埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

夏の甲子園、全都道府県に出場枠は必要かな?

一昨日の記事、「減り続ける夏の全国高校野球参加校数」の続きです。

現在「夏の甲子園」に出場できる高校の数は、通常の年は49校。北海道と東京は2校出場でき、他の45府県からは1校が出場できます。

10年に一度、出場校数を増やす記念大会の年があり、3年前の第100回記念大会には、北海道、東京のほか、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡からも2校出場できることになり、甲子園出場校数は史上最多の56校になったことがあります。

一昨日の記事でも申し上げましたが、猛暑の8月の半月の間に48試合(節目の第100回記念大会では55試合)も屋根の無い甲子園球場で消化しなければならない日程は非常に厳しいと思い、夏の甲子園大会出場校数を減らすことを検討してもよいのではないかと考えます。

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全ての都道府県から1校以上が甲子園大会に出場できる、つまり「出場できない県が無くなった」のは昭和54年(1979年)からで、それ以前は夏の甲子園大会に出場できない県があるのは当たり前のことでした。(昭和53年は節目の60回記念大会のため全都道府県から49校が出場。昭和48年、昭和43年、昭和38年、昭和33年も節目の記念大会で特別に全ての都道府県から出場しています)

ちなみに、「出場できない県」がある最後の年となった昭和52年(1977年)の夏の甲子園出場校数は41校でした。出場できなかった県は、青森、山梨、富山、滋賀、和歌山、鳥取、徳島、長崎の8県。

この年の地方予選では、最終的に2県で甲子園出場の1枠を争うところがあり、甲子園に出場できなかった8県は隣県との決戦に敗れたため甲子園に出場できませんでした。

青森と秋田は奥羽大会

山梨と群馬は北関東大会

富山と石川は北陸大会

滋賀と福井は福滋大会

和歌山と奈良は紀和大会

鳥取と島根は山陰大会

徳島と高知は南四国大会

長崎と佐賀は西九州大会

を勝ち抜かなければ甲子園出場の切符を掴み取ることはできませんでした。

また、この地方8大会は各県の優勝校同士で対戦する方法もあれば、双方の県から複数校が参加してトーナメントで優勝を争う形式の大会もありました。

 

さらに2年遡った昭和50年(1975年)は、甲子園出場校はさらに3つ減って38校でした。この年は前述の8大会に加えて・・・

山形と宮城は東北大会

香川と愛媛は北四国大会

大分と熊本は中九州大会

を勝ち抜かなければ甲子園出場ができませんでした。

 

さらに昭和47年(1972年)にまで遡りますと、甲子園出場校は30校。単独で甲子園出場枠を持つ都道府県はかなり少なくなります。

北北海道、南北海道、東京(1校)、神奈川、静岡、愛知、長野、大阪、兵庫、広島、福岡、鹿児島だけは単独で出場枠を持っていましたが、それ以外の36の府県は隣県など複数の県で構成される地方大会を勝ち抜いてようやく甲子園に出場できる制度でした。

 

時代を遡れば遡るほど、甲子園に出場できない県が増えます。45年くらい前までは、甲子園大会出場への道のりは現在よりもはるかに遠かったと言えます。

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ここで、夏の甲子園出場校数が増え続けた昭和47年(1972年)から昭和54年(1979年)までの8年間の、甲子園出場校数と全国の参加校数の推移を記します。

 

                 甲子園出場校     全国の参加校数

第54回大会 昭和47年(1972年)  30        2614

第55回大会 昭和48年(1973年)  48(記念大会)    2660

第56回大会 昭和49年(1974年)  34        2709

第57回大会 昭和50年(1975年)  38        2798

第58回大会 昭和51年(1976年)  41        2893

第59回大会 昭和52年(1977年)  41        2985

第60回大会 昭和53年(1978年)  49(記念大会)     3074

第61回大会 昭和54年(1979年)  49(以後全県出場)   3170

 

第55回大会は東京が2校ではなく1校だったため現在より1校少ない48校、第60回の記念大会で初めて49校が出場し、翌年からは通常の年であっても全ての都道府県から49校が出場する現在のスタイルになりました。全国の参加校数もどんどん増えています。

全国の参加校数が3000を超えたあたりで、全ての都道府県から甲子園に出場できるようになりましたので、全国の参加校数が3000を下回ったら、都道府県から夏の甲子園大会に出場できる現在の制度を改め、出場できる枠を40校程度に縮小し、参加校数が2500校以下になったら、出場できる枠を30校程度に減らすのも一案ではないかと考えます。ただ、全都道府県から必ず1校以上が甲子園大会に出場できる制度が定着する前、つまり昭和53年以前の夏の高校野球大会を知らない世代の方々にとって、夏の甲子園大会に出場できない県が発生するのは極めて不自然に思われ、著しい抵抗を感じると思います。なお参加校数が3000を下回るのは15年後くらいではないかと予想します。

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夏の全国高校野球大会について、次は9月5日(日曜日)に投稿します。48試合すべてを甲子園球場で行うことの妥当性について考えたいと思います。

なお、9月1日(水曜日)はアマチュア無線ネタ(8月の交信内訳)。9月3日(金曜日)は8月の睡眠時間の報告を投稿します。

今日の投稿、約2200文字あります。お読みくださったみなさま、お疲れさまでした(^^)