埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

6月11日は普通自動車運転免許の取得記念日です(^^)

標題の通りです。

昭和56年6月11日に、18才1か月で普通自動車運転免許を取得しまして、39年経過しました。

↓ これです。 なお、二種免許取得記念日は2月8日です

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高校2年から3年にかけての春休み(3月下旬から4月上旬)に公認自動車教習所に通い始めたのですが、通い始めたときはまだ17才10か月でした。教習所内での運転実技教習や学科教習を春休みのうちにどんどん消化し、5月の誕生日が来て18才になったらすぐに仮免許申請。仮免許を受けたら路上教習を所定の時間数(10時間)乗って卒業検定

その翌日には高校を1日休んで運転免許センターへ出かけて〇✖100問の試験を受験して無事合格。

同世代ではほぼ最速で普通自動車運転免許を手にしたことになります。

ただ当時は、合格しても運転免許証を受け取るまで2~3週間ほどかかっていました。当日交付ではありません。そのため、免許の日は6月にずれ込んでいます。運転免許証は、指定された日に地元の警察署に自転車に乗って出頭して受け取った記憶があります。

私と同じ昭和38年5月生まれの人は全国に約14万人いますが、普通自動車運転免許の取得についてはその当時はトップランナーの一人であったわけです。

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ここで、疑問に感じている方が多いと思います。高校生に自動車運転免許を取得させる親は何を考えているんだ・・・、学校の校則はどうなっているんだ・・・と。

 

まぁ、40年近く前の話ですので、高校の生活指導も校則も厳しくはありませんでした。通っていた高校は日清戦争のころ(1890年代)に創立し、旧制中学からの流れをくむ学校。校則は非常に緩かったです。春のうちに自動車運転免許取得を済ませ、夏休みは大学受験勉強に専念する計画を立てている者もいました。4月生まれとか5月生まれはこの点有利ですね。

ほぼすべての生徒が大学進学を希望する高校に通っていたものの、私の親は大学受験に失敗したら郵便局に勤めて郵便配達員になってくれたらいいんじゃないかと考えていたようです。それには自動車運転免許は不可欠。したがって自動車運転免許の取得に対する抵抗感は薄かったようです。

私も、子どものころから珠算1級や電話級アマチュア無線技士国家試験、英語検定3級などの合格実績があり、普通自動車運転免許も、数ある免許や資格のうちの一つにすぎないことを強調したところ、すんなりと自動車運転免許取得に賛成してくれました。

あれから39年経ちました・・・。

 

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昭和56年当時、自動車運転免許を受けている国民はどれくらいいたのかを調べてみました。

Googleで「運転免許統計」と検索しますと・・・。

↓ このページにたどり着きます

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赤い矢印の「運転免許統計(令和元年版)」をクリックしますと・・・

↓ 38ページにも及ぶ詳細な統計資料が現れます

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↓ 目次がこちら、さまざまな統計資料を閲覧できて楽しいです

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PDFファイルですので、印刷して持ち歩くこともできます。

↓ 「運転免許統計」の中から免許保有者数の年別推移を見てみます

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昭和56年当時の運転免許保有者総数は約4500万人。そのうち約7割が男性です。

 

↓ 令和元年の総数は約8216万人。男女比は1:1にかなり近づいています

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女性の運転免許取得総数が昭和56年の2.7倍に増えました。確かに40年前は自動車運転免許を持たない女性は多かった印象があります。

また、特筆すべきは、令和元年に統計調査開始後初めて免許保有者数が減少に転じたこと。総人口の統計調査でも、出生者数より死亡者数が多い高齢化社会になっていますから、特に驚くことではありませんが、若い方の免許取得意欲の減退と高齢者の免許返納の動きが活発化したことによりこのような結果になったものと考えられます。ただ、減少しているのは男性のみで、女性の総数が減少したことはまだありません。

私もあと13年で70才ですので、そのあたりが返納を考える時期になるのかと思います。