埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

私はダメ人間ではなく「HSP」なのかもしれない

正月休み明けから楽しみにしていたゴールデンウィーク5連休が終わり、今日からまた通常の生活サイクルに戻ります。

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ゴールデンウィーク明け、盆休み明け、秋の連休明け、そして年末年始の連休明けは本当に辛いです。ですが、今はコロナ禍で資金繰りに窮している方や、危険を冒して休みなく働いている医師、看護師など医療関係の方が全国にはたくさんいらっしゃいますので、弱音などは吐いてはいけません。今日からまた働きに行ける場所があることを幸せに思い、喜んで出勤したいと思います。

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この度のゴールデンウィークが終わることについては、このように落ち着いていますが、これまで勤め人になってから33年間、大きな連休が明ける際には必ず大きく落ち込んで口数が減り落ち着きを失っていました。

もっと遡れば、幼稚園に入園した昭和43年から大学を卒業する昭和62年春までの約19年間も、夏休み、冬休み、春休みの最終日などはやはり気分が沈み込んでいました。特に勉強ができないわけでもなく、イジメを受けていたわけでもありません。それどころか、小学校では学級委員や児童会書記、中学校では生徒会会計委員に任命されていましたので、周りの人々の目には明朗快活な人と映っていたのではないかと想像します。

でも実際は違うんですよね。50年くらい前から長期の休暇が明ける日や月曜日の朝はユウウツで仕方が無かったんです。

学校でさえそんな状態ですから、職場なんかもう地獄です。大きな連休が明ける日だけでなく、毎週月曜日を迎える際は今でもツラいです。勤め人を33年やってますので、月曜日を迎える苦しみを約1650回耐えてきたことになります。どうやって耐えてきたのだろうかと自分でも不思議に感じています。

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この言いようのないツラさの原因は何か、長年にわたり考えてきました。アスペルガーなのかADHDなのか、アダルトチルドレンなのか、それとも何らかの発達障害なのか・・・、自分を苦しめるものは何なのかを探しましたが、どれもイマイチ違うんです。

ところが最近、染井アキさんという方が著した「ダメ人間だと思ったらHSPでした」という書物を読み、「HSP」が自分に最も当てはまると思い始めました。

↓ この書籍です。産業編集センター発行。151頁

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HSP(Highly Sensitive Person)とは、普通の人より五感が鋭く、精密な中枢神経系を持ち、良い刺激にも、悪い刺激にも強く反応する感受性の強い人のことだそうで、Wikipediaに詳細が記されていますので貼ってみます。

 

↓ Wikipediaの「ハイリー・センシティブ・パーソン」の項

ja.wikipedia.org

 

先ほど紹介しました「ダメ人間だと思ったらHSPでした」という書にも、ご自身がHSPである著者の染井アキさんのこれまでの人生の中で、今思い起こせばHSPだからこそ出くわしたさまざまな場面での人間関係における戸惑いや葛藤、対立などがコミカルに語られており、楽しく読み進めながらHSPとはどんなものなのかを知ることができます。好著です。

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冒頭申し上げましたように、ゴールデンウィークが終わり、今日はいつもなら気が狂いそうなほど落ち込むのですが、コロナ禍で苦しむ事業主や学生の方々や大変な職務に従事する医療関係の方々に対して申し訳ないという気持ちと、長年にわたり感情を揺さぶり続けてきたものは「HSP」ではないかと判明しかけてきたことにより落ち着いて連休明けを迎えることができております。

この書籍のタイトルの通り、私が実は「ダメ人間」ではなく「HSP」なのであれば、このブログのタイトルも「埼玉在住中小企業勤務Highly Sensitive人間の思うところ・・・」への変更を検討しなければなりませんね・・・。

「こども」のころに最も嬉しかった出来事はこれです

外出しない5連休となりましたので、開設しているアマチュア無線局の変更申請でも書こうと思い、過去に総合通信局(電波管理局)に提出した申請書類などの控えを取り出そうとしましたら、昭和52年4月に受験した電話級アマチュア無線技士(現在の第四級アマチュア無線技士)」の国家試験の受験票と合格通がポロッと出てきました。

