埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

悔しさで気が狂いそうになることってありますよね・・・

まさに今がそんな気分。

 

勤め先の職場では、2年くらい前から「早帰り!早帰り!」と定時で帰るよう促されているのですが、このところ仕事量がどんどん増えて、定時では帰れなくなっています。

今日は午後6時ごろ、残って仕事をしていましたら、「このところ退出時刻が遅い」との指摘を受け、さらに「周りの人たちは定時で帰るというルールに従っているのに、一人だけ遅くまで残っているのはダメだ」「他の人も残って仕事をしたいと思っていても我慢して定時に帰っている」んだそうで・・・。

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もう、反論する気力も残ってないんですよね・・・。

はっきり申しますと、周りの人たちとは仕事の絶対量が違うし、お取引先など外部の方々との打ち合わせなどは夕方5時近くに電話やメールが飛び込んでくることが多いんです。

 

そんなことは理解してくれているものだと思っていたのが大間違いだった・・・。

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自分では、周りの人たちなんかより仕事量は圧倒的に多く、多くのお取引先の方々と勤め先の会社とのパイプ役を果たしていて、職位は底辺でも責任ある仕事を担っていると思っていました。だからこそ、朝は周りの人々より数十分以上早く出勤して、雑用は朝のうちに終わらせるようにしていますし、午前10時と午後3時にある10分間の休憩時間も周りの人たちは休憩室でくつろいでいるのに、私は休まず作業を続けて少しでも仕事を消化しようと努めています。

昼休みだって、誰よりも早く仕事に戻り、10分でも、5分でも時間を捻出しようと努めています。

頻繁に来訪される方々の応対をしながら誰よりも多くの事務作業を間違いなく行わなければならず、痛む左腕や左肩を引きずりながら、一日中緊張状態が続きます。

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同じ部署の人たちはみな我が儘気ままで、昨年11月の職員旅行はスルー、忘年会もスルー。私だけは所属部署や部長に恥をかかせてはならないと思い、職員旅行も忘年会も我慢して参加したのですが、そうした私なりの配慮を全く考えてくれていなかったことにもガッカリ。今後は職員旅行も忘年会も参加しません。

 

職場の事務室には、朝は一番乗りしますので誰も気づかないと思いますが、私は入室する際は一礼して入室します。また帰る際も一礼して退出します。こんな職員は他にはいないと思います。

また、半月に1度事業所全体の朝礼(約60人くらい参加します)がありますが、そこで社長や役員、管理職の話される内容をメモに取り、書き留めながら聴いているのは私ただ一人だけ。

でも・・・、どんなに真面目に努力してもそれに気づかない人たちが集まる事業所ではすべてが無駄になるんだな・・・と、思い知らされました。

だからといって、「私はこれだけのことをやって貢献しています」とか声高らかに主張するのってできないんですよね・・・。だから、どんなに悔しくて、気が狂いそうになっても我慢するだけ・・・。今までだって耐えてきたんです・・・。

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ただ単に午後6時ころまで残って仕事をしていることを咎められただけでなく、私が日頃会社のため、所属部署のためにと自分なりに頑張っていることや、所属部署の部長に恥をかかせてはならないと思って行動していることが何一つ汲み取ってもらえていなかったことが悔しくて、遣る瀬無い気分・・・。

 

帰宅後も沈んだ気持ちを奮い立たせることはできず、妻が用意してくれた恵方巻も「西南西」の方角を向いてまるごと噛り付く気力などありません。食欲も失せてしまい、恵方巻は輪切りにして普通の海苔巻きとしてなんとか食べ切りました。

毎年恵方巻を大喜びでバクバク食べるのに、今年の私は「食べたくない」と言い出す異常事態。これには妻も驚いているようでしたが、どう取り繕っても平静を装うことができませんでした。

職場から徒歩3分で自宅に着く環境では、職場で嫌なことがあると、それを引きずった状態で帰宅しますので、家族はすぐに気分の浮き沈みに気づきます。家族には悟られないようにしたいのですが、今日はショックが大きすぎて無理でしたね・・・・。

 

約20年もお世話になっている会社ですから、あまり非常識なことをしたくはないのですが、これ以上バカにされるようなら、9月に控えた勤続20年の金一封などいただかずに突然退職して困らせてやろうかと・・・・ふと考えてしまいます・・・。

行ってきました! スガヌマ立体車庫(大井埠頭)!!

これは知る人ぞ知る立体車庫。東京モノレール流通センター駅で降りて環七通りを東に約20分ほど歩きますと、その巨大な立体車庫が姿を現します。

↓ 見えてきました、スガヌマ立体車庫!

