埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

大関で3場所33勝で「横綱昇進」した2例を紹介します

外出自粛の週末が続き、興味あるスポットを訪れたのは2月1日のスガヌマ立体駐車場が最後です。

無線や将棋や古銭収集、そしてブログ閲覧・投稿など、在宅でも楽しめることはたくさんありますので、休日に退屈することはありませんが、どこにも出掛けないと、ブログ記事の内容も「職場の愚痴」とか「昭和40年代の思い出話」とか「蒐集した古銭」といった話題に偏りがちです。

それでも、毎日100人を超える方々に目を通していただき、コメントをいただいたりしており嬉しい限りです。

職場のお取引先の方々からも、ブログ記事の感想をお聞かせいただくことがあります。先日も、3月25日の大相撲の「大関昇進基準」についての記事が参考になったというご意見を拝聴し嬉しく思いました。

↓ この記事ですね

saitama-dame.hatenablog.com 

このお取引先の方はまだ20才代後半の方なんですが、大相撲に興味を持っておられ、話が弾みます。

 

取引先「jh0iamさんは、三役で3場所33勝に達しない大関昇進の容認派なんですね」

わたし「はい、30勝くらいでも相撲の内容とか将来性を考慮したいですね」

取引先「俺は33勝が必要で、32勝だと、アレ?それで大関昇進?って思います」

わたし「平成以降は33勝以上で昇進が定着したからねぇ」

取引先「ブログの記事にあった28勝で大関昇進とかビックリしましたよ」

わたし「あ、そう? では横綱昇進は2場所連続優勝を強く求めますか?」

取引先「はい、2場所連続優勝が絶対条件だと思います」

わたし「ということは、2場所連続優勝を含んで直前3場所では何勝を求めますか?」

取引先「横綱昇進ですから、直前3場所13勝平均で、39勝とか40勝とか・・・」

わたし「なるほど、実は大関で直前3場所33勝で横綱昇進した例があります」

取引先「え? 33勝で横綱昇進ですか? 33勝って大関昇進の基準ですよね?」

わたし「大関で3場所33勝で横綱昇進です。もちろん戦後の15日制です」

取引先「えー? 5勝(途中休場)、14勝(優勝)、14勝(優勝)とかですか?」

わたし「いや、3場所45日皆勤ですよ」

取引先「いやー、33勝って11勝平均ですよ。それで横綱昇進ですか??」

わたし「過去に2例あります。近々ブログに書きます。是非ご覧ください」

 

仕事の最中に取引先とこうした雑談などしています。困ったものです。

 

では早速3場所33勝で横綱に昇進した2例を紹介しましょう。

 

1例目は41人目の横綱千代の山雅信 

昭和25年9月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇〇  11勝4敗

昭和26年1月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇●●●●●●  8勝7敗

昭和26年5月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇   14勝1敗 優勝

 

これで横綱昇進となりました。当時は年3場所制(1月、5月、9月)です。実は千代の山は新大関だった昭和24年9月に13勝2敗で優勝。続く昭和25年1月は12勝3敗で連続優勝していましたが、不運にも横綱昇進を見送られており、昭和26年5月の3回目の優勝で、合わせ技一本のような形で横綱昇進となりました。

 

2例目は47人目の横綱柏戸剛

昭和36年5月 東大関 〇〇〇〇●●〇〇●●〇〇〇〇 10勝5敗

昭和36年7月 西大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇●●●〇 11勝4敗

昭和36年9月 西大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇 12勝3敗 優勝同点

 

これで横綱に昇進しました。今では信じられない3場所33勝での横綱昇進ですが、ここまで9場所連続2ケタの勝ち星をあげる安定性と将来性が評価され、しかも大鵬とのアベック昇進を期待する世論も味方したのではないかと思われます。

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横綱昇進直前3場所で33勝での昇進はこの2例しかありませんが、平成に入ってから34勝で昇進した例があります。参考までにその3場所の星取を示します

 

3場所34勝で横綱昇進した67人目の横綱武蔵丸光洋

平成11年1月 東大関 〇〇〇●●●〇〇〇  8勝7敗

平成11年3月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇  13勝2敗 優勝

平成11年5月 東大関 〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇  13勝2敗 優勝

 

