埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

野球場のネーミングライツ(命名権)について・・・

一昨日のブログでは、プロ野球の「冠スポンサー」について書きまして、今年の日本シリーズは「SMBC日本シリーズ2019」、オールスターゲームは「マイナビオールスターゲーム2019」、ドラフト会議は「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が公式名称となるなど、さまざまな場面で野球に理解のある企業がスポンサーとなって資金提供をしてくれていることをお知らせしました。

こうした「冠スポンサー」は、昭和50年代までのプロ野球にはほとんどなかったものだけに、古い野球ファンにとっては、やや違和感があるかもしれません。しかしながら、こうした資金提供はプロ野球の維持発展には欠かせないもので、明治安田生命がサッカーJリーグ(J1,J2,J3)の冠スポンサーになっているように、いずれはプロ野球公式戦(ペナントレース)そのものに「冠スポンサー」がつくようになるものと予想します。

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さて、本日は「冠スポンサー」に関連して野球場のネーミングライツ(命名権)を取り上げます。まずは今年(2019年)のパ・リーグ公式戦の日程をご覧ください

↓ これです

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パ・リーグの試合が行われる球場は、ネーミングライツ(命名権)により企業名を冠した球場名が目立ちます。この日程表にあるだけでも・・・

ZOZOマリンスタジアム、福岡ヤフオク!ドーム、楽天生命パーク宮城、京セラドーム、メットライフドームほっともっとフィールド神戸、と6つの球場が該当します。

この中で、1年間の命名権料が最も高額なのは、福岡ヤフオク!ドームの5億円。次いでZOZOマリンスタジアムの3億1千万円、楽天生命パーク宮城の2億100万円と続きます。

今ではこのように企業名を付した野球場が珍しくなくなりましたが、かつてはこうした球場は一つも無く、球場名は極めてシンプルでした。今から44年前、昭和50年(1975年)のパ・リーグの公式戦日程をご覧ください。

↓ これです

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オールドファンには懐かしい球場がズラリ。仙台、西宮、平和台、後楽園、大阪、日生、藤井寺、川崎、西京極・・・。しかも球団名も、南海、阪急、近鉄、太平洋・・・。うーーーん、懐かしいですよね・・・。

この中で、日生球場ネーミングライツかと勘違いされそうですが、日生球場日本生命保険が所有していた球場ですのでネーミングライツではありません。また、4月30日の阪急ーロッテ戦の「和宮」は「西宮」のミスプリのようですね。

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ネーミングライツ(命名権)の導入で、企業名を冠した球場を使用する機会が増えたのはプロ野球だけではありません。大学野球の日程表にも見つけることができます。首都圏の東京六大学や東都大学リーグは昔も今も神宮球場を使いますので、球場名の変化はありませんが、関西では新旧の使用球場の名称に変化があります。

↓ 今年(2019年)春の関西学生野球の日程表

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ネーミングライツ「わかさ」(わかさスタジアム京都)となっているのは西京極球場、「ほっと神戸」(ほっともっとフィールド神戸)となっているのは、元々はグリーンスタジアム神戸だった球場です。

まだネーミングライツ(命名権)が導入される前、25年前(1994年)の関西学生野球の日程表を見ますと、やはり球場名はシンプルです。

↓ 25年前の関西学生野球春季リーグ日程表

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この当時は、伝統の関関戦は阪急西宮スタジアムで行われていましたが、西宮スタジアムの閉鎖により関関戦の舞台は甲子園球場に移りました。西宮スタジアムは2002年閉鎖。この日程表にある日生球場も1997年で閉鎖。西京極球場ネーミングライツ(命名権)で、現在は「わかさスタジアム京都」ですね。

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あ、野球場のネーミングライツ(命名権)について書くはずが、途中から「懐かしの野球場」の話題にすり替わってしまいました。まぁ、往年の野球ファンにとってはそちらの話題のほうがいいかもしれませんね・・・(^^)

小遣いもらえるまであと50日! 気分はすでに年末!

