戦後で同一です
Nonki na Tosan(呑気な父さん)はベテランハムの間では広く知られたニックネームですね(^^)
本日は以上です。ご覧いただきありがとうございました。