↓ 左が受験票、右が合格通知 (ラジオの製作という月刊雑誌の付録の用紙を利用)

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捨てた記憶は無かったのですが、見当たらないなあ~、どこにしまったかなぁ? などと考えることはありました。30年ぶりくらいのご対面でしょうか。

今日は「こどもの日」の祝日ですので、「こども」のころに最も嬉しい出来事だった、この国家試験の合格について記します。

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この受験票と合格通知は昭和52年の春ですので、私が中学1年から2年に進級するころのものです。

今でこそ、第四級アマチュア無線技士の国家試験は全国各地で受験ができ、受験機会も頻繁にありますし、養成講習会も全国各地で行われていますので、資格を得るハードルはかなり下がっているように感じます。

当時のアマチュア無線技士国家試験は4月と10月の年2回。会場も原則として電波管理局のある都市(全国11会場)でしか行われませんでしたので、遠隔地に住んでいる者(特にこども)にとっては受験することだけでも大変なことでした。

実際、私の通う中学校でも、アマチュア無線に興味のある友人は何人かいまして、私なんかより数学や理科の成績が優れ、半田ごてやテスターを器用に使いこなしてラジオを作ったり修理したりしていた人たちなのですが、遠く離れた試験場まで行くことを親が許してくれなかったり、家庭がそれほど裕福ではなかったりで、受験することすら叶わなかった人が何人かいました。

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私はたまたま親の理解が得られて、受験願書を提出することができましたが、新潟県のしかも北東部から長野県長野市の試験会場まで一人で行くことは許されず、受験当日は父親が勤め先に有給休暇を申請して受験地の長野市まで付き添ってくれました。父親が勤め先を休むことなど殆どありませんでしたので、ビックリした記憶があります。

私は受験当日の4月7日(木曜日)が、中学校が春休み中だったのか、それとも学校を休んで受験しに行ったのか、その記憶がありません。

親に仕事を休ませて付き添ってもらっていますので、絶対に不合格となるわけにはいきません。入念に受験勉強をし、問題集を何度も繰り返し解いて、万全の態勢で受験に臨みました。

その甲斐あって無事に合格できました。受験日からちょうど2か月後の日付の合格通知が郵送されてきましたが、この嬉しい嬉しい合格通知が郵送で手許に届いたのはいつだったのかを改めて調べてみました。

↓ 受験票(左)と合格通知(右)の郵便の消印

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↓ 昭和52年3月~6月のカレンダーも貼りますね・・・

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受験票は3月23日(午後)の消印がありますので、翌々日の3月25日に受け取っていたものと思われます。そして、格通知には6月7日(午後)の消印がありますので、翌々日の6月9日(木曜日)に手許に届いているものと思われます。

あ、今思い出しましたが、学校から帰宅したら合格通知が届いていて、すぐに近所の開業医の先生を訪ねて診断書(視力や聴力、聾唖、四肢、精神耗弱・・・だったかな)を書いていただいたのが確か木曜日だったように記憶しています。当時はアマチュア無線技士でも、免許証を申請するには医師の診断書の添付が必要でした。(現在は原則不要)

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受験した日から2か月経ってようやく届いた合格通知。これを手にした瞬間がこどものころに最も嬉しかった出来事として記憶に残っています。当時居住していた市内で、同じ昭和38年生まれで免許保持者はすでに数人いて、違う中学校に通っていましたがすでに交流はありました。この合格で自分も免許保持者の仲間入りが確定し、本当に、本当に、もの凄く嬉しかったです。なお、この数人のうちの1人(国立大学法人職員)とは現在まで44年近くも親しくしていただいております。友人が極端に少ない私にとっては稀有でありがたい存在・・・(^^)

 

あれから43年経過していますが、その時の猛烈な嬉しさと、受験を許してくれた親への感謝の気持ちがありますので、細々とではありますがアマチュア無線を止めることなく続けて現在に至っています。