明日は「即位礼正殿の儀」で休日。数十年に一度しかないことですので、ありがたくテレビでその様子を拝見したいと思っております。

私は毎年、誰よりも早く年末の到来を感じまして、10月も下旬になりますと、気分はもう年末。勝手に年末年始の連休に思いを馳せてしまっています。

時期的には、将棋の竜王戦が始まると年末を意識しはじめ、プロ野球日本シリーズが始まり、六大学野球が第7週あたりを迎えたり、箱根駅伝の予選会が行われると、年末を強く意識しだして独りで勝手にウキウキしています。仕事も年末年始の連休を気分よく過ごせるように、ヘンな案件を残さないように解決してしまおうと悪知恵を繰り出します。

11月の大相撲九州場所が始まると、気分はいよいよ年末モードになり、会う機会が比較的少ないお取引先の方には「今年もお世話になりました。来年も引き続きよろしくお願いいたします・・・」などと挨拶し始めます。年末年始の連休を指折り数えるこの時期が1年で最も楽しい時期です。

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そういえば、昨年(平成30年=2018年)12月29日(土曜日)の日本経済新聞朝刊が手許にあります。毎年の東京証券取引所大納会の翌日や、3月末日の翌日の朝刊だけは手許に残しておき、節目の日の全銘柄の株価をすぐに調べられるようにしているのですが、今はインターネットですぐに調べられますので、新聞を保存しておく必要はないのかもしれません。

また、昨年の12月29日は年末年始9連休の初日でしたので、この日の新聞を見ますと、9連休を迎えた嬉しさを思い出してしまいます。

で、昨年末の新聞にこのような記事が載っていました。

↓ これです

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「猛暑・豪雨 列島に爪痕」「猛烈な台風発生最多」

これ、昨年末の新聞です。昨年も猛暑や豪雨、台風に悩まされていたんですね。今年は昨年以上の被害が出ていますので、こうした自然災害の発生は珍しいことではなくなってしまったんでしょうか? もうこりごりなんですけど・・・。

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年末の楽しみは連休だけではありません。2人の子どもの賞与支給日が12月10日ですので、私は小遣いをいただけます。今日から数えて12月10日まで50日。

2人の子どもは冬の賞与が12月10日、夏の賞与が6月30日の支給と法律や条例で定められていますが、中小同族支配会社に勤める私の賞与は年末ギリギリに微々たる額が支給されるだけです。

昨年の12月の賞与ですが、大卒32年目の私の賞与を、高卒1年目の娘の賞与が上回りました。特にショックはありません。これで遠慮なくお小遣いを受け取れます(^^)

プロ野球の「冠スポンサー」について・・・

昨日のブログでは、プロ野球日本シリーズ25年くらい前からナイター導入やクライマックスシリーズ採用で、少しずつ変わってきているといった記事を書きました。その中で、8年前から日本シリーズでは「冠スポンサー」がついていることにも触れましたが、今日はその「冠スポンサー」の話題です。

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プロ野球日本シリーズに初めて「冠スポンサー」がついたのは、平成23年(2011年)。ゲームソフト会社KONAMIが最初の「冠スポンサー」でした。KONAMIは平成25年(2013年)まで日本シリーズの「冠スポンサー」でしたがそこで撤退。平成26年(2014年)からはSMBC(三井住友銀行グループ)が日本シリーズの「冠スポンサー」となって日本シリーズを支援してくださっています。

わかりやすく書きますと・・・。

日本シリーズ

2011~2013年  KONAMI

            大会名は「KONAMI日本シリーズ

2014~現在     SMBC(三井住友銀行グループ)

            大会名は「SMBC日本シリーズ

 

次に、真夏の祭典、オールスターゲームですが、こちらは日本シリーズより23年も前の昭和63年から「冠スポンサー」がついています。

オールスターゲーム

1988~2006年  三洋電機

            大会名は「サンヨーオールスターゲーム

2007年       ガリバーインターナショナル(中古車販売会社)

            大会名は「ガリバーオールスターゲーム

2008~2016年  マツダ(自動車)

            大会名は「マツダオールスターゲーム

2017年~現在    マイナビ(人材広告)

            大会名は「マイナビオールスターゲーム

 

次にクライマックスシリーズですが、これは毎年のように「冠スポンサー」が遷り変わり、非常に多くの企業が「冠スポンサー」になっています。2007年のクライマックスシリーズ導入時以降の「冠スポンサー」企業を挙げますと・・・

クライマックスシリーズ(パ・リーグ)