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↓ 遠くから見ますと、マンションのようにも見えるのですが・・・・

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↓ これ、トレーラーの荷台部分だけ(シャーシ)の立体車庫なんです!!

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運転席やエンジンがある部分が荷台部分を牽引するものをまとめて「トレーラー」と称していますが、正しくは、運転席やエンジンがある方は「トラクター」で、コンテナを載せて牽引される側(荷台部分)が「トレーラー」です。

この「スガヌマ立体車庫」は、コンテナを載せていないトレーラー部分(シャーシ)専用の立体車庫です。

24列×10段=240台格納できる立体車庫が2基ありますので、なんと480台ものシャーシを格納することができます。

初めて見る巨大なシャーシ専用立体車庫の異様な光景に圧倒されます。

↓ トラクター(運転席等がある部分)との連結部分が外にはみ出し、ますます異様

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↓ 夥しい数のシャーシに圧倒されます

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↓ もう1基あります

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↓ こちらもスゴイ光景で、思わず息をのんでしまいます

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スガヌマ立体車庫で圧倒され、少し海に向かって歩きますと、スゴイ数のコンテナが目に飛び込んできます。

↓ 文字通り「コンテナの山」

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東京港には、大井、品川、青海、中央防波堤外側埋立地と4つのコンテナターミナルがありますが、ここ大井埠頭が最大規模を誇ります。立体車庫にしてもコンテナの山にしても、度肝を抜かれる規模です。

先週訪れた、KDDI八俣送信所の広大な敷地と巨大アンテナ群に圧倒され、驚かされたばかりでしたが、今週もまた驚かされてしまいました(^^)

↓ 海に目をやると、大量のコンテナを載せた船舶が航行していました

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2週連続で珍しい光景を目にする事ができ、今年は幸先の良いスタートを切れました。今年もさまざまな珍しい場所を訪れ、その訪問記を投稿したいと思います。\(^o^)/

「令和2年銘ミントセット」が造幣局から届きました

今日は金曜日ですので、ただでさえ嬉しいのですが、今日帰宅しましたら、以前に申し込んでいました「令和2年銘ミントセット」が届いていました。\(^o^)/

↓ 化粧ケースのデザインが変わりました。上が表面で、下が裏面

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↓ 過去2年間(3種類)の化粧ケース。今年の素晴らしいデザインは目を惹きます(^^)

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左上・・・2018年(平成30年銘)    右上・・・2019年(令和元年銘)

左下・・・2019年(平成31年銘)    右下・・・2020年(令和2年銘)

 

↓ 化粧ケースの裏面です。

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左上・・・2018年(平成30年銘)    右上・・・2019年(令和元年銘)

左下・・・2019年(平成31年銘)    右下・・・2020年(令和2年銘)

 

↓ 今日届いた「令和2年銘ミントセット」、早速開けてみます(^^)

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内面には「貨幣の説明」や「貨幣に関する出来事」が記されています。

 

↓ 取り出しました。貨幣表面です。中央には干支のねずみの図案の丹銅製製造年銘板

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↓そして貨幣の裏面。初めて見る「令和二年」「令和2年」銘の貨幣

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中央の製造年銘板には今年の干支「庚子(かのえね)」の文字が

 

↓ 「令和二年」「令和2年」銘の500円、50円、5円の3つを拡大してみます

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↓ 「令和二年」「令和2年」銘の100円、10円、1円の3つを拡大します

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毎年、最新の年銘(年号)の貨幣を見るのを楽しみにしています。毎年、新しい年銘(年号)の硬貨を目にした瞬間はワクワクドキドキします。

来年(令和三年)からは500円貨幣に変更があります。図柄や径は変わりませんが、現在のニッケル黄銅貨からイカラークラッド貨(2色3層構造)になります。これは、ドーナツ状の薄い金色の金属の中空部分に銀色の金属をはめ込む構造で、偽造防止を目的としています。来年発行される新しい500円硬貨。初めてご覧になる方は「う、これはなんだ?」と驚かれるかもしれません。

 

「令和2年銘ミントセット」造幣局オンラインショップ」で申し込み受付をしておりまして、申し込み受付最終日は2月4日です。

↓ 造幣局オンラインショップのサイト

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右上の赤い部分をクリックしますと「新規会員登録」のページに移ります。会員になりますと、造幣局からダイレクトメールが送られてきまして、ハガキでもWebでも簡単に購入できるようになります。オススメします。

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冒頭でも申し上げましたが、金曜日というだけで嬉しいのですが、楽しみにしていた「令和2年銘ミントセット」が届き、楽しい夜を過ごしています。明日は左腕、左肩のリハビリのため近くの総合病院に行くことになっております。

今日1月31日は「奇数の日」。明日(2月1日)も「奇数の日」ですので、明日も投稿いたします。このように2日連続で投稿できる機会は今年は8回あります。閏年だから8回ですが、普段の年(閏年以外)は年間7回です。

「日本アマチュア無線連盟会員局名録」が到着しました!