大関で2場所連続優勝でしたが、3場所34勝の星だったことから、多少の異議はあったようです。それでも、新入幕の場所から46場所連続(幕下時代からだと52場所連続)勝ち越しの史上稀にみる安定性の高さが評価され、しかも大関で5回も優勝しており、昇進しないほうが不自然だと思います。この武蔵丸横綱昇進はつい最近のことのように感じるのですが、もう20年以上経っているんですね・・・。

37年前のステンシルテンプレートが出てきましたが・・・

外出自粛の休日、半日にわたって部屋の片づけをしていました。すると、昭和58年に購入した「ステンシルテンプレート」が出てきました。

これを購入した場面ははっきりと記憶しています。大学に入学した年に池袋西武百貨店の製図・レタリング用具のコーナーで購入したものです。

↓ これです

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↓ 1文字の大きさは50ミリ

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↓ 製品名は 「デザイン ステンシル L50-1 と L50-2」

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製品名の中の「50」は文字の大きさですね

 

↓ そしてもう一つあります

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↓ こちらの1文字の大きさは35ミリ

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↓ 製品名は 「デザイン ステンシル LN35-1 と LN35-2」

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こちらも製品名の中の「35」は文字の大きさを示しています。

夫々の「ステンシルテンプレート」の右下には「Muto」のマークがあります

↓ これです

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半透明のプラスチック製です。ご覧いただければわかると思いますが、このステンシルテンプレートは、その内側を筆記具でなぞって綺麗な文字を描く道具です。

購入した当時、この「ステンシルテンプレート」4枚で5~6千円くらい支払った記憶があり、かなり高価でした。大学に入学して自由な時間ができたのでポスターなどのデザインをやってみようと考えて購入したものです。さまざまなことに興味を抱いてすぐに手を出してしまう悪いクセはこの当時からありました。

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「ステンシルテンプレート」を発掘しまして、現在でも販売しているのか、現在の販売価格はどれくらいだろうかと気になって、Googleで調べてみました。

製品名が「L50-1」とか「LN35-1」などとはっきりしていますし、「Muto」というマークがありますので、メーカーは「Muto」とか「武藤」とか「ムトウ」などで検索すればすぐに判るだろうと考えていました。

ところが、いくら検索してもこの製品についての情報は全くありません。37年前に購入したものですから、それほど古い製品でもありませんし、当時は多くの方が利用していたのではないかと思いますが、Googleの検索では該当がありません。なんだか不思議な感覚・・・。

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「ステンシルテンプレート」で検索したところ、主にテンプレートの上からスプレーを噴射して文字を塗装する金属製の板が数多くヒットします。これらは、ステンシル体という書体を使用しており、テンプレートがバラバラにならないように、文字には完全に閉じた部分が無いのが特徴です。

↓ Googleで検索するも、違うタイプのテンプレートばかりがヒットします

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それに対して、私の手許にある「ステンシルテンプレート」では、「A」「B」「D」「O」「P」「Q」「R」「&」「4」「6」「8」「9」「0」といった文字は、最初に外側の輪郭を描き、次に内側の輪郭を描き加えるものです。このように1つの文字を外側輪郭と内側輪郭の2度描くタイプの「ステンシルテンプレート」は検索しても全く見当たりませんでした。

私の検索の仕方が間違っているのかもしれませんが、コンピュータが普及した現代ではレタリングに「ステンシルテンプレート」を利用する機会が大幅に減ってしまったのかもしれません。

「Muto」の「L50-1」や「LN35-1」の詳細が判らず、モヤモヤした気分の一日でしたが、Googleで検索しても手掛かりさえつかめないこともあるんだなぁ・・・と、諦めました。

バナナが贅沢品だったころを知る最後の世代かも・・・

このブログをお読みくださる方の中には、昭和38年生まれの私よりも先輩にあたる方が何人もいらっしゃいまして、ときどきブログを通じてコメントなどをお寄せくださり、ありがたく拝読している次第です。

私よりも先輩にあたる方(昭和30年代初頭から中頃生まれ)ですと、まだカラーテレビが普及してなく白黒テレビを視聴していた経験や、電話が自宅に無く隣近所で電話がある裕福な家の方にお願いして電話を取り次いでいただいたりした経験があるのではないかと思います。私でも昭和40年代前半(幼稚園に通っている頃)にそのような生活を経験をしています。