ヨドバシカメラ、J SPORTS、クリック証券、マニュライフ生命保険、モブキャスト、ローソン、SMBC日興証券日本通運、ローソンHMVエンタテイメント、パーソルホールディングス

クライマックスシリーズ(セ・リーグ)

ダンディハウス、モバプロ、伊藤ハム、セブン-イレブン、アットホーム、ローソン、マイナビマツダグンゼノジマ、セノン

これだけの企業が、クライマックスシリーズを支援してくださっています。

 

次に2005年から始まったセ・パ交流戦ですが、初年から現在まで日本生命が協賛しています。

◎セ・パ交流戦

2005年~現在    日本生命  大会名「日本生命セ・パ交流戦

 

次にドラフト会議ですが、これにも2009年から「冠スポンサー」がついています。

◎ドラフト会議

2009~2012年  東芝

 会議名称「プロ野球ドラフト会議 supported by TOSHIBA

2013~現在     大正製薬

 会議名称「プロ野球ドラフト会議 supported  by  リポビタンD」

このようになっています。

 

次に、オープン戦での「冠スポンサー」大会ですが、1988年の「サッポロビールプロ野球トーナメント」が最初のようです。これは東京ドーム完成記念として12球団が参加したトーナメントです。

その後も球場の完成を記念した大会や球団の設立60周年を記念したオープン戦期間中の大会で、JCB、オートバックスコナミ、サークルKといった企業が「冠スポンサー」となって大会を主催しています。

注目すべきは、1999年と2000年の2年間行われたプロ野球サントリーカップ。これはセ・パそれぞれ別ののリーグに属しているチームと1回ずつの総当たりで対戦を行い、各年度の6試合の勝率で順位を決定するというもので、上位チームや個人賞獲得者には、「冠スポンサー」のサントリーから賞金や商品が贈呈されました。このプロ野球サントリーカップ」は交流戦実現に向けての課題を検証することを目的にした試験的な大会でした。実際にセ・パ交流戦が実現するのには5年を要しましたが、この大会の検証結果が、交流戦実現に寄与したのではないかと考えます。

 

そして・・・。

昨年9月に、日本野球機構(NPB)理事会と12球団による実行委員会が新しい増収策を模索する中期経営計画の一つの案として、公式戦(ペナントレース)に「冠スポンサー」をつけることが提案されました。すでにサッカーJリーグ(J1,J2、J3)では明治安田生命が「冠スポンサー」になっているだけに、プロ野球公式戦でも「冠スポンサー」を名乗り出る企業は現れると思われます。

 

プロ野球の「冠スポンサー」は1988年の「サンヨーオールスターゲーム」から本格的に導入されて約30年が経過し、日本シリーズオールスターゲーム交流戦、ドラフト会議などに浸透しています。古くからの野球ファンにはなんとなくスポンサー色が反映していて若干の抵抗感が拭いきれない方もいるようですが、野球という文化を維持発展していく上で、資金を提供してくださる企業の存在は非常に心強く、頼りになります。

資金提供をする企業側にも、企業名や商品名の露出効果が大いに見込めますのでメリットは十分にあると思います。今後、プロ野球界と協賛企業各社とが良好な関係を保ち、双方にメリットが生じるよう期待しています。

プロ野球日本シリーズ、以前と雰囲気がやや異なるかな

プロ野球日本シリーズが今夜から始まりました。今年の対戦カードはセ・リーグ優勝の巨人×パ・リーグ2位のソフトバンク。第1戦は7-2でソフトバンクが快勝でした。

私は昭和40年代後半、巨人が9連覇を記録している途中のV6あたりからテレビ観戦しているはずなんですが、記憶が残っていません。辛うじて昭和48年(1973年)巨人9連覇の年に南海と戦った日本シリーズは記憶がはっきりしています。

この昭和48年から数えますと、日本シリーズのテレビ観戦は47年目になるのですが、毎年日本シリーズ開幕の日はワクワクしてしまいます。

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ただ、プロ野球日本シリーズも以前に比べますと随分変わったなぁ・・・、と感じます。

何でもかんでも、古い時代がよかった、昔はよかったと申し上げるつもりは無いのですが、現在の日本シリーズは、古くからの野球ファンにはやや違和感があるのではないかと思っています。