本日郵便で「日本アマチュア無線連盟会員局名録」が到着しました。

↓ これです。2年に1度の楽しみです

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昨年の秋に先行予約で購入しましたので、送料・消費税込みで3200円。

私、こうした会員名簿とか高等学校の同窓会名簿だとかが届きますと結構気がかりなことがありますので、しばらく目を通します。

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さて、日本アマチュア無線連盟の会員数は、ピークだった1994年に約19万4千人もいたのですが、昨年11月7日のデータでは65147人。ピーク時から25年の時を経て3分の1に減少しています。

しかしながら、私が初めて日本アマチュア無線連盟に准員(じゅんいん=まだ無線局免許を持っていない準会員のようなもの)として入会した昭和51年の会員数もそれくらいだったと記憶していますので、45年くらい前に戻って本当に無線が好きな人たちだけが残ったと考えていいのかと思います。

問題はその年齢構成。昨年3月7日現在の会員(正員+家族会員)のデータでは、人数が多い層から順に・・・

1.66~70才  11266名

2.61~65才   9737名

3.56~60才   8812名

4.71~75才   7057名

5.51~55才   6181名

6.76~80才   3994名

7.46~50才   2803名

8.81~85才   2009名

9.41~45才   1271名

10.85才以上     725名

11.36~40才    579名

12.16~20才    309名

13.15才以下     278名

14 31~35才    245名

15.21~25才    201名

16.26~30才    166名

このような状態。あと20年くらいしますともう連盟組織が成り立たなくなる年齢構成なんです。22才未満の方は確か初年度会費免除だと思いますので、未成年+20才の会員が587名いますが、会費を払うことになったら継続するかどうかわかりません。

私はこのデータの基準日である平成31年3月の段階では55才でしたので、6181名の中の1人。この中ではかなり若い世代に分類されると思います。

実際、ハムフェアなどのアマチュア無線関連の催し物会場に行きますと・・・

「お、随分と若い人が来たねぇ・・・」と歓迎されてしまいます(^^)

アマチュア無線局を開設したのが昭和52年9月。14才4カ月の時でした。以来42年間、5年ごとに更新申請を必要とする無線局免許は一度も途切れることなく、細く長く続けてきたつもりです。普通であれば40年以上のキャリアがあれば、その世界では一目置かれる立場になっている筈ですが、アマチュア無線の世界では、昭和27年~昭和30年代、昭和40年代から半世紀以上続けているベテランがたくさんいますので、40年経過した程度ではまだまだ大きな顔はできません。

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私のコールサインは「JH0IAM」ですが、今日届いたアマチュア無線連盟局名録で、「JH0I##」のコールサインを持つ、同時期に信越管内でアマチュア局を開設した方は何人残っているのか数えてみました。

結果、JH0IAM、IBL、IBO、IBY、IDG、IEW、IEY、IFE、IGG、IHR、IJJ、IKQ、ILL、IMF、IMM、INE、INJ、INP、INS、IPB、IQI、IRM、ISW、ITG、IWE、IWP の26局が掲載されています。

「JH0I##」のコールサインはJH0IAAからJH0IZZまで、26×26=676局が免許を受けていたはずですが、そのうちの26局が現在もアマチュア無線連盟の会員であり、アマチュア無線を続けています。同時期に始めた方の中では4%弱が昭和~平成~令和と43年間続けていることになります。意外と多いかも・・・。

この調査はあくまで簡易的なもので、日本アマチュア無線連盟に所属せずアメリカ無線中継連盟(ARRL)に所属している人がいるかもしれませんし、信越管内から別の地域に転居してその地域のコールサインを新たに取得して無線を続けているかもしれません。しかしその数は極めて少数ではないかと思います。

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そして特に「JH0IA#」のコールサインの26局は「同期の中の同期」なのですが、今日届いたアマチュア無線連盟局名録では私以外には誰もいなくなり寂しく感じます。

↓ JH0IA# 各局のQSLカード

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JH0IAB、IAC、IAJ、IAL、IAO、IARといった同期開局の各局と私(IAM)のQSLカード。いずれも昭和52年~53年に交信したものです。もう過去にアマチュア無線をやっていたことなどすっかり忘れているのかもしれません。