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中学2年からしばらくアマチュア無線にのめり込み、学業成績がガタガタになりまして、高校受験だけは辛うじて第1志望の県立高校に滑り込めましたが、大学受験では希望する国立大学受験に2年連続失敗することになります。

もしもこの時に、アマチュア無線技士国家試験の受験が許されず、無線とは縁の無い学生生活を送り、勉学に専念していれば、国立大学に現役で合格して違う人生を着実に歩んでいたのではないかと、考えたこともありますが、無線をやっていなくても、のめり込む対象が他の趣味に替わるだけで、結局は大学受験は失敗していただろうと思います。(^^)ゝ

せっかく他の人々よりも早く、14才でアマチュア無線を始めたのですから、アマチュア無線歴の還暦(無線局開設60年)を目標にしたいと本気で思っています。2037年(令和19年)9月です。

今日は1年に1度だけTwitterに触れる日です・・・

日頃ブログだけは記事を投稿したり、コメントのやり取りを楽しんでいますが、それ以外の、「Twitter」や「Facebook」「Instagram」などは全く利用していません。

そうしたSNSの類を嫌っているわけではなく、利用方法が判らない上に、その利便性に気づいていないだけなんです。

そうしたコミュニケーションツールが無い時代に育った私のような者には、TwitterやFacebook、Instagramを利用しないことによって生じる不利益がどのようなものなのかが解っていないので平気なのですが、若い方々から見ますと、私のような中高年層がその利便性を享受する努力をしないことによって逸失している利益がスゴイことになっていると笑っているかもしれません。

逸失利益といっても、金銭的なものだけでなく、例えば情報集めとか人脈の構築など多岐にわたると考えられるのですが、実のところよくわかっていないんですよね・・・。

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Twitterは約8年前からアカウントを有してはいますが、全く利用していませんで、8年もの間「1フォロー」「1フォロワー」です。この1人はどちらも私の長男です。

 

↓ 今日はTwitterを開けた途端にたくさんの風船が現れました。

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普段全く利用していないTwitterですが、今日は「プロフィール」を1か所変更しなければならない日です。

↓ 変更後はこちら。どこを変更したか判りますか?

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Twitterを全く利用していないと申しましたが、2年前の4月1日に1度だけツイートしていました。後にも先にもツイートはこの1回だけです。

「令和」に改元して1年、遠い昔のことのように感じます・・・

昨年の今日(5月1日)は、今上天皇ご即位の日。したがって昨年4月30日は「平成最後の日」、そして5月1日は「令和最初の日」でした。ゴールデンウィーク期間中のご即位とあって、祝福ムードで盛り上がっていたことをご記憶の方も多いと思います。

しかも、そのゴールデンウィーク4月27日(土曜日)から5月6日(月曜日)まで、10連休になった方も多く、例年のゴールデンウィークを大きく上回る華やかで煌びやかなゴールデンウィークでした。私も勤め人になって33年目で初めての10連休でした。

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一転して今年は「外出自粛」「STAY HOME」のゴールデンウィークとなりました。(><)

昨年の祝福ムードに包まれた超大型連休、僅か1年前のことなんですが、遠い昔のことのように感じ、異空間、異世界のようにも感じてしまいます。

 

手許に昨年5月1日の新聞があります。遠い過去の出来事、いや、幻想小説のようにさえ感じます。

↓ 朝日新聞5月1日(令和初日)朝刊

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↓ この日(午前)のテレビ番組(NHK総合・教育)

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NHK総合テレビはやはり新天皇陛下ご即位の特別番組が中心ですね。

 

↓ この日(午前)のテレビ番組(日テレ、テレ朝、TBS)

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民放各社もやはり新天皇陛下ご即位の報道が多いですね。

 

↓ この日(午前)のテレビ番組(テレ東、フジ)

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やはりテレビ東京は、ご即位や新元号の特別番組がやや少ないですね(^^)

 

「平成最後」となる4月30日と「令和最初」の5月1日は殆どテレビばかり視聴していました。

↓ 4月30日のAbemaTV、「天皇陛下ご退位」の儀式の様子を報じています

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↓ 5月1日のAbemaTV、「新天皇陛下ご即位」の儀式の様子を報じています