 

◎違和感その1  ナイター開催

かつて日本シリーズはデーゲーム開催でした。日本シリーズを初めてナイターで開催したのは平成6年(1994年)の巨人×西武のシリーズで、平日はナイター、土曜日や日曜日はデーゲームでした。翌年、平成7年(1995年)のヤクルト×オリックスのシリーズからは全ての試合をナイターで行うようになり現在に至っています。

私のような中高年ファンにとっては、日本シリーズは澄んだ秋空の下でのゲームの記憶がいまでも残っていますので、ナイター開催は何となく「違う・・・」と思ってしまいます。

デーゲームからナイターに移行した理由は、ドーム球場が増え、10月中旬であっても寒くはないことと、平日の昼はテレビ視聴率が低迷してしまうためそれを改善するための方法としてナイターに移行したのではないかと思われます。

 

◎違和感その2  セ・パ両リーグの優勝チーム以外が出場していることがある

平成18年(2006年)までは、日本シリーズに出場するのはセ・パ両リーグのペナントレース優勝チームで、単純に日本シリーズで4勝したチームが「日本一」となったのですが、平成19年(2007年)以降はクライマックスシリーズを勝ち抜いたチームが日本シリーズに出場するようになりました。こうなりますとペナントレース2位や3位のチームが日本シリーズで4勝しますと、「日本一」と呼んでよいのかどうかよく判らなくなります。(すでに過去に3例あります。)

クライマックスシリーズ導入後13年間に、セ・パ両リーグの優勝チーム以外の日本シリーズ出場は、セ・リーグ3回、パ・リーグも3回あります。

クライマックスシリーズ導入の初年にセ・リーグ2位の中日が日本シリーズを制し、史上初めてリーグ優勝チーム以外が日本シリーズを制することになりました。

私は今でも違和感を憶えますが、こうなったらクライマックスシリーズ制度を逆手にとって、ペナントレースで勝率5割未満で借金を抱えた3位チームが奇跡的に勝ち進んで日本シリーズを制してしまう珍記録を期待しましょう。

 

◎違和感その3  冠スポンサー

今年の日本シリーズ、正式な名称は「SMBC日本シリーズ2019」です。SMBCグループ=三井住友銀行などのグループ企業群がスポンサーになって下さり、日本シリーズを支援してくださっています。プロ野球に理解ある企業であり親しみを感じます。

2011年にゲームソフト会社コナミが初めて日本シリーズの冠スポンサーとなり、2014年まで「KONAMI日本シリーズ」となり、2015年以降は「SMBC日本シリーズ」となっています。スポンサーになってプロ野球を支えてくださるのは本当にありがたいと思いますが、以前には無かったものだけに、やや違和感を覚えます。でもSMBCさんには本当に感謝しているんです・・・。

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冠スポンサーは日本シリーズだけでなく、オールスターゲーム交流戦クライマックスシリーズ、さらにはオープン戦にまでつくようになりました。こうしプロ野球の冠スポンサーについては明日の投稿記事に譲ります。

金曜日の夜を迎えるも、またも豪雨の予報か・・・

標題の通りです。先週末の台風19号で80名もの方が犠牲になり、避難生活を強いられている方が数千人もいるのですが、今夜からまた大雨の予報・・・。もう、今年は一体どういう年なんだろう。災いが例年より多い気がする・・・。

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毎週のように台風だとか大雨で洪水だとか、煽り運転騒ぎや高齢者の交通事故、子どもの虐待事件が相次ぎ、隣国との著しい関係悪化、アニメ制作会社の放火、登戸駅前の通り魔事件など、なんだかロクなことが無いんですよね・・・。

明日は今年の292日目。ということは、今年はちょうど80%を終えますので、残りは20%。残された20%の日々で悪い膿を出し切って、来年は事件や事故、自然災害の無い平和な年になって欲しいですよ・・・。

災害や事件、事故で気分が凹んでいるところにIOCから東京五輪のマラソンを札幌で開催しろとの指示をしてきたそうで、もうなんなんだろう・・・。IOC会長って独断でそんなことまで決定できるのか? そのうち酷暑の中でのマラソン競歩はやりたくないので、ラソン競歩冬季オリンピックで開催するとか言い出すんじゃないかな・・・。