徳勝龍優勝、今日の朝刊は永久保存にしよう

昭和40年代半ばから約50年にわたって大相撲を観戦(テレビ桟敷ですが・・・)してきましたが、昨日千秋楽を迎えた令和2年初場所は、50年間(約300場所)観てきた中でも最も印象に残り、最も意外性があり、珍しい記録がたくさん生じた場所になりました。

西前頭17枚目の徳勝龍が14勝1敗で優勝しました。報道されているように幕尻での優勝は平成12年3月場所の貴闘力(東前頭13枚目・13勝2敗)以来20年ぶりです。

ただ、貴闘力の場合は幕尻ではありますが「東前頭13枚目」で、半枚下の「西前頭13枚目」に若の里がいましたので、本当の意味での幕尻ではなかったと考えていました。この度の徳勝龍の場合は、「西前頭17枚目」で幕内最下位でしたので、これこそが真の幕尻優勝です。

20年前に幕尻優勝をした貴闘力は、優勝の場所こそ前頭13枚目にまで番付を下げていましたが、それまで三役を25場所も務め、特に平成8年は、7月場所が小結で10勝、9月場所は関脇で11勝をあげ、大関候補として注目を浴びていた実力者。優勝してもそれほど意外な印象は受けませんでした。

この度優勝した徳勝龍は、この初場所を迎えるまでは、最高位が西前頭4枚目。三役経験なし、三賞受賞なし、平成25年から平成29年までの5年間で幕内を23場所務めていましたが、平成30年~平成31(令和元)年の2年間、12場所のうち11場所を十両で過ごしていましたので、私の印象もすっかり「峠を越えたベテラン十両力士」となっていました。ですので、貴闘力の優勝に比べますと何倍も意外性を感じますし、地味で目立たなかった徳勝龍が一躍時の人になった衝撃度の大きさは大相撲の歴史の中でもひときわ目立つものだと思います。

 

昨年11月場所の徳勝龍は西十両筆頭で11日目を終わって4勝7敗。そこから4連勝して何とか8勝7敗と辛くも勝ち越し、今場所ギリギリ幕尻(西前頭17枚目)にすべり込みます。西十両筆頭で8勝7敗ですと番付運が悪ければ、東十両筆頭に半枚上がるだけのこともあり得ます。また、そのまた前の場所(9月場所)は東十両3枚目で8勝7敗の成績で11月場所の番付を西十両筆頭まで上げていたことも幸運でした。11月場所が十両2枚目でしたら、8勝で返り入幕はなかった可能性が大きかったと思われます。

昨年11月場所の終盤4連勝と、番付運が比較的良かったことがこの初場所の大躍進につながっています。

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初場所の徳勝龍、2日目の魁聖戦で1敗を喫するもその後13連勝して幕内最高優勝に輝くのですが、この1敗が無ければ、昭和32年11月場所優勝の玉乃海(東前頭14)以来62年ぶりの関脇以下での全勝優勝となっていたところでした。しかし残念ながらそれはなりませんでした。

逆に負けた相手が仮に十両力士であれば、昭和36年5月場所優勝の佐田の山(西前頭13)以来の「幕内優勝力士が十両力士に敗れる珍記録」となるところでした。この場所の4日目、西前頭13枚目の佐田の山は、東十両筆頭の清ノ森に肩透かしで敗れています。なお清ノ森はこの場所12勝3敗で十両優勝していますので、この場所は「幕内優勝力士<十両優勝力士」という珍記録が残っています。

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全勝とか、十両力士に敗れる珍記録はなりませんでしたが、昨日の千秋楽の土俵では長い大相撲の歴史の中でも前例がないことがたくさん見られました。

・幕尻力士の「これより三役」登場

・幕尻力士の千秋楽結びの一番での登場

・返り入幕力士の優勝

・西前頭17枚目は史上最低地位での優勝(昭和14年

  初場所の出羽湊と同地位)

 

今後数十年、あるいは100年は見られないかもしれない大相撲の歴史の中でも五指に入るであろう極めて珍しい場面ですので、千秋楽のNHKテレビの大相撲中継は録画しブルーレイで保存しました。

また、今朝の新聞も永久保存にします。数十年後の相撲ファンに読んでもらいたいと思います。

↓ 今朝の朝日新聞11面

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↓ 同27面

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↓ 同1面

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ただ珍しい場面というだけでなく、徳勝龍の名が全国に知れ渡り、徳勝龍の今後の人生をも大きく変える場面を見ることができてよかったと思います。1月18日に急逝された近大相撲部の恩師である伊東監督も教え子の大活躍にさぞ喜んでいることと思います。

私はすでに5月場所の初日(5月10日)、国技館での徳勝龍の優勝掲額の披露を楽しみにしています(^^)

行ってきました! KDDI八俣送信所(茨城県古河市)!!