電話の無い家庭って・・・、どんなに惨めかと思う方も多いかと思いますが、当時は電話のある家庭と無い家庭とは半々でしたので、特に惨めには感じることはありませんでした。

そんな時代を知っている方でしたら、「バナナは贅沢品」だったころを憶えているかもしれません。

今でこそ、バナナは廉価で気軽に買えるフルーツで、それこそ1カット(4~5本)で200円~300円程度で一年中手に入ります。今は「バナナは贅沢品」と思う人は殆どいないでしょう。

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実は私が幼稚園に通っている頃には贅沢品だったバナナは、小学校に入学した年あたりから急激に価格が安くなり、一気に大衆化してしまいました。

大きく時代を遡り、明治~大正期のバナナは一般庶民などは余ほどのことが無い限り食べることも見る機会もない特別な果物だったようです。昭和の初期になりますと、台湾からの輸入量が増え、庶民でも何とか手が届くようにはなりましたが、贈答品や病気の見舞でいただくもので、まだまだ特別な食べ物でした。

戦時中は輸入バナナの輸送船は軍用に使用され、バナナの入荷量は激減。戦後、昭和25年7月から台湾バナナの輸入が再開されたものの、外貨が不足していた当時の日本は、バナナのような生活必需品ではないものは輸入量を制限しており、国内に流通するバナナは少なく、価格は高値を維持していました。

昭和38年4月にバナナの輸入自由化となり、輸入量、流通量がそれまでの数倍になり、ある程度値下がりはしますが、価格が比較的高い台湾やエクアドルから輸入したバナナですので、劇的な値下がりをしたわけではありません。

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私が幼稚園~小学校低学年の頃がこの時代で、バナナは絶対に買えないほど高いわけではないのですが、あくまで感覚的なものですが、バナナ1カット(4~5本)の価格は現在の価格に置き換えるとおおよそ600~800円前後だったように思います。バナナは普段のおやつに食べられるものではなく、病気で学校を休んだ際に枕元にそっとバナナが置かれていた記憶があります。昭和40年代生まれの方ですと、このような記憶は無いかと思われます・・・。

状況が変わり始めたのは昭和45年から。日本市場向けに輸出するバナナを生産する大農園(プランテーション)を整備したフィリピンが価格が安く、品質が安定したバナナを日本に送り込んできました。

そして昭和48年にはフィリピンからの輸入量が最も多くなり、このころから安くておいしいバナナが手軽に食べられるようになりました。この頃からは現在とほぼ同じような状況になっているように感じます。

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私たちの世代ですと、バナナといえば「台湾バナナ」を思い浮かべる方も少なくないと思いますが、2018年の財務省貿易統計で「国別バナナ輸入割合」を見ますと・・・

1位 フィリピン  83.6%

2位 エクアドル  11.0%

3位 メキシコ    2.8%

4位 グアテマラ   0.8%

5位 ペルー     0.6%

   その他     1.2% ←台湾もこの中に含まれています

 

こうなっていまして、昭和44年まで輸入バナナの大半を占めていた「台湾バナナ」は現在ではほとんど見かけることは無くなってしまいました。

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50年前に「バナナは贅沢品」という印象を刷り込まれたからか、今でもバナナを口にするときはなんとなく嬉しくなってしまいます。

↓ バナナはこれくらいは常備しています\(^o^)/

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特に休日は、食前食後にバナナを食べてま~す (^^)モグモグ

NHK杯の将棋と囲碁が開幕!世代交代がハッキリ

今日は勤め先では期末決算資料の提出期限日で、昼休み返上で事務作業に没頭し、帰宅後は「緊急事態宣言」でテレビ画面に釘付けになりました。

早朝からこの時刻までなんだか慌ただしくて疲れますね・・・。

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さて、一昨日(4月5日・日曜日)から新年度のNHK杯将棋・囲碁のトーナメントが始まりました。毎年この日はとてもワクワクします。

