一昨日に引き続き、手許にある「週刊読売・昭和35年6月26日号」に掲載されている宣伝広告を鑑賞します。
あ、その前に、一昨日の記事では昭和35年当時のサラリーマンの給与水準がどれくらいなのかを示していませんでした。それを示す日本勧業銀行の宣伝広告が掲載されていましたので、そちらからご覧ください。
↓ こちらが日本勧業銀行の宣伝広告です
この宣伝広告に「年俸50万~80万クラスは・・・」と書かれています。当時の平均的なサラリーマンの年収はこれくらいで、月収はおおよそ5万円~6万円くらいだったと思われます。一昨日の記事で紹介しました、三菱-500という自動車の現金正価が39万円でしたので、平均的なサラリーマンの月収の6~8カ月分ということになります。
今日ご覧いただく宣伝広告には商品の価格が記されているものがいくつかありますが、当時のサラリーマンの月収は5万円~6万円であることを意識しながらご覧いただきたいと思います。
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それでは宣伝広告の鑑賞を始めます。
↓ 最初はトリオのステレオライアンプです
↓ アカイ テレコーダー(録音機)
アカイ(赤井電機)は昭和29年に日本企業で初めてテープレコーダーを開発。平成12年に民事再生法適用し倒産。
↓ 三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)の8ミリ撮影機・映写機
三協精機製作所は平成15年に日本電産の傘下に入り、日本電産サンキョーになりました。三協精機製作所スケート部は数多の冬季五輪代表選手を輩出したことで知られています。
「液体」複写機とは、湿式のジアゾ複写機(いわゆる青焼き複写機)のことでしょうか? 詳細は判りません。
↓ 日立製作所 小型冷房機
家庭用のクーラーやエアコンが普及するのは1980年代に入ってからだったと記憶しています。この宣伝広告が掲載された1960年頃に冷房機を購入できる家庭はかなり裕福ではないかと思います。
↓ 林製作所 カモメホーム洗濯器 (この製品は電源不要です)
昭和レトロマニアの方々にはおなじみの手回し圧力洗濯器です。今でも時々テレビで昭和30年代の特集番組で紹介され、ネット上でもいくつものサイトで「カモメホーム洗濯器」の話題が取り上げられています。この「カモメホーム洗濯器」は電気洗濯機に押される形でこの数年後には姿を消してしまいますが、わずかな量の熱湯と粉石鹸しか使わず、無電源で手回し攪拌するだけで衣類の汚れが落ちる優れた製品です。なお、林製作所は現在も群馬県高崎市で精密板金加工やプレス加工、レーザー加工を軸に全国150社のモノづくりをサポートしています。
本日もお読みいただきありがとうございました。