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あれから1年・・・

↓ 今朝(5月1日)の朝日新聞朝刊

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↓ 現在(5月1日 午後10時)放送中のAbemaTV

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早期の収束を祈るばかりです・・・。

個人的には「31年ぶりの商業捕鯨再開」を歓迎してますが

 

・・注意・・ 捕鯨に反対の立場の方は、絶対に読まないでください・・

 

昨年(令和元年)7月1日に商業捕鯨が31年ぶりに再開されておよそ10か月が経ちました。私、個人的には商業捕鯨再開を歓迎しているのですが、あまり話題になっていないなぁ・・・、と感じていました。

そんな中、3日前(4月26日・日曜日)の日本経済新聞朝刊の9面に「クジラが日本に帰ってきた」という特集記事が掲載されていました。

↓ この記事です

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我が国の長年に及ぶ鯨食文化と、それに対する国際世論の風当たりの強さを3ページにわたって記したものですが、読みごたえがありました。

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鯨肉は昭和40年代後半までは、学校給食にも竜田揚げ(たつたあげ読みます・唐揚げのようなものです)などのメニューで結構頻繁に出されていました。

ただし、当時の給食では硬い鯨肉の竜田揚げが嫌いで食べ残していた児童・生徒は一定数いました。

私が子どものころ(昭和40年代)ですと、牛肉は滅多に食べる機会など無い贅沢品。豚肉や鶏肉がようやく一般家庭の食卓に並び始めたころで、夕食の食卓には魚や鯨肉が並ぶことが多かったように感じます。

当時を知る私は、「鯨の大和煮」の美味しさが忘れられないため、先日も「選べるギフト」で鯨の大和煮12缶入り箱を買ってしまいました。「大和煮」とは砂糖、醤油、生姜などで甘辛く味付けをした煮物ですね。

↓ これです\(^o^)/

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ちなみにこの鯨、私はてっきり昨年7月に再開した商業捕鯨で捕った鯨なのかと思っていましたが・・・・・。

↓ 缶の表示を見てましたら・・・

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「本製品は国際捕鯨取締条約にもとづいて、(一財)日本鯨類研究所が実施した捕獲調査の副産物です。」と明記してありました。この缶詰はまだ調査捕鯨によるものですね。

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昭和50年ごろまではどこにでも売っていた鯨肉ですが、最近では殆ど見かけなくなってしまいました。前述の通り、養豚、養鶏の定着、低価格の牛肉の輸入促進により、それほど裕福ではない家庭でも、牛肉、豚肉、鶏肉が買えるようになったことに加え、昭和57年(1982年)のIWC(国際捕鯨委員会)による商業捕鯨一時停止措置、そして昭和63年(1988年)の日本の商業捕鯨中止で、鯨肉は一般には殆ど流通することがなくなり、稀少な高級食材として鯨料理専門店でしか食べられなくなってしまいました。

↓ 鯨肉消費量推移(農林水産省発表・平成29年度食料需給表より)

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この数値、グラフ化しなくても判るくらい鯨肉の消費量の激減がハッキリしています。

ピーク時には国内で20万トン以上も消費されていた鯨肉ですが、昭和50年(1975年)あたりを境に、国内生産量が激減。そして昭和60年(1985年)頃からは輸入量も減少し、平成の時代に入りますと、日本人は殆ど鯨肉を食べていないことが判ります。

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商業捕鯨の31年ぶりの再開から10か月。鯨肉に対する考え方は世代によって大きく異なるように感じます。かつて鯨肉を日常的に食べていた世代(概ね50才以上でしょうか・・・)は懐かしさも手伝って、市場に出回ったら一度は試してみたいと感じている方が多いようですが、若い世代の方々にとっては、珍しいジビエ料理のような感覚なのかな・・・、と思います。また商業捕鯨が再開したとはいえ、採算ベースに乗せるためには牛肉や豚肉、鶏肉などよりも高価格になってしまうかもしれません。諸外国からの捕鯨に対する批判も根強く、まだまだ課題はたくさんあります。