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先ほどまで自室で古い雑誌に目を通していたんですが、平成4年(1992年)の雑誌に掲載されていた高級セダンの広告に目が止まりました。

↓ アンフィニ・MS-9の広告

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アンフィニってなんだ? と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、マツダのセンティアですね。当時マツダが展開していた販売店ブランドのアンフィニで、高級セダンのセンティアと殆ど同じ車をアンフィニ・MS-9として、1991年から1994年間での3年間販売していました。センティアも2000年で販売終了してしまいました。欲しいクルマだったんですけどね・・・。

当時のセダンって自然な曲線が美しいですし、フロントフェイス(いわゆるクルマの顔)が穏やかで落ち着いていますよね。今は、顔が怖いクルマやドヤ顔のクルマが多くて、なんだか好きになれないんです・・・。

目が吊り上がってキツイ顔のクルマが増え、しかも運転席にはサングラスをして髭を貯えた怖そうなドライバーがふんぞり返っている・・・。

この10年~20年くらいの間に、性格がキツイ人や自己中心的な人、絶対に譲らない人、自尊心が過度に強すぎる人が急に増えているように感じます。煽り運転が頻発するのは当然ですね・・・。

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金曜日の夜なんだから、もっと素直に喜ばなきゃいけないんですが、今夜からまた大雨の予報を聞き凹んでしまいました。令和2年になれば好転するかな?

ドラフト会議視ながら持ち帰り残業で図面と睨めっこ

このところ業務量がどんどん増加していまして、原則として夕方5時の定時になったら帰らなければならないというルールを守るために朝は7時から仕事を始めていますが、それだけでは捌ききれず、図面や伝票などを持ち帰って仕事をこなしています。

朝は他の職員より1時間早く仕事に取り掛かり、午前10時と午後3時のそれぞれ10分間の休憩時間も休まず仕事に充て、昼休みも約10分自主的に短縮して仕事に戻っていますので、周りの人々より毎日1時間半も多く仕事をしているのですが、周囲からの雑用依頼や問い合わせ、突然の来訪者に自分の貴重な時間を削ぎ取られています。

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今夜はプロ野球ドラフト会議を視ながらの持ち帰り作業をしていましたが、午後11時が近づいてきましたので、ブログ記事作業に移りました。

今週に入って、忙しさのあまり、みなさまのブログを読む時間が減ってしまい、加えてみなさまからいただいていますコメントやブックマークに対する返信も遅れていまして申し訳なく思っています。

こうした不義理をしていても、今日も100を超えるアクセスがあり本当に嬉しく、ありがたく思います。

明日は金曜日ですので、明日の夜から土曜日にかけて、みなさまのブログを読み、コメントなどに返信したいと考えております。どうかお許し願います。

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さて、昨日の「1銭錫貨」の記事ですが、関心を寄せてくださる方などいないだろうと油断していましたが、今日、お取引先の方から声がかかりまして・・・

1.終戦間際に計画された「陶貨」とやらを見せて欲しい・・・。

2、「1銭錫貨」を崩して接写した写真が雑なので撮り直したほうがいい・・・。

と、リクエストのような指摘のような感想をいただきました。

このような反応があると本当に嬉しいですね。

それではリクエストにお応えします。

↓ もう少し戦争が長引いたら本当に発行されたであろう「1銭陶貨」

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この陶貨は、佐賀県有田町や京都、瀬戸で製造されました。材料は三間坂粘土60%/泉山石15%/赤目粘土15%/その他10%です。製造されたこの陶貨は発行される直前に終戦を迎え、ほぼ全てが破砕処分されましたが、ごく一部が破砕処分を免れて僅かな数が現在も残っています。

表は富士山と「壱」の旧漢字、裏は桜花の周りに「大日本」の文字。金属と違って細かい文字をたくさん加えることはできないため、「昭和二十年」などの文字は省かれています。

↓ 1銭陶貨の直径は15mm。1円硬貨よりかなり小さいです。

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これが「未発行1銭陶貨」です。

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それから、ご指摘いただいた昨日の1銭錫貨の写真が雑な件ですが・・・

↓ これが昨夜の写真

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確かに粗っぽい写真に見えます。ですので先ほど撮り直してみました。

