約1か月前の12月3日に、「ヤフオクで中学生の頃の思い出を2千円で手に入れました」というタイトルの投稿をいたしました。
投稿の内容は、私がアマチュア無線を知り、国家試験に合格しアマチュア無線局を開設した頃の「JARL NEWS=日本アマチュア無線連盟会員に向けて発行されていた月刊誌(当時)」を昭和52年4月号から昭和54年2月号までのうち17冊をヤフオクで見つけて入手し、中学2年から高校入学直前期までの思い出に浸って幸せな気分になれた・・・、というものでした。
↓ この記事です(^^)
実はその後もヤフオクで「JARL NEWS」を探し続け、私が小学校6年生だった昭和50年から、大学受験浪人となり地元の予備校に通っていた昭和57年までの8年間に発行された96冊のJARL NEWSのうち91冊を揃えることができました。
91÷96=約95%を揃えたことになります\(^o^)/
↓ 昭和50年(1975年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和50年は小学校6年生。ソニーのトランジスタラジオで海外放送やアマチュア無線局の交信を受信し始めた頃です。アマチュア無線技士国家試験を受験したいとは思っていましたが、試験場が遠隔地なので断念していました。当時は上越新幹線や東北新幹線はまだありませんでした。
この年はまだ日本アマチュア無線連盟の会員ではありませんので、昭和50年のJARL NEWSには初めて目を通しています。
↓ 昭和51年(1976年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和51年は中学に入学した年で、まだアマチュア無線技士国家試験を受験するに至っていませんが、8月に日本アマチュア無線連盟に准員(JA0-3086)で会員になりました。したがって1月号から8月号までは初めて見るJARL NEWSです。この頃は積極的にアマチュア無線局の交信を受信し、受信報告(SWLカード)を送付しQSLカードを集めていました。
↓ 昭和52年(1977年) 1月号、2月号、6月号が欠けています
昭和52年は中学2年。4月に電話級アマチュア無線技士国家試験を受験し合格。9月に念願のアマチュア無線局(JH0IAM)を開局しました。
↓ 昭和53年(1978年) 1月号、4月号が欠けています
昭和53年は中学3年。高校受験を目前に控えていたものの勉強もせず朝から晩まで「CQ CQ」。最もアクティブにアマチュア無線を楽しんでいた時期です。
↓ 昭和54年(1979年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和54年、第1志望の県立高校に入学でき、別々の中学に通っていたアマチュア無線仲間も同じ高校に集結し楽しい毎日。学校の屋上のアンテナも利用しながらアクティビティを維持していました。
↓ 昭和55年(1980年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和55年は高校2年。麻雀などの遊びを覚え始め、無線のアクティビティが少しずつ下がり始めた時期です。
↓ 昭和56年(1981年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和56年は高校3年。受験勉強もせず普通自動車運転免許を取得してドライブを楽しむ日々。オンエアする頻度は大幅ダウン。コンテストで少しQSOする程度でした。
↓ 昭和57年(1982年) 1月号~12月号全て揃っています
昭和57年は大学受験浪人で予備校生です。オンエアしていた記録は殆ど残っていません。昭和52年の開局から5年経過し、初めて再免許申請をしました。無線局免許は移動局も固定局も今日まで一度も切らしたことはありません。
昭和58年に大学進学で上京する際に幼少期から親しんでいた百科事典や学習図鑑、小学校5年くらいから購読し保管していたアマチュア無線雑誌や週刊ベースボール、相撲の月刊誌、そしてこのJARL NEWSなどを大量に廃棄処分してしまったのですが、小学校6年生から予備校生に至る8年間のJARL NEWSの約95%を年末年始のヤフオクで買い戻すことができ嬉しく思っています。連日楽しみながら1頁ずつじっくりと熟読しています。当時も読んでいたはずなんですが、40年の時を隔てて読み返すJARL NEWSは全くの別物のように感じます。