5月26日の投稿で、幕内最高優勝に輝いた力士が、その場所十両力士に敗れていたといった極めて珍しい記録が残る昭和36年夏(5月)場所の話題を取り上げました。
今日も大相撲の「優勝」にまつわる珍記録の話題に触れたいと思います。今日は幕内最高優勝ではなく序ノ口優勝の珍記録です。
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大相撲千秋楽(各場所の15日目=最終日の日曜日)のテレビ中継を観ていますと、各段優勝力士の表彰やインタビューの場面が放送されることがありますので、番付の地位に応じて幕内最高優勝のほかに、十両優勝、幕下優勝、三段目優勝、序二段優勝、序ノ口優勝があるとご存知の方も多いかと思います。
今日はその中で、序ノ口優勝での珍記録について書きたいと思います。
好角家(大相撲ファンのこと)の間では割と知られているのですが、昭和26年春(1月)場所の序ノ口優勝は郡山(こおりやま)という力士で、その成績は8勝7敗でした。現在は幕下以下では1場所の取組数は原則7番ですが、この当時は戦後の混乱期で角界への入門者が少なかったため、幕下は昭和24年5月場所から昭和28年1月場所までの12場所、三段目以下は昭和24年5月場所から昭和26年9月場所までの8場所は15日間取組がありました。
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序ノ口優勝とはいえ、8勝7敗での優勝とは一体どのように実現したのか不思議に思われる方も多いかと思います。こうした珍記録が発生した背景にはこの場所(昭和26年春)の序ノ口の力士数が少なかったことがあげられます。
それではこの場所の各段の力士数を数えてみます。
幕内 53人(内訳 横綱3、大関3、関脇3、小結2、前頭42)
十両 32人
幕下 57人
三段目 76人
序二段 55人
序ノ口 13人
計 286人
その他に入門したばかりで番付に載っていない、新序(9人)と前相撲(12人)が土俵に上がっています。
前述の通り、戦後の混乱期から脱しきれていないこの時期は入門者が少なく、序ノ口の人数は毎場所少数(9~24人)でした。終戦間もない頃には序ノ口の力士数が0人という場所もありました(昭和20年11月場所と昭和21年11月場所)
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それではこの昭和26年春場所の序ノ口力士13人の成績をご覧いただきましょう。
東序ノ口1 工藤 0勝0敗15休 西序ノ口1 古市 0勝0敗15休
東序ノ口3 二子海 0勝14敗1休 西序ノ口3 柏森 6勝9敗
東序ノ口6 大城 8勝7敗 西序ノ口6 佐世保山 0勝14敗1休
東序ノ口7 高瀬 0勝0敗15休
13人のうち全休が3人、0勝が2人、皆勤した8人中辛うじて8勝7敗で勝ち越したのが郡山と大城の2人で、番付上位の郡山が優勝となりました(昭和22年6月場所から優勝決定戦制度が導入されましたが、昭和25年1月場所から昭和31年1月場所までの約6年間は幕下以下の優勝決定戦は行われず、番付上位者がそのまま優勝となっていました)。
この場所の序ノ口は人数が少ないため、格上の序二段の力士とも数多く対戦が組まれたことも序ノ口の力士の勝ち星が伸びなかった理由の一つでもありました。こうして非常に珍しい「8勝7敗の優勝」が実現しました。
優勝力士が8勝7敗で勝ち越したからまだよかったですが、このように序二段の力士との対戦が多く組まれる状況であれば場合によっては序ノ口では勝ち越しが1人もいないこともあり得ました。仮に序ノ口で最も優秀な成績が7勝8敗で負け越していても優勝としていたでしょうか? それとも「該当者なし」にしていたでしょうか? 今となっては知る由もありません。
本日の記事は以上です。大相撲の記事も無線の記事もやや偏執的な方向に走りがちになり、多くの方々の興味や関心の範疇から外れてしまっているかもしれません。それでもお読みくださっているみなさまには改めて感謝申し上げます。