将棋のNHK杯は今年度は第70回、囲碁は第68回を数えます。

↓ NHK杯将棋トーナメントAブロック

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↓ NHK杯将棋トーナメントBブロック

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AブロックにもBブロックにも、森内俊之九段の名が見当たりません。十八世永世名人の資格を持つ森内九段ですので、NHK杯の出場資格があるのだと思っていましたが、本戦出場を目指して予選に参加して惜しくも敗れたとのことで、永世称号資格を持つ棋士はNHK杯に出場できるというのは私の勘違いか出場条件が変わったかのいずれかだと思います。

森内九段の名がないだけでトーナメント表に違和感が漂います。それだけ森内九段の存在感は際立っていたのだと思います。

代って四段プロデビューをして間もない何人もの若手実力派の名が目立っています。

 

次にNHK杯の囲碁ですが、こちらも超大物棋士の名が見当たりません。

↓ NHK杯囲碁トーナメントAブロック

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↓ NHK杯囲碁トーナメントBブロック

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45年連続で出場していた、趙治勲名誉名人の名が見当たりません。こちらも若手の台頭でベテラン大物棋士が出場を逃しているのでしょうか?

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これまでにも何度か書きましたが、私は将棋はある程度指して楽しんでいますが、囲碁はルールを知っている程度で、20級レベルだと思っています。ですので、NHK杯の将棋は次の一手を考えながら観戦していますが、NHK杯の囲碁はただぼんやり眺めているだけです・・・。

将棋はほぼ毎週欠かさずテレビ観戦していますので、日曜日の午前はほぼ家にいます。日曜日の午前中に墓地や携帯電話などのセールス電話がかかってきますが、そんな時は「今、テレビで将棋を観ていますのでお話を伺うことはできません」とハッキリと、そして丁寧にお断りしています。それ以上食い下がってきた例はありません(^^)

 

今年はコロナウイルス禍で野球やサッカーなどあらゆるスポーツの試合が中止や延期となっていますが、将棋の対局だけは中止や延期にはなっていませんでした。ところが今朝の新聞で、明日(4月8日)から開催されるはずだった第78期将棋名人戦が延期との記事が載っていました。

↓ これです(><)

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毎年、名人戦七番勝負の開幕で春を感じるのですが、今年は5月19日からに延期となりました。スポーツの試合とは異なり、将棋だけは延期や中止はないだろうと考えていましたが、ついに将棋の対局にまで延期・中止の波は押し寄せてきました。棋士や関係者、マスコミなど大人数が、東京、大分、三重、長野、岡山、山梨、山形と会場を移動して対局していきますので、どうしても感染リスクは高まります。開幕延期は妥当な判断だと思います。

大学野球~春季リーグ戦は延期や変則開催に・・・・・

昨日(土曜日)も今日(日曜日)も外出自粛とするつもりでしたが、暖房の灯油と夕食の食材が無いため、最低限の買い物に出かけました。その足で書店にごく短時間だけ立ち寄りまして大学野球~春季リーグ戦展望号」を買い求めてきました。

↓ 毎年4月初旬と9月初旬に発売される「大学野球展望号」がスゴく楽しみ(^^)

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現在、新型コロナウイルスの感染拡大で世界中が大混乱しており、あらゆるスポーツやイベントなどが中止、延期になっています。大学野球も当然のことながら、この春のリーグ戦は延期や変則開催となりますので、この「大学野球展望号」も果たして発売されるどうか心配していましたが、書店の店頭にたくさん置いてありましたので、嬉しく思った次第。

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さて、「大学野球展望号」の記事内容はさすがに詳細にお伝え出来ませんので、興味のある方は書店でお手にとってみていただきたいと思います。

コロナウイルス禍の影響で全国に26ある大学野球リーグ全てが日程の延期や変則開催となりそうで、この「大学野球展望号」の編集も最後までまとまらなかったようです。

 

↓ 「大学野球展望号」購入後まず最初に確認する東京六大学野球の日程ですが・・・

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3時間ほど前に、東京六大学野球春季リーグ戦」は5月中旬以降に1回戦総当たりで開催する方向との報道がありました。したがってこの4月11日開幕の日程表は全く使えなくなりました。幻の日程表となりましたので、このブログに載せてもよいものと判断しました。繰り返しになりますが、この「東京六大学野球春季リーグ戦」の日程は大幅に延期になりましたので、これを見て神宮球場に駆け付けないようご注意ください。(念のために赤線でバツを加筆してあります)

