埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

「元気が足りない」のは生来の気質です(^^)ゝ

昨年は転居と再就職をしたので、新しい地域の住民の一員となり、さらに新しい職場の一員にもなりました。どちらも日が浅いので新たに知り合った方々からは、私が「明朗快活な人」だと思われているようですが、それは誤解です。むしろ「元気が足りなくどちらかといえば暗い人」です。今日の投稿では「50年以上前から元気が足りない人」であることを客観的に示す証拠(当時の通知表所見欄)も添えて、私が「明朗快活な人」ではないことを主張したいと思っております。

ブログを通じて親しくして下さるみなさまや、昨年8月まで勤めていた職場でお世話になっていたお取引先のみなさま、趣味のアマチュア無線を通じて親交を深めている方々は私の気質や性質についてすでに見抜いていると思いますが、最後までお読みくださると嬉しいです。

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さて冒頭でも申し上げましたが、本当の私は「元気が足りない人」で、50年以上前から不変です。

小学校1年生(昭和45年)の通知表の担任教諭所見欄を1学期から順に見ていきます。

↓ 小学校1年1学期の担任教諭所見欄

この段階(1学期)ではまだ「真面目な努力家」「積極的な態度で挙手」とあります。小学校に入学した直後なので多少は張り切っていたのかもしれません。すでに体育が苦手で「ゆりかご」がうまくできず「まっすぐ走る」こともできていなかったようです。2学期に入るといよいよ本来の自分に戻ります。

↓ 小学校1年2学期の担任教諭所見欄

ここで「もっともっと元気を出して」との激励コメントが見えます。でもこれが本来の私なんです。就学前に通っていた幼稚園でも元気よく行動していた記憶はありません。集団行動そのものに拒否反応を示していました。幼稚園児の頃から月曜の朝はユウウツでした。

↓ 小学校1年3学期の担任教諭所見欄

「まだ元気が足りなく実力が充分発揮されないようです」「二年生になったら一層がんばって下さい」とのコメントがあります。担任の先生の観察眼は確かだと思います。

↓ 小学校2年(1~3学期)の担任教諭所見欄(昭和46年)

2年生になっても同じ先生が持ち上がりで担任です。1学期「えんりょがあり元気も足りません」とのコメントがあり奮起を求められています。3学期「運動もがんばりましょう」とあります。このように2年連続で「元気の無さ」を指摘されます。すでに体育には苦手意識を持っていました。所見欄の上に行動の記録が写り込んでいますが、「創意くふう」「情緒の安定」「公正さ」「公共心」は優れてはいないと評価されています。この評価も正当だと思います。先生は1クラス40人もいた児童ひとりひとりをよく見ておられ、つくづく感心します。

↓ 小学校3年(1~3学期)の担任教諭所見欄(昭和47年)

3年生になり担任教諭が替わりました。「元気が足りない」との表現はありませんが、「正しい事にはもっと強く押しをきかせる良いリーダーになってもらいたい」と期待を寄せるありがたいコメントをいただきました。この先生も私の行動や振る舞いをよく見ておられます。集団行動に馴染めず、他者との対立を避けることを優先する姿勢を物足りなく、もどかしく感じておられたのだと思います。

こうしたありがたい激励のコメントをいただいたものの、小学校高学年でも、中学校でも、高等学校でも、大学でも、職場でも良きリーダーになって強く押しをきかせたことはありません。このコメントに対して反発したのではなく、できればそのような自分になりたいと思っていましたが、集団行動そのものが嫌いな私にはできないことでした。

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「元気が無く消極姿勢」は50年以上前からの私の性質であり、60才を超えた今から変わることは無いと思います。自分がリーダーになるような人物ではないとは判っていましたが、接する方々を不愉快な気分にさせたり、感情的に対立することは避けたいと、大らかで明るい人物を演じてきました。成長するにつれてその演技がうまくなったことが知り合って間もない方々に明朗快活な人物だと誤解させる原因になったのだろうと思います。それでもすぐにメッキは剥がれるものです。

気付いたら年明けから2週間も経っていた・・・

今年最初の投稿です。本年もよろしくお願いいたします。

 