↓ 撮り直し後の写真です

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昨日に比べてキメ細かい写真に見えます。これでいかがでしょうか。

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明日は金曜日。1日頑張れば飛び石連休になります。気合で乗り切ります。仏滅ですが・・・(^^)

終戦間際に発行された「1銭錫貨」を紹介します

10月2日以来、2週間振りの古銭の紹介です。終戦間際に発行された「1銭錫貨」は実際に発行されたものとしては最後の額面1銭の通貨です。

戦況の悪化に伴い、日本には銀も銅もニッケルもアルミニウムも無くなってしまい、硬貨の材料が見当たらなくなった終戦間際、当時の日本の支配下にあった東南アジアで比較的豊富に産出されていた錫が硬貨の材料に採用されました。しかしながら錫は金属の中でも軟らかく、融点も低いので、硬貨の材料に適していません。

ですが、ほかに金属は見当たらないため、苦し紛れに錫を材料とした硬貨が発行されました。この「1銭錫貨」の品位は錫50%、亜鉛50%です。

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もしも戦争が昭和20年で終わらず、さらに長期化し、いよいよ錫も使い尽くしてしまったら、硬貨は金属を諦めて、粘土でつくった陶器、いわゆる瀬戸物の硬貨になるところでした。

実際に昭和20年には10銭と5銭は「陶貨」の試鋳が行われ、1銭の「陶貨」はかなり大量に造られており、発行される寸前にまで至りましたが、その直前に終戦を迎え、実際に「陶貨」が市中に出回ることはありませんでした。造られた「陶貨」はほぼ全て破砕処理されましたが、一部は破砕を免れており、現在では古銭マニアの手許に保管されています。私の手許にも「1銭陶貨」が2個だけあります。

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話題が横道に逸れました。「1銭錫貨」は直径15mmと小さいので、10枚ずつ並べる作業がやりづらかったです。

↓ 1銭錫貨の直径は15mm。1円硬貨よりかなり小さいです。

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昭和19年と昭和20年があります。

↓ 1500枚を10枚×15列×10段に並べてみました

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいてみます。シンプルなデザイン。戦況悪化で余裕が無かったんですね

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↓ もっと近づいて撮影します。錫とか鉛は金属の中でも独特の色合いです

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↓ 1500枚の列を崩します。

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↓ これも近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影。傷みの激しい硬貨が目立ちます

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終戦の前後に錫貨は数種類発行されていますが、古銭マニアの間でもイマイチ人気がありません。しかし、戦況悪化を示す歴史的資料として存在感を発揮しているといつも思います。

3連休明けの出勤は疲れやすいですねぇ・・・ハァ・・・

3連休明けの今日は、職場に行くだけで精一杯の状態。普段より30分も遅い午前7時35分に職場に到着し、必死に業務をこなしてきました。

勤め人33年目、今の勤め先は勤続20年目になりますが、まだ「職場」という空間の居心地の悪さに困惑しています。32年半にわたって「職場」には馴染めないんです。

今日は、仕事は山積みなんですが、午後5時半に帰ってきまして、AbemaTVで将棋C級1組順位戦、藤井七段×宮本五段を観戦。藤井七段が今日も勝ち、ここまで5勝0敗で首位。藤井七段の向後の対戦相手は、青嶋五段、船江六段、小林七段、高野六段、真田八段の5人。みな油断できない対戦相手ですが、次戦の青嶋五段戦に勝てばB級2組への昇級が見えて来るかな・・・、と、かなり楽観的に考えています。

↓ 対局終了後の解説。戸辺七段(向かって右側)と井出四段(向かって左側)

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さて、こんなことをしていましたら、ブログを書く時間が無くなりそうです。今から古銭を並べたりしても間に合いませんので、このブログの「1日当たりのアクセス数が平均して100」になりそう、という話題にします。

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昨年3月11日にブログを書き始めた日から、日々のアクセス数などの統計をとっていますが、本日午後11時時点で、1日の平均アクセス数が、99.827にまでなりました。

↓ 右端の列が「1日当たりの平均アクセス数」です

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まもなくこの数値が100になります。この程度の数字で喜んでいるのか・・・、と感じている方もいらっしゃるかと思いますが、私にとってはこれはスゴイ数字ですので非常に満足しています。