 

↓ 東京六大学野球連盟のホームページより「春季リーグ戦日程変更」のお知らせ

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それでは東都大学野球春季リーグ戦」の日程はどのようになっているか見てみましょう。

↓ これです

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東都大学野球連盟は一連のコロナウイルス禍の影響で、春季リーグ戦の日程は当初より決めることはなかったようです。連盟のホームページを確認しましたが日程は未定。東都大学野球連盟加盟校は21校で1部から4部までありますので、リーグ戦の日程調整などの運営面は東京六大学野球以上に困難を伴うのではないかと思われます。

 

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そんな中で、全国には26も大学野球リーグがありますので、どこか試合をやっているところはないかと探しましたら、九州地区大学野球連盟の宮崎予選と沖縄予選、それに中国地区大学野球連盟が「5校」での変則開催ながら試合を行っていました。

南九州地方や中国地方はコロナウイルス感染者数が少なく、プロ野球や甲子園の高校野球と違い、地方の大学野球の観客数は極端に少ないです。(私も15年前に埼玉県加須市平成国際大学野球場に関甲新学生野球リーグの試合を観戦に行きましたら、観客は私1人だったことがあります)

ちなみに、昨日開幕の中国地区大学野球春のリーグ戦は岡山市マスカットスタジアムで行われましたが、3万人収容できる球場で観客数は170人。来場時の検温、マスクの着用、一定の距離を空けて着席するなど予防対策がなされていますし、試合を行いたいとする中国大学野球連盟さんの考えには同意したいと思います。

わずか3か月前のことですら懐かしく感じてしまいます・・・

新年度最初の金曜日の夜を迎えました。例年ですと期末・期初の事務作業が多端で土曜日や日曜日に出勤することが多いのですが、今年は3月中に業務をどんどん前倒しで消化することができましたので、明日も明後日も休めます。嬉しいです(^^)

しかしながら、今週末の連休も外出は自粛。2月中旬から極力外出を控えるようになりましたので、もう1か月半もこうした状況が続いていますし、今後もまだまだ続くものと予想します。

新型コロナウイルスの感染拡大により、私たちの生活も大きく変わってしまいました。この新型コロナウイルスがまだほとんど知られていない頃の世の中を思い出したくて、今年元日の新聞を引っ張り出して眺めてみました。

↓ 今年(令和2年)1月1日の朝日新聞朝刊

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↓ 今年(令和2年)1月1日の日本経済新聞朝刊

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毎年1月1日の新聞は保管し、年末に改めて読んで1年を振り返っていのですが、今年はわずか3か月経過した時点で、コロナウイルスに怯える必要の無い生活や世の中を懐かしく感じ、まだ4月に入ったばかりなのに、1月1日の新聞をついつい手に取ってしまいました。

この頃は、ゴーン被告がレバノンに逃亡したことが大きなニュースだったんですね・・・・。

わずか3か月前なのに・・・、懐かしく感じます・・・。

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1月1日の朝刊2紙とも、どこにも新型コロナウイルスの記事はありません。

 

大相撲1月場所千秋楽の翌日、徳勝龍の優勝を報じた1月27日の朝刊も手元に残してありました。そこには新型肺炎関連の記事が掲載されていました。

↓ 1月27日の朝日新聞朝刊にあった新型肺炎関連の記事の一部

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当時は中国以外の感染者は51人。日本ではまだ4人でした。現在危機的状況にあるイタリアやスペインはこの時点ではまだ感染者数0。

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早くあの頃のような生活に戻りたいと願っていますが、残念ながらかなりの長期戦になるだろうと思われます。

社会全体がこのような状況で、テレビ局までもが浮足立っているのか、今日の昼休みにTBSテレビの「ひるおび!」を視聴していましたら、政府が国民に支給するマスクの予算を示したパネルが間違っていました。

↓ すかさず写真を撮りました(^^)

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200円×1万枚=200億円???

我が国の人口は1万人なのか???

選ばれた国民1万人限定で配布するのか???

1枚200万円の超々高級マスクを200円と誤記したのか???

今回のマスク調達費用は総額200万円なのに200億円と誤記したのか???