鯨肉には牛、豚、鶏に比べてカロリーやコレステロール値が低く、脂質も少ない上に良質タンパク質が摂取できる利点がありますので、そうした点を強調して需要の掘り起こしていく必要がありそうです。

私、個人的には定期的に鯨肉を消費し、伝統ある日本の鯨食文化の復活を微力ながら支えていきたいと考えています。

昭和13年6月~11月のみ製造された「カラス1銭黄銅貨」

4月19日の「カラス1銭アルミ貨」の記事に関連しますので、その記憶が残っている間に「カラス1銭黄銅貨」の記事を書きたいと思います。

大東亜戦争が長期化し、国を挙げての総力戦遂行のため、国家総動員法が制定された昭和13年(1938年)の「1銭硬貨」は、1年間に2度もモデルチェンジをし、3種類の「1銭硬貨」が製造発行されています。そのあたりの事情は4月19日の記事をご参照いただきたく存じます。

 

↓ この記事です

saitama-dame.hatenablog.com

今日紹介する「カラス1銭黄銅貨」は昭和13年の6月から11月までの半年間製造されましたが、国内で産出する銅は軍需物資として極めて重要なものであるため、この「カラス1銭黄銅貨」の製造は半年で打ち切られ、材質をアルミニウムに、サイズも小さく変更してしまいました。変更されたアルミニウム貨が4月19日の記事で紹介した「カラス1銭アルミ貨」です。

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↓ 直径23.03mm 重量3.75g 八咫烏の意匠

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↓ 現行の10円青銅貨(直径23.5mm)より僅かに小さいです

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↓ 所有枚数が少ないので、10枚×6列×5段=300枚だけ並べます

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影します

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↓ 規則正しく並んでいた「カラス1銭黄銅貨」300枚をグシャリと崩します

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影します

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昭和13年の6月~11月までの半年間しか製造されませんでしたが、1億1360万枚も発行されましたので、稀少性はなく、古銭取扱店で100円程度で入手できます。

免疫力増強の為、15週間続けた「減量」を中断します

標題の通りです。

「減量」は、いわゆる体重のことです。ブログの投稿数などを比喩的に表現したものではありません。

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実は、今年の正月から「減量」に取り組んでいまして、積極的に運動をしたり、食事量を減らしたりしておりました。

ご記憶に残っている方もいらっしゃるかと思いますが、私は今年の正月は「頸肩腕症候群」を患い、左肩、左腕、後頭部や背中の左半分に激しい傷みや痺れを抱えて苦しんでいました。ですのでこの「頸肩腕症候群」の克服を第一の目標としていましたが、ついでに体重を4月中旬までに5kg落とすことを、第二の目標に掲げていました。

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体重を5kg落とそうと考えたのは、4月23日に勤め先の健康診断が予定されていたことに関係があります。

健康診断では例年中性脂肪」の値が基準値を超えそうなギリギリの状態なんです。

この中性脂肪」の値が私の弱点、健康診断の鬼門になりますので、これを下げることが目標なんですが、一般家庭では日常的に「中性脂肪」の値など測れませんので、体重を落としていけば「中性脂肪」の値もそれに伴って下がっていくだろうという短絡的な考えによるものです。

正月を迎えた時点で体重は75kg。身長は177cmくらいですので、極端に太っているわけではありませんが、油断しますと体重は77kgくらいになってしまいます。

 

1月1日(水曜)~1月4日(土曜)の4日間平均体重・・・75.163kg

 

これ以降、毎週日曜日から土曜日までの7日間の平均体重が前の週の平均体重を下回ることを目標にしてきました。

 

