昨年は転居と再就職をしたので、新しい地域の住民の一員となり、さらに新しい職場の一員にもなりました。どちらも日が浅いので新たに知り合った方々からは、私が「明朗快活な人」だと思われているようですが、それは誤解です。むしろ「元気が足りなくどちらかといえば暗い人」です。今日の投稿では「50年以上前から元気が足りない人」であることを客観的に示す証拠(当時の通知表所見欄)も添えて、私が「明朗快活な人」ではないことを主張したいと思っております。
ブログを通じて親しくして下さるみなさまや、昨年8月まで勤めていた職場でお世話になっていたお取引先のみなさま、趣味のアマチュア無線を通じて親交を深めている方々は私の気質や性質についてすでに見抜いていると思いますが、最後までお読みくださると嬉しいです。
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さて冒頭でも申し上げましたが、本当の私は「元気が足りない人」で、50年以上前から不変です。
小学校1年生(昭和45年)の通知表の担任教諭所見欄を1学期から順に見ていきます。
↓ 小学校1年1学期の担任教諭所見欄
この段階(1学期)ではまだ「真面目な努力家」「積極的な態度で挙手」とあります。小学校に入学した直後なので多少は張り切っていたのかもしれません。すでに体育が苦手で「ゆりかご」がうまくできず「まっすぐ走る」こともできていなかったようです。2学期に入るといよいよ本来の自分に戻ります。
↓ 小学校1年2学期の担任教諭所見欄
ここで「もっともっと元気を出して」との激励コメントが見えます。でもこれが本来の私なんです。就学前に通っていた幼稚園でも元気よく行動していた記憶はありません。集団行動そのものに拒否反応を示していました。幼稚園児の頃から月曜の朝はユウウツでした。
↓ 小学校1年3学期の担任教諭所見欄
「まだ元気が足りなく実力が充分発揮されないようです」「二年生になったら一層がんばって下さい」とのコメントがあります。担任の先生の観察眼は確かだと思います。
↓ 小学校2年(1~3学期)の担任教諭所見欄(昭和46年)
2年生になっても同じ先生が持ち上がりで担任です。1学期「えんりょがあり元気も足りません」とのコメントがあり奮起を求められています。3学期「運動もがんばりましょう」とあります。このように2年連続で「元気の無さ」を指摘されます。すでに体育には苦手意識を持っていました。所見欄の上に行動の記録が写り込んでいますが、「創意くふう」「情緒の安定」「公正さ」「公共心」は優れてはいないと評価されています。この評価も正当だと思います。先生は1クラス40人もいた児童ひとりひとりをよく見ておられ、つくづく感心します。
↓ 小学校3年(1~3学期)の担任教諭所見欄(昭和47年)
3年生になり担任教諭が替わりました。「元気が足りない」との表現はありませんが、「正しい事にはもっと強く押しをきかせる良いリーダーになってもらいたい」と期待を寄せるありがたいコメントをいただきました。この先生も私の行動や振る舞いをよく見ておられます。集団行動に馴染めず、他者との対立を避けることを優先する姿勢を物足りなく、もどかしく感じておられたのだと思います。
こうしたありがたい激励のコメントをいただいたものの、小学校高学年でも、中学校でも、高等学校でも、大学でも、職場でも良きリーダーになって強く押しをきかせたことはありません。このコメントに対して反発したのではなく、できればそのような自分になりたいと思っていましたが、集団行動そのものが嫌いな私にはできないことでした。
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「元気が無く消極姿勢」は50年以上前からの私の性質であり、60才を超えた今から変わることは無いと思います。自分がリーダーになるような人物ではないとは判っていましたが、接する方々を不愉快な気分にさせたり、感情的に対立することは避けたいと、大らかで明るい人物を演じてきました。成長するにつれてその演技がうまくなったことが知り合って間もない方々に明朗快活な人物だと誤解させる原因になったのだろうと思います。それでもすぐにメッキは剥がれるものです。