埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

勤続20年まであと2か月、そろそろ「思い出作り」を意識

4連休初日の今日は、午前中のみ出勤して午後は帰宅して昼寝。理想的な過ごし方となりました。

勤め先の会社の方針としては、原則として休日出勤を認めていないのですが、外注の職人さんの施工立ち会いや打合せだとか、工場で使うLPガス(バルクローリー車による直接供給)受入れがあるため、今日は例外的に休日出勤が認められました。

外注の職人さんは抜群の技量を持っており、私などが立ち会わなくても委託した施工はパーフェクトに仕上げた上に、周囲の片づけまでしっかりとやってくださるので、朝の挨拶を交わす程度で私の役割は終了です(^^)

ただ、LPガスの受入れは、バルクローリー車がLPガスを補充するために停車する専用スペースに、休日出勤をしている従業員が勝手に駐車している軽微なトラブルがあり、その従業員に自動車の移動を促す場面がありました。事前に気付いてよかったです。

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勤め先の会社の従業員の特徴で最近特に感じることなんですが、物事に対する想像力が著しく欠如しているように思います。

「LPガスバルクローリー車専用スペースに勝手に駐車」だけでなく「通路に巨大な架台、架構を置いて通路を塞いでしまう」「廃プラスチックなどの産業廃棄物を投入するコンテナに大量のガラス瓶やスプレー缶、電池、蛍光管、家庭から持ち込んだ生ゴミを放り込む」といったトラブルが毎日のように発生していますが、これらは従業員らの想像力欠如に起因するもので、「此処に車を停めたら・・・、此処に巨大な物品を置いたら・・・、生ごみを捨てたら・・・、どうなるか、ということを想像する力が無い人が大杉、いや・・・多すぎ。

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加えて、この会社の悪しき伝統になっている、「従業員の甘やかし」「従業員教育の放棄」がこのようなダメ従業員を増殖させ、構内で発生するトラブルに異議を唱える私は「口うるさい爺さん」と嫌われてしまうんです。ダメ従業員が多数派になってしまい、非常識な行動がスタンダードになってしまったようで、この工場はもうダメポ・・・と半ば諦め、自身の無力さを痛感する毎日・・・。

この会社で甘やかされた従業員たちは、他の事業所では当たり前とされていることすらできないため、仮に転職などしても他社では務まらないと断言できます。

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午前中4時間の休日出勤で、日頃後手後手に回っている事務作業をどんどん消化できました。電話も来なければ納品業者や宅配便も来ない祝日ですので、どんどん事務作業が片付きます。普段は数分おきに来訪者があり、スキマ時間に必死になって事務作業をこなしていますので、今日のような日はとても貴重です。

加えて、普段の私の悩みが、「私の不在の隙に、私の机に書類や伝票、図面、郵便物、回覧文書などをコッソリ置いていく人が後を絶たない」こと。

少しの間離席して戻ると、さまざまな書類、図面などがドッサリ置いてあることが多いです。そのうち半分は私には関係の無い文書類や郵便物。

どの部署に、あるいは誰に回付するのか不明な書類は調べもせず私の机に「私がいない隙に」コッソリ置いていくのがトレンドのようです。舐められたもんです。

対抗策として・・・・・

「小職の不在時に、この机上に文書類、伝票、図面、郵便物、現金などを置いていくのは止めてください。小職に関係ないものは廃棄します」

と、大きく掲示したことがありましたが効果はありませんでした。この会社の従業員たちの半数は甘やかされ続けているためか、そこに何らかのメッセージが記してあることにすらも気づかないようなんです。アフォが大杉、いや・・・多すぎ。

次なる対抗策として私のデスクやその周辺を防犯カメラで常時撮影でもしようかと考えますが、周りの人々との間に発生する軋轢を考えると現実的ではないですよね・・・。

今日は「不在時の机上に文書類置き去り被害」もありませんので、気分良く働けました(^^)

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ところで・・・

以前から話題にしています、今の勤め先での勤続20年(今年9月20日)まで2か月を切りました。勤続20年の祝い金10万円をゲットして、それを花道に退職したい考えに変わりはありません。

「まだ57才だし、まだまだ頑張れるでしょ」という声も聴かれますが、今の勤め先は同族支配色があまりに濃すぎて極端に馴染めない上に、前述のように想像力が著しく欠如しているダメ従業員の尻ぬぐいの毎日で疲れ果てています。さらに、学校を卒業した昭和62年から十余年勤めた都市銀行第二地方銀行ですでに心身を著しく消耗してしまっているので、45才くらいのころから「会社にほぼ皆勤しているけど社会不適合者」になっています。

早く仕事を辞めたいために、2人の子どもには大学受験ではなく公務員試験受験を促し、親としての責任は果たし終えました。今では子供たちを育て養う責任はありません。それに、昭和~平成~令和と、イヤだイヤだと思い続けながら我慢して33年働き続けててきましたので、もういいかな・・・などと考え始めています・・・。

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今の勤め先の会社ですが、先ほどのようなダメな輩ばかりではなく、私の立場や状況に理解を示して下さる方もいらっしゃいます。最近では親子ほど齢の離れた若い女性事務職の方がこの状況を慮(おもんぱか)って声をかけてくださるのですが、本当に嬉しく感じます。

他にも、何人かの方が気にかけてくださるので本当に嬉しいです。最近ではこうした方々との僅かな雑談の時間が、退職後には貴重な思い出になるのだろうと考え、雑談の様子や話題の内容をできるだけ記憶に留め、10年後、20年後にも思い出せるようしたいと意識しています。