1月5日~1月11日までの7日間の平均体重・・・・74.800kg

1月12日~1月18日までの7日間の平均体重・・・74.721kg

1月19日~1月25日までの7日間の平均体重・・・74.507kg

1月26日~2月1日までの7日間の平均体重・・・・73.650kg

2月2日~2月8日までの7日間の平均体重・・・・・73.614kg

2月9日~2月15日までの7日間の平均体重・・・・73.536kg

2月16日~2月22日までの7日間の平均体重・・・73.314kg

2月23日~2月29日までの7日間の平均体重・・・72.986kg

3月1日~3月7日までの7日間の平均体重・・・・・72.271kg

3月8日~3月14日までの7日間の平均体重・・・・72.050kg

3月15日~3月21日までの7日間の平均体重・・・71.964kg

3月22日~3月28日までの7日間の平均体重・・・71.921kg

3月29日~4月4日までの7日間の平均体重・・・・71.893kg

4月5日~4月11日までの7日間の平均体重・・・・71.586kg

4月12日~4月18日までの7日間の平均体重・・・71.479kg

 

ここまで15週連続で、前の週より平均体重を減らしてきました。1月4日に算出した平均体重からは約3.7kgの減量に留まりましたが、毎週少しずつ着実に減量してきたため、身体へのダメージも少なく、無理なく減量できたと自負しています。

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あと約1.5kg体重を落とせば、当初の目標である5kg減量となるのですが、ここで中断してしまう理由は2つあります。

 

1つ目は、勤め先の会社の健康診断の延期。4月23日に予定されていた勤め先の会社の健康診断は、新型コロナウイルス感染拡大予防のため無期限延期になってしまったため、中性脂肪値を測るのが何時(いつ)になるのか不明になってしまったこと。

2つ目は、新型コロナウイルス私が万が一にも感染してしまったとしても発症しない、あるいは、不幸にして発症して重篤化したとしても、生命だけは確保し生還できる基礎体力を養うため、「糖質」「脂質」「タンパク質」を積極的に摂る方向に舵を切りなおしたためです。

正月の時点では体重70kgを目標としていましたが、新型コロナウイルスに屈しない体力を維持するため、71.5kg~72.5kgくらいのゾーンに目標を修正したいと考えます。

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それ以外にも、免疫力を高めるために、直射日光を浴びる、運動を欠かさない、身体を冷やさない、睡眠時間を十分確保してホルモンバランス良好な状態を保つ、ストレスを抱えないよう心掛けることを意識したいと思います。加えて手洗いやうがいの励行、休日の外出自粛徹底化をさらに意識した行動をしていきたいと思っています。

外出できなくてもゴールデンウィークは楽しみ・・・

標題の通りです。

一連の新型コロナウィルス感染拡大を防ぐため、今年のゴールデンウィークは必要最小限の食料品調達以外の外出はできませんが、それでもゴールデンウィークは楽しみです。

 

ゴールデンウィークなどの大きな連休の1か月くらい前になりますと、お取引先の方々に連休のスケジュールをお知らせする文書を自発的に作成しています。

 

↓ この度のゴールデンウィークの休業日のお知らせ

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お気づきになった方も多いと思いますが、50年来の大相撲ファンである私は、営業日を「〇」、休業日を「」で示すといった、大相撲の星取表のようなスタイルを採っています。

本音を申せば、嬉しい休業日を「〇」にして、嫌いな営業日を「にしてやりたいんですが、一応は会社からお取引先の方々に配布する文書ですから、営業日を黒星にするのはダメですね。個人的なブログじゃないので・・・・。

 

私が長年の大相撲ファンであることを知っている多くのお取引先の方々からは、休業日は「や」と表示すればいいんじゃないかと打診されたことはあります。

休業日=「や」は私も思いついてはいましたが、相撲に関係したモノを扱う会社でもないのに、休業日=「や」はやりすぎかと思い、やめておきました。

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ゴールデンウィーク以外にも、年末年始や盆休みの際にも作成して配布しています。

↓ 年末年始の休業日のお知らせ

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年末年始8連休、嬉しかったですね~\(^o^)/

↓ 昨年の夏季休業(お盆休み)

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この文書を作成する作業が、あらゆる業務や作業の中で一番嬉しいです。約1か月後に大型連休を控えているというだけで、元気が漲ってきます。(^^)

