2月11日に亡くなられた、ノムさんこと野村克也氏の経歴や実績を伝えるテレビ番組が数多く放送されていますが、その殆どが南海、ヤクルト、阪神、楽天の監督として活躍されたころの映像を使っています。中には社会人野球のシダックス(2003~2005年)の監督時代の映像を丁寧に使っている番組もあり、こうした番組は非常に好感が持てます。
ところが、現役のプレーヤーとして活躍している当時の映像は殆ど放送されません。
選手としての野村氏の活躍時期は、昭和31年~昭和50年までの20年間。この20年間、昭和49年を除いて20本塁打と打率3割のいずれか、または両方をクリアしています。
やはり昭和30年代や昭和40年代となりますと、録画機器や録画ビデオテープなどが高価で、通常の試合などは録画されることなどなく、仮に録画していても、優勝決定試合とか、完全試合や無安打無得点試合とか、何らかの記録が達成された試合でもなければ保存することはなかったのかと思います。
さらに、野村氏が活躍していた当時のパ・リーグの観客動員数は1試合平均で5000~10000人程度。かなり水増ししてもこの数字で、実際には観客が1000人以下で、ほぼ無人の外野スタンドが写る写真が数多く見られます。ちなみに平成31年(令和元年)度のパ・リーグの1試合平均観客動員数は27203人です。人気が無い当時のパ・リーグの試合の取材記者の人数も限られており、映像どころか写真すらも残っていないのは無理もないことかな、と感じます。
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ただ、昭和30年代~昭和40年代の雑誌などで、野村氏がどのような考えで野球に取り組んでいるのかをインタビューや対談で語る場面はかなり多く見られます。長嶋・王に比べたら注目度が低いとご本人はお考えですが、当時からメディアは野村氏の発言には着目していたのではないかと感じます。
↓ ベースボールマガジン 昭和38年4月号 長嶋茂雄氏との対談
↓ 報知新聞社発行 栄光の背番号3 長嶋茂雄 「監督とは孤独なもの」寄稿
通算本塁打657本は、王貞治氏に次いで第2位。通算打席数や打数は史上1位。通算犠牲フライ数も1位。現役生活を27年も続けたため通算併殺打も1位。意地悪な野球ファンは、当時南海ホークスが本拠地にしていた大阪球場は狭かったので、本塁打が出やすかったと語っているようですが、当時の野球場などはどこも似たようなもので、平和台球場や川崎球場、広島市民球場なども結構狭かったように記憶しています。
私たちの世代ですと、監督としての野村氏、も強打の捕手として鳴らした野村氏の双方のイメージがはっきりと記憶として残っていますので、映像で見たかったというのが本音です。
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ところで最近、YouTubeで映像を見つけ出して嬉しかったのが、野村氏と同じ時期に毎日~大毎~東京~ロッテ~西鉄で活躍した榎本喜八氏の打撃。
↓ 実績がありながら謎に包まれている榎本喜八氏を紹介する名著「打撃の神髄」
講談社刊 1800円(税別)
15年前に購入しましたが今でも繰り返し読みたくなる名著です。
↓ 文庫でも「打撃の神髄」が出版されてます
これですと半値で買えますね(^^)
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榎本氏は、史上最年少2000本安打到達者で、31才7か月での到達でした。実は今年、巨人の坂本勇人選手が7月29日までに116安打を放てば、榎本氏の記録を抜き、史上最年少での2000安打到達となります。ですので、今年のプロ野球中継では何度も榎本氏の話題に触れることになると思われます。
榎本氏は昭和47年まで現役の選手でしたので、私はすでにプロ野球には少しずつ関心を寄せてはいましたが、当時のパ・リーグの試合がテレビ中継されることなど殆ど無く、パ・リーグのチームヤ選手がテレビで観ることができるのは、日本シリーズかオールスターゲームくらいでした。引退後にコーチにも監督にも、解説者にもならなかった榎本氏はどのような選手なのか、どのような人物なのかが判りませんでした。
前述の野村克也氏は南海の捕手時代に榎本氏を評して「王さんの選球眼は凄いと言われているが、榎本さんのほうがもっと凄い」としています。
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それでは、YouTubeで見つけた、昭和41年オールスターゲーム第1戦、阪神・バッキー投手と榎本喜八氏の対戦の模様をご覧ください。特に、1球目の避け方と2球目の外角の球を豪快に引っ張るフルスイングに注目してください。
↓ こちらです
この映像だけでも榎本氏の凄さがご理解いただけるのではないかと思います。榎本氏は2012年3月14日にお亡くなりになっていますが、通算安打数2314と一致しているのは何らかの因縁を感じます。