昨日は1979年(昭和54年)から2001年(平成13年)までの22年間、社会人野球でも金属バットを導入していたことを書きました。
社会人野球のトップ選手はプロ野球選手と同等の打撃技術やパワーを有していますので、仮にプロ野球が金属バットを使用して試合をしたらこのような結果になるのではないか、と想像する際のヒントになります。
実際の試合で、金属バットから放たれた打球を見ましたが、木製バットではありえないほどの速い打球、見たことも無いような飛距離のホームラン(東京ドームの左翼席の上の能美防災の広告の上に弾丸ライナーでぶつける当たり)を何度も目撃しました。
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バルセロナ五輪とアトランタ五輪の野球でキューバを優勝に導いた主砲、オレステス・キンデラン選手は2003年(平成15年)の都市対抗野球にシダックス(東京都)の一員として5試合に出場し、20打数12安打で打率6割。4本塁打、9打点と絶好調。優勝こそ逃しましたが、新興のシダックス準優勝に大きく貢献し、都市対抗野球史上初めて外国人の「久慈賞」(現在でも外国人唯一の受賞)受賞者となりました。
キンデラン選手が東京ドームで大暴れしたこの年は木製バットに戻った2年後でしたが、もしもキンデラン選手が金属バットで出場したら一体どうなっていただろうか・・・と想像しただけでも恐ろしくなります。でも・・・見てみたかったですね・・・。
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さて、金属バットを使用した22年間の都市対抗野球と社会人野球日本選手権の2大会で、今後はなかなか見られないだろうと思われるスコアをいくつかご覧いただこうと思います。ロースコアゲームを好む私にとっては、あまり美しさを感じないスコアですが、派手な乱打戦が好きな方にはたまらないスコアです。
◎ 都市対抗野球 ◎
第56回大会(1985年) 2回戦第4試合 7回コールド
計
河合楽器 0 0 0 3 0 3 3 9
スリーボンド 0 0 0 6 3 6 4x 19
第58回大会(1987年) 2回戦第8試合 延長11回
計
松下電器 0 0 1 2 0 3 4 0 0 0 1 11
ヤマハ 8 0 0 2 0 0 0 0 0 0 2x 12
第61回大会(1990年) 2回戦第6試合
計
東芝府中 5 0 0 3 0 1 1 0 1 11
NTT東海 5 0 2 3 0 1 0 1 x 12
第61回大会(1990年) 決勝
計
ヤマハ 0 4 5 0 0 1 0 1 1 12
新日鉄広畑 0 0 5 0 0 0 3 1 2 11
第62回大会(1991年) 1回戦第8試合 7回コールド
計
日産自動車 12 0 0 0 3 0 5 20
NTT東海 0 0 0 0 1 0 0 1
第66回大会(1995年) 2回戦第3試合 7回コールド
計
デュプロ 0 0 0 3 0 2 4 9
JR東日本東北 0 8 2 1 3 1 4x 19
第67回大会(1996年) 1回戦第7試合
計
三菱重工横浜 0 0 0 0 0 0 1 1
新日鉄八幡 1 0 5 6 8 0 x 20
第67回大会(1996年) 1回戦第10試合
計
三菱重工広島 4 0 3 2 4 1 0 1 3 18
NTT北海道 0 6 0 0 0 0 3 0 3 12
第68回大会(1997年) 1回戦第16試合
計
NTT北海道 0 1 6 4 2 0 0 2 1 16
三菱自動水島 2 4 0 0 0 3 0 1 1 11
第71回大会(2000年) 準決勝 7回コールド
計
三菱自動川崎 1 1 0 13 1 1 2 20
住友金属鹿島 1 2 0 3 0 0 0 6
◎ 社会人野球日本選手権 ◎
第11回大会(1984年) 2回戦第8試合 7回コールド
計
松下電器 2 2 0 1 5 0 8 18
三菱重工長崎 0 0 0 0 0 0 0 0
第21回大会(1994年) 1回戦第4試合 7回コールド
計
たくぎん 0 0 0 0 0 0 0 0
三菱重工長崎 0 0 3 0 3 9 x 15
第22回大会(1995年) 決勝
計
三菱自動車川崎 1 0 1 2 5 3 1 6 0 19
三菱自動車京都 0 0 1 0 0 1 1 3 0 6
第27回大会(2000年) 準々決勝 8回コールド
計
日本生命 1 1 1 0 12 0 0 4 19
新日鉄君津 0 1 0 0 2 0 3 0 6
第28回大会(2001年) 2回戦第2試合 7回コールド
計
三菱重工長崎 14 1 0 2 3 2 1 23
松山フェニックス 0 0 0 1 0 4 2 7
目についた試合をピックアップしてみましたが、金属バットを使用していた当時の社会人野球は大量得点試合が本当に多いです。これでは投手が気の毒だとつくづく感じます。