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ただ、このような雑用を率先してやろうとする職員や、こうした文書を配布し多くのお取引先の方々とコミュニケーションをとろうと考える職員は殆どいません。むしろ、お取引先の方やお客様との接触を避けたがる職員ばかりなので、私が退職したら、こうした文書の配布は途絶えてしまいます。あと何回配布の機会があるんだろう・・・。

私だけ? 今でも自動販売機で飲み物を買うのを躊躇います

標題の通りです。4月9日の「バナナが贅沢品だったころを知る最後の世代かも・・・」という記事と、なんとなく重なる部分があります。

 

若い世代の方々には到底ご理解いただけない感覚だと思うんですが、私は今でも、自動販売機で缶やペットボトルに入った飲み物を買う際に、ものすごく躊躇います。

 

子どものころの感覚(昭和40年代後半)では、自動販売機で100円前後の高価なジュースやコーラ、コーヒーなどを買ってその場で一瞬で飲み干してしまうのはとんでもない贅沢なことで、一部の金持ちの家のこどもにしかできないことのように感じていました。

 

当時の自動販売機は、今のようにどこにでもあるのではなく、商店の軒先などに置いてあることが多かったでしょうか。コーラ、それにコーラの姉妹品のような炭酸入りジュース(コカコーラならファンタ、ペプシコーラならミリンダ)が、缶やペットボトルではなく壜(ビン)に入っていたように記憶しています。(缶のコーヒーも僅かにありました)

 

自動販売機によって違いがありますが、80円とか100円を入れて、コーラや炭酸ジュースの入った瓶を引っ張り出して、販売機の前面にある固定式の栓抜きで抉(こじ)って栓(王冠)を外して飲むのですが、小学校~中学校の頃に自動販売機を利用した記憶は殆どありません。それほど裕福な家庭ではなかったためか、家庭での飲食と学校給食以外に食べたり飲んだりすることは大変な贅沢だという印象が強く、ましてやコーラやジュースを一瞬で消費してしまうことに対する罪悪感や背徳感は殊の外強かく、40年以上経った今でも完全には払拭できていません。

 

現在50才代、60才代、あるいはそれ以上の方ですと、この感覚をなんとなくご理解いただけるのではないかと思います。あ、いや、私だけかな・・・・

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自動販売機で思い出すのは、昭和40年代中頃の百貨店の屋上などによくあった「噴水式オレンジジュース販売機」。オレンジジュースが透明な容器の中で噴水のように噴き出していて、10円を投入すると、紙コップにジュースが注がれるもの。子供のころは1年に2~3回連れて行ったもらった百貨店で、この噴水ジュースを飲むのが楽しみでした。

噴水ジュースの10円でも贅沢と感じていたのですが、その数年後に普及しだした街の自動販売機の80円とか100円というコーラやジュースは異常な高値に感じたものです。

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そんなことから、今でも自動販売機で飲み物を買う際には躊躇いますし、買うにしても100円(最近では120円~130円ですね)払うだけに、果汁100%オレンジジュース(POMジュースだったら最高)とか、トウモロコシの粒がたくさん入ったスープとか、とろけるように甘い乳酸菌飲料を慎重に選んでしまいます。

逆にミネラルウオーターやお茶、麦茶などは、100円以上払って買うのはものすごく損をした気分になりますので、あまり買うことはありません。緑茶や麦茶、天然水などは350ミリリットルとか500ミリリットル入りを自動販売機で買うのも、2リットルペットボトル入りをスーパーマーケットや量販店で買うのも価格の面ではほぼ同じですのでなおさら買うのに抵抗を感じます。

 

↓ 居住地から徒歩1分の場所にある自動販売機。背徳感が邪魔をし利用できません

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自動販売機で飲み物を買うことに心理的障壁があるなど、若い世代の方々には考えられないことだと思います。貧乏くさくてなんだか恥ずかしいです・・・(^^)

 

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今回この記事を書くにあたって、自動販売機の飲み物について調べてみたのですが、「水」「お茶」に続いて私には買えない商品を見つけました。それは「お湯」です。