 

こうした間違いを発見して意気揚々とブログに掲載して喜んでいる私は、コロナ疲れで性格がささくれ立ったり、ねじ曲がったりしてきているのかもしれません(><)

勤め人になって34回目の4月1日を迎えました・・・

昨日の続きのようになりますが、昭和62年4月1日に勤め人になって33年が経ち、今日から「社会人34年目」に入ります。毎年のことですが、4月1日には特別な緊張感があります。

 

勤め人になった34年前の4月1日に、札幌市で撮影した新入社員の集合写真を発見しましたので、ご覧いただこうかと思います。

↓ この写真です・・・

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34年経過していますし、この写真では個人が特定できませんし、すでに消滅した会社ですので、ブログに掲載しても差し支えないものと判断しました。

記憶がやや曖昧なんですが、前日の3月31日に飛行機で札幌入りした私は、この研修所に到着して一夜を過ごし、翌4月1日の朝から札幌市中央区にある本店で入社式を行い、午後は入社式を終えた全新入社員がこの研修所の正面入り口前に集められて記念撮影をしたんじゃなかったかと思います。

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実は私は前日の3月31日に初めて北海道にやってきたんですが、北海道の気候をナメていたためにひどい目に遭うことになります・・・

「いくら北海道でも、4月になろうという時期だからポカポカ陽気だろう・・・」などと考えてコートなど着ないで、しかも冬用のスーツではなく、やや服地が薄い春用のスーツを着て東京から飛行機に搭乗したんです。しかし・・・

新千歳空港に到着した瞬間、ものすごい吹雪を目の当たりにして慌てます。外気温はマイナス6度。これまで経験したことの無い寒さ・・・・(><)。

私のほかにも、北海道以外の出身者の何人かは同じように薄手のスーツで気軽な気持ちで東京から北海道にやってきていまして、吹雪の中ガクガクブルブル震えながら宿泊する予定の研修所を目指して半泣き状態で歩いていました。

北海道の気候は関東圏とは全然違うことを身を以て感じ、今でもテレビで放送されている全国の天気予報を視ますと、北海道の天気や関東との気温差を最初に確認します。

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この写真が撮影された昭和62年4月には、スマートフォンはもちろん、携帯電話も無い時代。「Twitter」も「Facebook」も「LINE」もありません。「Youtube」も無ければ「Wikipedia」もありません。辛うじてワープロ専用機があった程度。

そんな時代に社会人生活をスタートしているためか、毎日メールの着信をチェックする習慣さえ無く、SNSなんか全然使えない我々のような世代は、若い方々の足を引っ張って、老害」と後ろ指を差されないうちに早々に引退するべきかな・・・、と34回目の4月1日を迎えて考えたりもします(^^)

令和元年(平成31年)度も最後まで勤め上げました・・・

今日、3月31日は令和元年(平成31年)度の最終日です。

今年度の途中の5月1日から改元があり、「平成」から「令和」に代りました。今年度は、5月1日以降は、単に「令和元年度」と表記すればいいのですが、勤め先の私の手元の帳簿などのファイルは・・・・

自 平成31年4月1日  至 令和2年3月31日

と記してありますので、今日の記事のタイトルなどは必要ないと解っていてもあえて「令和元年(平成31年)度」などと、諄(くど)い言い回しにしています。

今日を最後に、僅かに残っていた「平成」から続いているものが全て消えてしまうような気がして、何ともいえない寂しさを感じます。

 

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私は学卒後、昭和62年4月1日に社会人の仲間入りを果たし、初めて迎えた年度末は昭和63年3月31日でした。その後何社か勤め先を遷り変わっていますが、一貫して「3月決算」企業に勤めていまして、今日は33回目の3月31日です。

ギリギリ「昭和」でも勤め人をやり、「昭和」の時代でも年度末を経験しています。

 

昭和62年4月1日~昭和64年1月7日  (年度末を 1回経験)

平成 元年1月8日~平成31年4月30日 (年度末を31回経験)

令和 元年5月1日~平成 2年3月31日 (年度末を 1回経験)

改めて調べてみましたら、3月31日の年度末は33回のうち31回は「平成」の時代だったんです。

「年度末」を33回経験しましたが、毎年「年度末」を迎えますと、来年度で辞めよう・・・、などと「引き際」ばかり考えてしまいます・・・。

 