本日は午前中は近くの総合病院で、痛みが残る左肩や左腕のリハビリを受け、午後からは、茨城県古河市にある、KDDI八俣送信所に出かけてきました。

八俣送信所が開設されたのは1940年(昭和15年)。今年で開設80周年になります。

KDDI」と名の付く施設だけに、携帯電話の電波を中継している施設だと誤解を受けそうですが、この送信所はNHKの海外向け短波放送や、特定失踪者問題調査会北朝鮮に向けて放送している短波放送(しおかぜ)を送信しています。携帯電話の中継所ではありません。

ではなぜ、auの携帯電話でおなじみのKDDIがNHKの海外向け短波放送の送信をしているのかといいますと、詳細に触れますともの凄く長くなりますので、戦時中や終戦直後の事情を省略しますが、もともとNHKの海外向け短波放送の送信を請け負っていた国際電信電話株式会社(KDD)が、2000年に第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)と合併し、現在のKDDIになったんです。

旧KDDは、国際電信電話株式会社法による郵政省管轄の特殊会社。超名門会社です。

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JR宇都宮線古河駅からJRバス関東の大綱行きに乗り約30分。東山田で下車しました。その次の中里バス停で降りたほうがよかったかも・・・。

↓ 数分歩くと少しずつ巨大アンテナ群が見えてきます

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このKDDI八俣送信所面積は約110万平米。東京ドーム22個分もの広さがあります。今日は周囲を5kmほど歩きました。

↓ 巨大なカーテンアンテナ。無線に興味のある方でしたら興奮すること間違いなし

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↓ 高さ70mの鉄塔が22本。高さ35mの鉄塔が13本あるとのこと

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↓ これまた壮大な太陽光ソーラーパネル

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↓ しばらく歩くと入り口があります・・・が閉じられています

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↓ シンプルながら風格を感じさせる看板

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↓ 手を伸ばせば届きそう・・・でもないですが、目の前の巨大アンテナに興奮

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↓ アンテナだけでなく、広大な敷地にもビックリ

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↓ 一般道からよく見えます。金網や鉄格子はありません(立入禁止看板はあります)

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↓ 別の入り口

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↓ 入口は数カ所あるようです

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↓ 見事な眺め。今日は200枚もの写真を撮りました

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↓ 送信所の中を一般道が縦断しています

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↓ 局舎。昭和20年4月に米軍機から銃撃された跡(凹)があるらしい

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↓ 送信所で聴く放送は格別。16時すぎ、アジア大陸向け日本語(11825kHz)

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当然ですが、Sメーターは振り切れです。

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ところでこの八俣送信所はあまりに広大な敷地を持つため、さまざまな問題に悩まされているようです。

↓ 無断立入

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↓ 犬の散歩での立ち入り

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↓ ゴルフ遊び

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↓ きのこ、木の実等の採取

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↓ 空き缶の投げ捨て

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↓ ゴミの不法投棄

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↓ たばこの投げ捨て

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↓ 構内を縦断する一般道でのスピードの出しすぎ

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↓ 鉄塔に昇る人などいるのかな?f:id:jh0iam:20200125221628j:plain

私にとってはここは「聖地」のようなところです。送信所に勤めていらっしゃる方々の迷惑になるようなことは絶対にやめてほしいと思います。

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これだけの広大な敷地を有する送信所ですから、市街地からかなり離れた郊外にあります。バスで訪れる際は、1時間に1本しか便が無いことを考えて計画を立てていただきたくお願いします。

↓ バスは1時間に1本。古河駅まで約30分乗車します

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なお、Googleのストリートビューでも八俣送信所の雰囲気を味わえます。

↓ 「八俣送信所」でググって、ストリートビューで見てみます

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もの凄い巨大な送信設備、施設を目にして本当に有意義な一日でした。

なお、2018年12月10日に、埼玉県久喜市にあるNHKラジオ第1、ラジオ第2放送の放送所も訪れて、ブログに投稿しております。そちらも併せてご覧いただきたいと思います。

↓ この記事です

saitama-dame.hatenablog.com

観戦歴50年、「野球」が私からどんどん離れていく・・・

1月23日、「奇数の日」ですのでブログ投稿をさせていただきます。

今日の投稿は職場の愚痴でも書こうかと思っていましたが、今朝のニュースで知った日本野球機構プロ野球12球団がワンポイントリリーフ禁止を検討」について一言申し上げることにします。