↓ チェリオ自動販売機で販売している「お湯」

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乳児の粉ミルクに使う方が多いとのことですが、「お湯」が自動販売機で売られていることを初めて知り驚きました。今日はこのことを知っただけでも価値ある一日だったと思います。どんなことでも新しい知識を得た日は嬉しいですよね(^^)

昭和13~15年の3年間発行された「カラス1銭アルミ貨」

久し振りに蒐集した古銭類を紹介する記事を投稿します。

3月7日に番外編のような形で「ギザ10」を3000枚並べた写真を投稿しましたが、古銭の紹介は2月21日の「5銭アルミ青銅貨」以来、約2か月ぶりになります。

今回は、昭和13年~15年までの3年間・・・実質は2年余り・・・発行された「カラス1銭アルミ貨」を紹介します。

「実質は2年余り」とはどういうことか、ということからご説明します。

実は、昭和13年の前半は、1銭の硬貨としては「桐1銭青銅貨」が発行されていました。これは大正5年から20年以上発行されてきた貨幣です。

ところが昭和13年6月からは「カラス1銭黄銅貨」に変更され、11月まで発行されます。

そして昭和13年の年末には、今日紹介します「カラス1銭アルミ貨」にまたまた変更されます。したがってこの「カラス1銭アルミ貨」は昭和13年に関しては年末の短期間のみ製造、発行されたものですので、「実質は2年余り」となります。

 

解りやすくまとめますと・・・

・桐1銭青銅貨 大正5年~昭和13年前半 (銅95% 錫4% 亜鉛1%) 3.75グラム

・カラス1銭黄銅貨 昭和13年6月~11月 (銅90% 亜鉛10%) 3.75グラム

・カラス1銭アルミ貨 昭和13年末期 (アルミニウム100%)0.90グラム

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上から順に「桐1銭青銅貨」「カラス1銭黄銅貨」「カラス1銭アルミ貨」

錫や銅といった金属を戦争のために軍に供出するために「1銭硬貨」は昭和13年の

1年間だけで二度にわたり材質やサイズ、量目を変更しました。

この「カラス1銭アルミ貨」は我が国初のアルミニウム貨です。現在、私たちが日常的に使用している1円硬貨と同じ材質です。

アルミニウムは金属の中では軟らかいため、圧延・プレスをして板状にして硬くなった金属板を加熱して徐々に冷ましていく工程を省くことができることや、加工がしやすいことが利点となります。その反面、軽くて安っぽく、摩耗しやすいところが欠点です。当時は物資も人員も戦争に優先的に割り当てられていただけに、多少の欠点は妥協せざるを得なかったのかと考えます。

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↓ カラス1銭アルミ貨(八咫烏が描かれているのでこの名称です)

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左上がオモテ、右上が昭和13年、左下・昭和14年、右下・昭和15年

前述の理由から昭和13年の発行枚数が少なく、やや珍しいです。

 

↓ 直径17.6mm、量目0.9グラム。(1円硬貨は直径20mm、1.0グラム)

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1円硬貨と比較してもかなり小さいです。

 

↓ 実は「昭和十四年」の『四』の字には2種類あるんです

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左側の「四」の内部は ㇘㇗    右側の「四」の内部は ノ㇗ (これがやや稀少)

 

↓ 左側の「四」を拡大します。殆どはこの字体です

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↓ 右側の「四」を拡大します。これはやや稀少です

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それぞれの「四」の字の違い、判りましたでしょうか?

やや稀少とはいえ、古銭専門店などでは数百円程度で入手できますので、驚くほど珍しいというわけではありません。

 

↓ それでは、10枚×10列×10段=1000枚を並べてみます

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額面では「1銭×1000枚」ですので、これだけあっても額面では10円です(^^)

↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影します

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↓ それでは規則正しく並んでいた1000枚をグシャリと崩します

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影します

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今回もご覧いただきありがとうございました。\(^o^)/

次回は、今日の記事の冒頭でも触れましたが、この「カラス1銭アルミ貨」が発行される直前の半年間のみ発行された「カラス1銭黄銅貨」を紹介します。