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昨年3月にブログを始めたばかりのころの統計を見てみます。

↓ ブログ開始したころの統計です

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ブログ初日のアクセス数は13ですが、4日目のアクセス数は、なんと1。その後もアクセス数が1桁の日がある一方で、3月24日に初めてのアクセス数100を経験しています。この時は、一体何が起こったんだろう・・・、と不思議に思ったものです。

この当時、1日平均100アクセスなどできるワケないと考えていましたが、1年8か月を経て、いよいよ今週末を目途に到達できそうです。

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また、今日は連続295日目の投稿です。365日連続投稿まであと70日。こちらもできる限り続けたいと思っております。

ブログを始めて約1年8か月。ここまでに至ったのは、お読みくださるみなさまのおかげです。改めて感謝申し上げる次第です(^^)

「クリーンかわさき号」という列車をご存知ですか?

以前から楽しみにしていた10月12日~14日の3連休が間もなく終わってしまいます。明日からまた普段の生活に戻り、出勤することになるのですが、この度の台風19号で被害を受けられた方々の中には、明日から普通の生活に戻ることもできず、仕事もままならないという方もいらっしゃるかと思います。

さらに言えば、自宅が損壊や浸水の被害に遭いながらその復旧を後回しにして、市民のために昼夜を問わず働いている方も多いと思います。そうした方々の労苦を考えれば、被害に遭わなかった私などは喜んで出勤しなければならないのだと思います。

と、気持ちはなんとか立て直しましたが、やはり3連休明けは緊張してしまいます。夕方6時に、勤め先の事務所入り口前まで行き、深呼吸してきましたが、イマイチ落ち着かないんですよね~。まぁ、4日我慢して働けば週末に飛び石3連休が待っていますので、それを励みにします。

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さて、今日10月14日は鉄道の日。明治5年(1872年)の10月14日(新暦)に新橋~横浜間を結んだ本邦初となる鉄道が開業したことなどを記念して、大正11年(1922年)に制定されたものです。ということは、3年後には「鉄道の日制定100周年」となりますので、また大騒ぎになりますね。

なお、明治5年の開業時の新橋駅は、現在の新橋駅より150~200メートルくらい東にある旧新橋停車場・鉄道歴史展示室の場所にあり、現在の新橋駅とは少し位置が違います。また明治5年の横浜駅は、現在の桜木町駅です。桜木町駅は明治5年から大正4年(1915年)8月14日までは横浜駅を名乗り、翌8月15日から桜木町駅に改称しています。

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さて、鉄道の日なので「鉄道ネタ」をと思いましたが、鉄道に詳しいわけでもありませんので、面白いネタや驚くようなネタは用意できません。ブログに目を通して下さるみなさまは、教養人や知識人が多いので、大概のことは知っています。やや書きにくいですね・・・(^^)

で、今日の話題は標題の通りで、「クリーンかわさき号」という列車についてなのですが、これは現在も日曜日を除く毎日1往復、神奈川県川崎市内(途中横浜市を僅かに通過します)を走行しています。しかしながら、この列車に乗車したことがある方は殆どいないと思います。

一定の知識をお持ちの方や、勘の鋭い方でしたら「ピンッ!」と閃いたと思います。ではこの「クリーンかわさき号」のダイヤを記します。

◎下り 列車番号153レ

川崎貨物    発  0712

新鶴見信号場  着  0737

  同     発  0758

梶ケ谷ターミナル着  0811

 

◎上り 列車番号152レ

梶ケ谷ターミナル発  1754

新鶴見信号場  着  1806

  同     発  1808

川崎貨物    着  1827

 

そうなんです、この「クリーンかわさき号」は貨物列車なんです。

↓ 貨物時刻表87頁 列車番号152レ 新鶴見>>川崎貨物

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貨物列車なのに「クリーンかわさき号」なんて名称をつけているのには理由があります。この「クリーンかわさき号」は日本では唯一の家庭ゴミ運搬列車なんです。

川崎市北西部で発生した家庭ゴミで、その近傍のゴミ処理場で処理しきれなかったものを家庭ゴミ専用コンテナに積み込みます。また各処理センターで家庭ゴミを焼却した際に発生した焼却灰も専用コンテナに積み込みます。