今年は元日から石川県能登地方を中心とした地域で大地震津波が発生し、翌1月2日には羽田空港で飛行機事故が発生する大波乱の幕開けとなってしまいました。こんな正月は過去に記憶がありません。災害や事故の犠牲となられた方々には心より哀悼の意を捧げるとともに、被災地で辛い状況下に置かれている方々には一日も早く平穏な日常生活に戻られるようお祈り申し上げます。

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さて新年最初の投稿ですが、今日はすでに1月14日、しかも午後11時近くになっています。明日(1月15日)の午後3時21分36秒で、今年の4%が過ぎてしまいます。今年(2024年)も残すところあと96%です。残された96%であと99回の投稿をし、年内100投稿を目指します。

 

すでにお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ブログタイトルを元通りに戻し、「埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・」といたしました。昨年8月15日付で前職を定年退職し「浪人」となっていましたが11月20日から別の会社(前職同様中小企業)で勤め始めて今日に至っておりますのでブログタイトルも元通りに戻した次第です。

 

新たな勤め先では当初、週40時間勤務の正社員待遇の条件でしたが、12月の1か月間勤務したところ、私のような還暦を過ぎた者が働き盛りの20才代~40才代の方々と同じように働くのはキツ過ぎることが判明しました。そこで今年1月以降は非正規職員待遇で構わないので週3~4日勤務としていただきたいと願い出まして、概ね希望通りの雇用条件に調整していただけました。

フルタイム労働となった12月の1か月間は、平日は夜遅くに帰宅して意識を失うように倒れ込み、休日は日頃の疲れを引きずりグッタリと寝たきり状態となっていました。さすがにこれでは長続きはしないだろうと考え、労働時間を3割削減して月給制を時給制に変更していただきました。賃金は3割減になりますが普通の生活をするには十分で不満はありません。

これで体力の消耗を抑え、趣味のブログや無線、将棋などを楽しむ時間を確保できます。体調の良くない日は平日でも躊躇なく病院に通うこともできます。60才代の働き方はこのようなものでいいのではないかと思っています。

新しい勤め先でわずか1か月で白旗を上げて雇用条件の見直しを願い出るとは情けないとお思いの方もいらっしゃると思います。還暦を過ぎた自分が、新たな勤め先でも働き盛りの若い方々と互角に張り合えると思い上がっていたことをとても恥ずかしく感じます。

こんなワガママな要求を快諾してくれた会社には感謝しており、これからも誠実に勤めて参りたいと思います。また体力の消耗度が12月とは全く異なりますので、余力を活用してブログ投稿数を増やして参りたいと改めて思う次第です。

年間投稿数わずか36、でもブログは止めない

標題の通りです。2023(令和5)年の大晦日にあたり、今年のブログ投稿数を数えてみましたら、今日のこの投稿を含めてわずか36回でした。月別の投稿数は以下の通りです。

 

1月 2回    5月 3回    9月 3回

2月 3回    6月 8回   10回 2回 

3月 3回    7月 2回   11月 3回

4月 2回    8月 2回   12月 3回

 

1年間(365日)で36回ですので、概ね10日に1度のペースで投稿していたことにはなっていますが、6月の8回投稿で回数を稼いでいるだけで、実際の投稿数は1ケ月に2~3回程度です。

 

今年は5月に60才の大台に乗り、8月に前職を定年退職しましたそれに伴い22年間居住し続けた社宅を退去しなければならなくなり、中古一戸建て住宅を購入、転居しました。その結果生活環境が一気に変わりました。今でもまだ開封していない引っ越し荷物のダンボールがたくさんあり、生活が軌道に乗るにはまだまだ時間を要する見込みです。

そのような状態にもかかわらず11月下旬に欲張って再就職までしてしまったことから時間的な余裕が無くなりまさに青息吐息状態。ブログからさらに遠ざかる結果になりました。投稿しないだけでなく、みなさまのブログを訪れる機会も大幅に減ってしまい、残念にそして申し訳なく感じております。

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しかし、それでも、ブログを止めてしまおうとは思ったことはありません。1ケ月に2~3回程度の頻度であっても投稿することによって多くの方に「生存確認」をしていただけますし、数年来お世話になっているブログ仲間からの嬉しい激励コメントをいただけることもあります。これがブログをスパッと止めてしまわない理由です。