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昨年の3月31日は、「年度末」であるだけでなく、翌日(4月1日)に新しい元号が発表になるとのことで、非常にワクワクしていました。

 

↓ 昨年3月31日のブログ記事。この日は日曜日でした

saitama-dame.hatenablog.com

そして翌日、菅官房長官が新しい元号を発表しました。

↓ あれから間もなく1年が経つんですね

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1年前には、今のような伝染病の感染拡大で世の中がメチャクチャになるなど考えてもいませんでした(><)

あ、スミマセン、話題が横道に逸れました・・・。

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明日4月1日は「奇数の日」ですので、投稿いたします。明日もどうかこのブログにお立ち寄りくださいますようお願いいたします。

外出自粛で一日中イタリア、スペイン、米国のTV視聴

週末の休日はあっという間に終わり、明日からまた家族4人全員が出勤です。私と妻は埼玉県内の居住地の市内での勤務で、徒歩や自転車で通勤できるのですが、長男と娘は満員電車で毎日東京都内に通勤していますので、ウイルス感染が心配です。

私も3月23日のブログでもお知らせしましたように、勤め先の事業所を訪れる不特定多数の人々と最初に接触する立場にありますので感染リスクが高く、本当に怖いです。

普段ですと「明日から仕事で嫌だなぁ・・・」と感じる程度ですが、今は「明日から仕事、1週間家族全員感染せずに乗り切れますように・・・」と祈るような気持ちです。

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県知事から外出自粛の指示があり、降雪もありましたので、朝に食糧調達で短時間の買い物をした後は1日中部屋に閉じこもっていました。

日本国内でもコロナウイルスが徐々に感染拡大しており、いずれは欧米並みの状況になるのではないかと感じ、現在のイタリア、スペイン、米国の様子を現地のニュース番組で確認しました。

 

最初に視聴したのはイタリア放送協会(RAI)のニュースチャンネル。この放送局はイタリアの国有企業で日本のNHKのような位置づけです。

↓ ここをクリックしますと「RaiNews」にリンクします

www.rainews.it↓ RaiNewsのトップページ。右上の赤い「LIVE」をクリックすると視聴できます

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↓ イタリア語が解らなくても、切羽詰まった状況は伝わってきます

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次にスペイン。スペイン放送協会(RTVE)のニュースチャンネル。この放送局も国有企業で、日本のNHKのような性質の公共放送局です。

↓ ここをクリックしますと「RTVE.es」にリンクします

www.rtve.es↓ スペインのRTVEのトップページ

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↓ トップページ上部の黒色の帯から「24horas」をクリックします

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↓ ニュース番組のスタジオ

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↓ ペドロ・サンチェス首相もコメント

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↓ 混乱する現場の様子・・・

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スペイン語は解りませんが、ものすごい緊迫感がビシビシ伝わってきます。

 

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最後に米国ABC Newsです。ABC Newsは英語放送ですので、ある程度は理解できます。

 

↓ ここをクリックしますと「ABC News」にリンクします 

abcnews.go.com

↓ ABC Newsのトップページ

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↓ 「LIVE」をクリックします

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↓ リアルタイムで「米国の今」を知ることができます

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米国でも「若者に警告」をしてますね・・・。

↓ トップページから「CORONAVIRUS」をクリックすると・・・

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↓ 短時間の映像ニュースをいくつも視聴できます

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↓ 米国だけではなく、欧州の様子も報道されています(イタリアで1万人死亡の報道)

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あと2週間くらいしますと、日本でもイタリアやスペイン、米国のような大変な状況を迎えることになるのでしょうか?