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20年くらい前から野球のルールが目まぐるしく変わりまして、「危険球退場ルール導入」、ボールカウントの「S・B・OからB・S・Oへの変更」、本塁での過度の接触プレーを防止するためのコリジョンルール」、判定のリプレー検証を要求できる「リクエスト制度」「申告敬遠制度」プロ野球に次々導入されてきました。

 

また、アマチュア野球や国際試合の一部にタイブレークが導入され、高校野球「球数制限」も再来月から導入されます。

そして、今日の報道で「ワンポイントリリーフ禁止を検討」とか・・・

しかもその理由が「試合時間の短縮」なんだそうですが、私などは野球場に観戦に出かける際はスコアブックを記入しながら試合を楽しんでいますので「試合時間の短縮」などしなくて結構なんですよね。

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ちなみに、私のスコアブックのボールカウント欄には、「ストライク」「ボール」だけでなく、「見逃しストライク」「空振りストライク」「バント空振りストライク」「ファール」「バントのファール」「ボール」の6種類を直球と変化球とに分けていますので、12種類の記号を用意しています。さらに「ファール」と「バントのファール」は打球の飛んだ(転がった)方向も記入します。

さらに私のスコアブックは、「牽制球」も投げた塁も併せて記入し、マウンド上に捕手だけ、または内野手全員が集まって相談や対話をしたときも「30秒」とか記入します。そうやって1球1球、さらには無駄とも思われる間合いなども楽しむことができる野球ファンは、時間短縮のために野球の面白さを犠牲にする「申告敬遠」や「タイブレーク」そして「ワンポイントリリーフ禁止」など望んでいないはず。

「ワンポイントリリーフ禁止」であれば守備側だけが不利になりますので、攻撃側は「代打の代打を禁止」にしなきゃ片手落ちでしょ。

 

試合時間を短縮するために、野球の楽しみをどんどん削ぎ取られていき、そのうちにもっととんでもないことを言い出すかもしれない・・・

例えば・・・

本塁打を打った打者はダイヤモンド1周走ることを省略

・5回のウラ終了時のグラウンド整備や散水は省略

プロ野球であっても得点差によりコールドゲームを採用

・2ストライクの後のファールは空振りと同じ扱いで三振

・出塁した走者がバッティングレガース(すね当て)やエルボガード(ひじ当て)を

  外すのに時間がかかるため、そうした保護具の使用禁止

・リリーフ投手の投球練習は3球

・牽制球は1打者に対して1球のみ

隠し球は禁止

・マウンド上に捕手や内野手が集まるのは禁止

ブルペンからマウンドに向かうリリーフカーは時速100キロでの走行を推奨

・守備位置とベンチとの距離を縮めるためにファールグラウンド大幅削減

・選手交代枠はサッカーに倣って1試合3人まで

・負傷した選手の治療は球場ではせず即時病院へ搬送

・初球を叩いて凡退した打者に報奨金

・(初球を叩いて出塁か凡退の打席)を(打席数)で割った「初球打撃率」を新た

  なタイトルにする

・トライアウトに倣って、ボールカウント1ボール1ストライクからとする

 

あぁ、こりゃもう野球じゃないな・・・。

 

私などは正直申し上げて、昭和50年からパ・リーグで導入されて今日も続いている指名打者制(DH制)でさえも違和感を覚えます。そして「コリジョンルール」「申告敬遠」「タイブレーク」「球数制限」がプロ野球やアマチュア野球に立て続けに導入されて嫌気がさしていましたが、今回の「ワンポイントリリーフ禁止」は野球観戦の一番の楽しみである監督の采配鑑賞を奪われかねない暴挙。

巨人軍V9時代の後半から約50年間野球観戦を楽しんできましたが、この数年でおかしなルールが次々に導入され、徐々に本来の野球とは別の競技に変化しているようにも感じてしまいます。あと20年くらいは野球観戦を楽しみたいと思っていますが、「野球」がどんどん私から離れているように思えてならないんです。

「市」や「郡」を1つも消滅させていない県があった・・・

「頸肩腕症候群」と思われる症状で左腕が痛むため、今週から勤め先のコンピュータを操作する際は右手でマウスを操作することにしました。

マウス操作そのものは、右手に替えても特に支障はないのですが、それに伴って書類や資料の置き場が変わったりするため、多少は作業速度は落ちます。無意識のうちに左手でマウスを掴もうとしてマウスを探す場面も何度もありました。

これまで、休憩時間も休まずに、長時間連続でコンピュータ操作をしていたことが「頸肩腕症候群」を発症した原因の一つと考えられますので、昨日からは休憩時間は事務所から離れ、廊下などでストレッチ運動をしています。

今週末(25日・土曜日)は病院でリハビリの予定です。専門の方による指導の下で行うリハビリが結構楽しみなんです(^^)

