埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

古雑誌整理の手を止めて、雑誌を読んでばかりのダメ人間

明日からいよいよゴールデンウィーク\(^o^)/  正月休みが終わってから、ゴールデンウィークだけを楽しみにしてきまして、3か月半にわたって今日(4月27日)の午後5時(業務終了時刻)を待ち続けてきました。

もう嬉しさのあまり、職場から帰宅した後、長年手つかずの書棚の雑誌などの整理に着手しましたが、次々と懐かしい書籍や雑誌が出てきますので、作業が全く進みません。先ほども、昭和59年度私立中学校高等学校受験年鑑が出てきまして、ついついじっくり読んでしまいました。

↓↓↓昭和59年度受験年鑑(大学通信編集・発行)

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この当時は、東京都立高校は「学校群制度」を経て「グループ合同選抜制度」を導入していました。今年東大合格者47名を輩出し、全国の公立高校の中で最も存在感を示している都立日比谷高校が「学校群制度」や「グループ合同選抜制度」の影響でどのような状況だったのか、大学合格者数を覗いてみました。

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都立日比谷高校の東大合格者5名、東大以外の国立大学も一桁の合格者数。これが地方の進学校の数字であればかなりよい結果ですが、昭和32年から昭和43年まで12年連続で100名を超える東大合格者を輩出していた実績がある都立日比谷高校ですからこれは寂しい数字に見えます。日比谷高校とともに第11群を形成していた九段高校と三田高校からも複数の東大合格者が出ています。

学校群制度」導入で見事に潰された都立日比谷高校。そういえば、私が市ヶ谷駅近くの私立大学に入学した際、日比谷高校出身者が周囲に何人かいまして、「あの天下の都立日比谷高校からこの大学にこんなに多くの人が入るのか」と驚いてしまった思い出があります。

なお、日比谷高校からの東大合格者数は平成5年についに1名にまで減少しましたが、その1名がいたからこそ、日比谷高校の開校以来の「毎年必ず1名以上の東大合格者を輩出する」という記録が途切れませんでした。

都立日比谷高校がまた東大合格者100人を超えるくらいにまで復活して欲しいと切に願っております。なお、私は都立日比谷高校とは何ら関係はありません。旧制中学の流れをくむ公立高校という点だけは私の出身高校と共通していますので、勝手に応援しているだけなんですよ。