いやいや、なんとかここで踏みとどまってほしい・・・、と願いながら一日中この国々のニュース番組を眺めて過ごしました。

今夜は職場の花見~当然ですが私は不参加です

標題の通りです。

勤め先の事業所構内には見事な桜の木があり、毎年この時期(3月の最終金曜日または4月の第1金曜日)には花見が催されます。

↓ 事業所構内に咲く見事な桜

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3月最終金曜日の今日、例年通り構内で花見が催されました。

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世界中でコロナウイルスの感染が拡大し、イタリア、英国、米国などの大変な状況が連日報道され、東京、千葉、埼玉、神奈川、山梨の1都5県の知事からの共同メッセージとして、不要不急の外出やイベントの自粛要請が出ている中での花見の決行には賛成も理解もできません。私が社長だったら、従業員の感染リスクに加え、近隣住民の目も気になりますので「花見の中止」を命じていたと思います。

幸いなことに、私には花見への参加を呼び掛ける人はいませんでしたので、花見が開始する午後5時半ごろに帰宅できました。

今週に入ってから、事務所や事務室、工場のドアノブやカウンターを2時間ごとにアルコール消毒をして、コロナウイルスの社内での感染を防ごうとしているいる私の姿を見ていた人々は、私が「明らかに花見には反対」の立場をとっていると感じたのかと思います。私に対して「声を掛けない」「誘わない」という思い遣りには感謝します。

 

私は参加しませんので、「花見をやるべきではない」と考えてはいますが、花見を公園等で行ったわけではなく、事業所の構内でのことでもあり、決行した人々を痛烈に批判する必要まではないと思います。

 

ハイ、花見の話題はここまで!

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前述の通り、今日の花見は私には関係ないことになりましたが、過去には似たようなことで非常にイヤな思いをし、今なおそのイヤな思いを引きずっている出来事がありました。31年前のことです。

昭和64年1月7日(土曜日)、昭和天皇崩御の日のことです。当時の私は大手銀行の地方の支店に勤める社会人2年目の職員で、まだ25才でした。

そのころは完全週休2日制ではなく、第1、第3、第5土曜日は午前のみ営業していました。1月の第1土曜日だった1月7日の午前6時33分に昭和天皇崩御されましたが、支店は朝9時から正午までは店舗の照明を暗くし、会話も小さい声で最小限に抑えて通常通りの営業をしていました。

この日の午後は、前年末から支店長宅(社宅)で新年会を催すことに決まっていましたが、さすがに天皇陛下崩御の当日の新年会は中止だろうと思っていました。

ところが、この支店の人々はこのような非常時にも何の躊躇もなく平然と新年会を決行したのです。その感覚に驚かされました。

支店長宅に集まった30人近くの職員は、日本中が悲しみに昏れているのにも全く関係なく、数時間にわたって大酒を飲み、大声で笑い、ドンチャカドンチャカ大騒ぎ。

泥酔した人々は「暑いから窓を開けろ!」と叫び出しまして、窓を開けると、外には近隣に住む人々が、必要最小限の食料品などを買い求めていそいそと家に帰るところでしたが、銀行の社宅から轟きわたる騒々しい笑い声に気づき天皇陛下崩御の日になんという不敬! ここは本当に銀行の社宅なのか?」といった表情で社宅の中を覗いているではありませんか。路上で唖然とする人々と目が合った時の恥ずかしさは今でもはっきりと記憶しています。

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私だって「昭和天皇崩御」「昭和最後の日」「新しい元号」をテレビ、ラジオ各社がどのように報道するのかをしっかり記憶に留めたかったのですが、まだ2年目の新米職員ですので、支店長や管理職の方々が「新年会でドンチャン騒ぎをやるんだ!」と決めたら、それに抗うことなどできるはずがありません。

もしも私が当時の支店長だったならば「みなさん、今日は新年会の予定でしたが、天皇陛下崩御されましたので新年会は中止にします。今日が昭和最後の日になりますので、みなさんのこれまでの歩みと昭和という時代を重ね合わせながら振り返ってみてください」と話して職員を少しでも早く帰宅させたと思います。

あの狂気の沙汰ともいえる「新年会の決行」と近隣住民の「驚きと軽蔑が入り混じった眼差し」は今でも忘れることができませんし、今でも皇室関連の報道があると、この31年前のことを思い出し、皇室の方々に本当に申し訳ないことをしたとの気持ちが湧いてきます。

↓ ドンチャン騒ぎの翌日の日本経済新聞朝刊

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「平成最初の日」は日曜日。当時独身寮に住んでいた私は独りこの新聞に目を通しながらそれまでの25年の歩みと昭和という時代を重ね合わせながら振り返りましたが、「昭和の最後の日」にドンチャン騒ぎの汚点を残してしまったことを悔やんでいました。