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今夜は、「47都道府県の中で、市や郡を一つも消滅させたことの無いところはあるだろうか?」と急に気になり、30分で調べてみた次第です。

市町村合併などで、消滅した市や郡はたくさんあり、例えば現在私が住んでいる埼玉県では・・・浦和市、大宮市、岩槻市与野市鳩ヶ谷市上福岡市の6市が消滅し、郡は、北埼玉郡が消滅しています。

1つも市や郡を消滅させていない県などあるのでしょうか? 最初に「市」から調べてみました。すると意外にも13もの府県が1つも「市」を消滅させていませんでした。

 

◎ 「市」の消滅が無い府県

 青森県山形県、神奈川県、群馬県岐阜県京都府奈良県和歌山県鳥取県

 香川県徳島県佐賀県、宮崎県

 

こんなに「市」の消滅が無い府県があるとは思いませんでした。

しかし、「郡」を消滅させたことがない都道府県は「市」以上に少ないと予想します。もしかしたら47都道府県すべてが「郡」の消滅を経験しているのではないかとさえ考えました。しかし2県だけ該当がありました。

 

◎ 「郡」の消滅が無い県

 青森県沖縄県

 

「郡」に属する「町」が「市」に昇格して郡から離脱したり、過疎化が進み、隣接する市に多くの「町」や「村」が吸収されてしまったり、「町」や「村」を合併して「市」にしてしまうこともあり、「市」に比べて「郡」は消滅しやすいと考えられます。

例えば、静岡県では現存する「郡」は5つですが、これまでに消滅した「郡」は8つあります。

◎ 静岡県の郡 (郡の発足順)

 安倍郡 昭和43年12月で消滅

 引佐郡 平成17年 6月で消滅

 庵原郡 平成20年10月で消滅

 磐田郡 平成17年 6月で消滅

 小笠郡 平成17年 3月で消滅

 賀茂郡 現存

 志太郡 平成20年12月で消滅

 周智郡 現存

 駿東郡 現存

 田方郡 現存

 榛原郡 現存

 浜名郡 平成22年 3月で消滅

 富士郡 平成22年 3月で消滅

 

この例のように「郡」は平成の大合併の時期に一気に消滅しましたので、青森県沖縄県の2県で「郡」の消滅が無かったことを発見できて驚きました。

 

「市」も「郡」も消滅させたことがないのは、47都道府県で唯一、青森県だけでした。これは知りませんでした。あ、私の勉強不足なんですけどね・・・(^^)

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その青森県ですが、現在10市と8郡があり、過去に消滅した市や郡はありません。しかし8郡のうちの1つ中津軽郡に属するのは「西目屋村」のみで、この村の人口が1360人くらい。人口の減少傾向は続いてますのでやや気がかりです。

青森県だけが市や郡の消滅を経験していない」ことやそれを維持するカギが「中津軽郡西目屋村」にあることに、私は今日気づいたのですが、地理マニアの人々はもっと以前から気づいていたんだろうなぁ・・・、と思います。

CQ誌2月号28頁の写真に私の後ろ姿が小さく載っています(^^)

昨年12月22日のブログで、新型のアマチュア無線機(ICOM社:IC-705)のプレ視聴会に行ってきた旨の記事を投稿しましたが、そのプレ視聴会の様子を伝える記事が、今日購入してきました、「CQ ham radio誌2月号」と「HAM world誌3月号」の2誌に掲載されていました。

 

↓ 昨年12月22日の投稿「IC-705プレ視聴会に行ってきました・・・」

saitama-dame.hatenablog.com

↓ 今日購入。この2誌は毎号欠かさず購読しています

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↓ CQ誌2月号28頁「アイコム IC-705プレ視聴会」の記事の写真に・・・

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↓ 私の後ろ姿が小さく写り込んでいます(^^)

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面識のある方でしたらお判りになるかもしれません・・・・。6人くらいの後ろ姿が写っていますが、そのうちの1人です。探してみてください(^^)

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左腕が痛むので、今日から右手でマウス操作を始めたのですが、右手でマウス操作をしても何故か左腕が疼き出します。不思議です・・・。

ですのでパソコンの操作は止め、午後からは大寒を明日に控えたひまわり畑」を見てきました。

実は、昨年11月4日に「晩秋の蓮田ひまわり畑に行ってきました・・・」という投稿をしまして、立冬の数日前にもかかわらず、小さなひまわりが少しだけ咲いていたのを見つけたことを書きました。