これらのコンテナを梶ケ谷貨物ターミナル駅に運搬し、「クリーンかわさき号」に積み込みます。そして17時54分に出発し、18時27分に川崎貨物駅に到着。そこで家庭ゴミや焼却灰などを載せた貨車は、神奈川臨港鉄道の浮島線で末広町駅に向かい。到着後はトラックでゴミの最終処分場(浮島処分センター)に運び込みます。

我が国唯一の家庭ゴミ運搬列車「クリーンかわさき号」は実は結構人気がありまして、GoogleやYahooで「クリーンかわさき号」と検索しますと、たくさんの説明や画像、Youtubeの映像がヒットします。

鉄道での家庭ゴミ輸送は、トラック輸送に比べて二酸化炭素排出量の抑制につながり、トラックが通過する道路の沿線住民に及ぼす騒音・振動・悪臭などを減らすことにつながるスグレモノです。「クリーン」を名乗るにふさわしい列車なんです。

実はこの「クリーンかわさき号」をブログで取り上げるために、「クリーンかわさき号」を撮影しに行こうと予定していましたが、平日は私が休めず、日曜日はこの列車が運休のため土曜日しか狙えず、ダイヤも朝7時台と夕方6時台しかなく、朝は埼玉県東部から行くには早すぎますし、夕方は9月に入ってからは日没時刻が早まったため撮影できません。そんなことから撮影機会を逸してしまいました。自分でも一度見てみたいとは思っていますので機会をうかがっています

ですので・・・。。

無責任な言い方で申し訳ありませんが「クリーンかわさき号」の画像や映像はGoogleやYahooで検索してみてください。お願いいたします。キレイな画像がたくさん出てきます。

これで鉄道に詳しくない私の「鉄道記念日ネタ」は終わりです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

ラグビーW杯・決勝T進出で日本中が沸く~嬉しい誤算

昨夜は台風19号に怯えながら過ごすことになりましたが、台風や大雨による被害には遭うことはありませんでした。台風の進路が少しでも違っていたり、何らかの条件のちょっとした違いで、私の居住地が大変な被害を被っていたかもしれません。この度の台風19号の影響で甚大な被害に遭われた方々には心よりお見舞いを申し上げます。

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さて、先ほどまでラグビーワールドカップ1次リーグA組 日本×スコットランドの試合をテレビ観戦していましたが、日本が28-21で激闘を制しました。これで日本は1次リーグ4勝全勝。A組を1位で通過し初の決勝トーナメント進出を決めました。

テレビの画面からは大盛り上がりの観客席が映し出されましたが、予想を大いに上回る好成績があってこそだと思います。

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実は半年くらい前のことですが、ラグビーワールドカップは、日本は1次リーグで全敗か、よくて1勝くらいしか上げられず盛り上がらないだろうなどと、大変失礼な予想をしておりました。予想は見事に外れまして本当に嬉しい誤算になりました。ラグビーのご関係の方々には謝らなければなりません。

ラグビーワールドカップ日本大会の開催に際し、半年前に造幣局から記念硬貨が発売されています。今日は嬉しさのあまり、この記念硬貨をパッケージから取り出し、みなさまに公開します\(^o^)/

↓ 記念硬貨のパンフレットです

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↓ パンフレット左側は1万円金貨(価格12万円)、右側は千円銀貨(価格9500円)

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↓ 12万円は出せないので、9500円の千円銀貨を買いました。ゆうパックで到着

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↓ 今日、初めて開けてみます

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↓ 化粧箱に入っています

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↓ タテ10センチ、ヨコ9センチ、高さ3センチの化粧箱

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↓ 化粧箱のフタを外しますと、説明書きと証明書が見えます

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↓ この千円銀貨の規格

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↓ この千円銀貨の証明書

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↓ 包装を捲るとラグビーW杯記念千円銀貨と対面できます

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↓ これがラグビーワールドカップ記念千円銀貨です

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↓ 透明アクリル製ケースに入っています。非常に美しいです

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↓ 裏面です。硬貨の直径40ミリ、純銀31.1グラムです

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↓ このように立てた状態で飾れる仕様です

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 ですが、飾っておきますとどうしても汚れてしまいますので、また化粧箱に入れてさらに別の箱に収納して保管します。