↓ この記事です・・・

saitama-dame.hatenablog.com

もしかしたら、大寒を明日に控えた今日も、ひまわりが咲いていないかと期待して行きました。しか~し・・・・・・。

↓ あ、耕されている・・・。そうか、次の夏に向けての準備が始まっているんですね

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真冬のひまわり畑、全て耕してから時期を見て種蒔きをするんですね。半年後にはこの広いひまわり畑一面を覆いつくす見事なひまわりが戻ってきます。半年後にまた来ますよ(^^)

あ、写真の左上の小屋の傍に緑色の植物のようなものが微かに見えます。もしかしたらひまわりか?真冬のひまわりか?・・・と思い、ワクワクしながら近づいてみます。

↓ あ、大根の葉でした(^^)

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大寒を明日に控えた今日はひまわりを見ることはできませんでしたが、夏に向けての準備が着々と進んでいる様子を確認でき嬉しく感じた次第です。半年後のひまわり畑の再生が本当に楽しみです。

痛めた左腕・左手の代わりに右手でマウス操作するかな・・・

昨年末に発症した「頸肩腕症候群」で左肩を中心として、頸部や左腕を痛めてしまっています。自己分析をしますと、左手で約30年にわたり「マウス」操作を続けてきたことによる疲労蓄積が原因ではないかと思います。

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私は平成2年の夏に、勤務先の銀行から選抜派遣されて新潟県南魚沼郡大和町(現在は南魚沼市)にある国際大学大学院で3か月間寄宿舎生活をして徹底した英語教育を受ける機会をいただきましたが、そこで初めて「マウス」を操作しました。

昭和から平成に代わったばかりの当時、一般の社会ではまだコンピュータは普及しておらず、一部の大学や研究機関、大企業の一部の部署でしか「マウス」を見かけることはできなかったと思います。

初めて「マウス」と出会ってから30年。一定の期間はマウスの無いコンピュータを使っていた時期もありましたので、30年間連続ではありませんが、長期間にわたって「左手」でマウス操作を続けて今日にまで至っています。

なぜ「左手でマウス」なのかといいますと、国際大学大学院で初めて触れたコンピュータで、私は「左手でマウスを操作して、右手でペンを持つもの」だと勝手に思い込んでいまして、初めて触れた時から「左手でマウス」「右手でペン」で操作しています。

自宅のコンピュータも左側にマウスを置いていますので、家族も自然に「左手でマウス」を操作するようになってしまいました。

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しかし、「頸肩腕症候群」を患って以来、左腕が痛み、時には痺れまで感じ、今週に入ってからは仕事にも支障が生じるようになってきました。

こうなったら、左手でのマウス操作をしばらくやめて、右手でマウス操作をすることを考えなくてはいけません。

実は、右手でも問題なくマウス操作はできるんです。実際、他人のコンピュータを操作する際は右手でマウスを操作しています。

 

私は子どものころからかなりいい加減な性格でしたので、その日の気分で右手を使ったり左手を使ったりしていたためか、利き腕が一定していません。ミカンやバナナの皮をむくのは左手。ナイフで鉛筆を削ったり、朝や入浴時にカミソリでヒゲを剃るのも左手です。トランプの札を切る(シャッフルする)のも左手です。右手が得意なことと、左手が得意なことが半々なんですが、大概のことは逆の手でもできます。

「であれば、マウス操作を右手でやれば問題ないでしょ!! 右手でマウス操作して、去年のようにブログ毎日書いたらいいんじゃないか!!」と指摘を受けそうなんですが、やはり右手は温存しておきたいと思ってしまいます。

現在は身体の左半分だけが「頸肩腕症候群」の痛みや痺れがありますが、これが右側にも発症したらイヤだな・・・、と思い、右手でのマウス操作はやはり躊躇してしまいます。

しかし今日、勤務中の左手でのマウス操作では強い痛みを伴い、作業が全く捗らなかったことを考えますと、これ以上右手の温存はできないと感じました。

来週からは右手でマウスを操作することになりそうです。マウス操作に限らず、左手で行っていることは、右手で行うように移行します。痛めている左手、左腕を徹底的に休ませて、左肩を中心とした「頸肩腕症候群」を克服していくのも一つの方法だと思います。

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利き腕を右に統一する徹底した教育を受けず、成り行きに任せて適当にその時の気分次第で右手を使ったり左手を使ったりしてきたために、両手、両腕がある程度使えるようになっていたことが、意外にも役立つことになりました。これは、さらに高齢になって、身体の左半分か右半分のどちらかが動かなくなっても、動く方だけでなんとか生活できるかもしれません。意外と役立つスキルなのかも・・・(^^)

 

あ、でも、現在患っている「頸肩腕症候群」克服に向けてリハビリ頑張りマウス(^^)