新しい年を迎えましてもしばらくはこの傾向が続くと思いますが、みなさまのブログへの訪問頻度と、自身の投稿頻度を少しでも高めたいという意識は持ち続けたいと思います。

新しい年も引き続き宜しくお願い申し上げます(^^)/

11月も毎日交信、35か月連続皆勤賞(^^)

今年は前職を定年退職し、22年間住み慣れた社宅を退去して中古一戸建て住宅を購入転居し、さらに60才の新人として再就職をも果たしました。住むところと勤めるところが替わったため慌ただしく落ち着かない1年でしたが、辛うじて趣味の無線の連続日数交信だけは途切れることなく継続できています。2020年12月30日から今日(2023年12月12日)まで1078日連続運用となっていますし、今年の大晦日まであと19日続けば3年連続毎日交信となります。

ただ、11月下旬に再就職した会社は自動車で50分ほどの距離にあるため夜の帰宅時刻が遅れ、無線の運用は午後8時以降になっています。帰宅してすぐに1.8MHzや3.5MHzをワッチしますが、コンディションが悪くノイズしか聴こえない日は1局もQSOできないのではないかと焦りを感じ、慌てて144MHzや430MHzのFT8でCQを出しまくり何とか新規の局を探します。首都圏に住んでいるのでこうした方法で連続日数交信を伸ばしていますが、地方でしたらこの手口での連続日数QSO更新は無理じゃないかと思います。

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それでは11月の交信実績に移ります。

11月の30日間のQSLカード交換を伴う交信やコンテストでの有効な交信は252でした。

◎11月の交信の周波数別内訳

   3.5MHz     13局

    7MHz   19局

   10MHz   39局

   14MHz   10局

   18MHz    2局

   28MHz    1局

   50MHz   18局

  144MHz   23局

  430MHz  127局

     計    252局

なんと430MHzが最も多い結果となりました。冬のコンディションになりHFハイバンドが軟調なことと、鶴見川コンテストや東京UHFコンテストに参加したことで430MHzでのQSOが増えました。7MHzのFT8は過去にQSOした局ばかりが目立ちますので最近のFT8は10MHzにオンエアする機会が増えています。

◎11月の交信の電波形式別内訳

 CW     139局

 FT8    110局

 FT4      3局

     計  252局

QSOは全てCWとFT8、FT4のみで、音声によるQSOは0件でした。労力を必要としないFT8で連続運用日数の延命を図り、コンテストはCWだけに絞っています。

◎今月も一覧にしてみました

          CW  FT8  FT     計

  3.5MHz   1   12         13

    7MHz   4   15         19

   10MHz   2   37         39

   14MHz  10              10

   18MHz        2          2

   28MHz        1          1

   50MHz  18              18

  144MHz       20    3    23

  430MHz 104   23        127

   計     139  110    3   252

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続いて11月にQSOできた特別局・記念局です。11月は再就職をして帰宅時刻が遅れることになり丹念にワッチをする時間がなかったため、のべ4局とのQSOに留まりました。

◎ 11月に交信した特別局・記念局(交信した日時の順)

・JA3RL (14/CW)

・8J6BAL/6 (7/FT8)

・8J130TAM/P (7/FT8)

・8J150CB/1 (144/FT8)

以上が11月の交信実績です。2021年~2022年に2年連続無線運用毎日皆勤賞を達成し、今年も11月まで皆勤賞で35か月連続となりました。少なくとも今年の大晦日までは継続し、3年連続皆勤賞だけは達成したいと思います。

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最後に新しいQSLカード(紙カード)を作成しましたのでお知らせいたします。

↓ これです

ここ数年で入手した特別局・記念局のQSLを散りばめ、左下に「特別局・記念局を常に探しています。」とコメントを付しています。一応匿名のブログでありながら、グリッドロケーターやJCC番号が見えていますが知られてもそれほど困るものでもないのでそのまま披露しております。

新しいQSLカードができたものの、JARLビューローがパンク状態らしいのでなんだか送りづらいです・・・。

24日間も休載してました (^^)ゝ 近況報告します

11月15日に「つかの間の浪人生活でした・・・(^^)ゝ」というタイトルで投稿して以来、昨日まで24日間もブログを休載してまして申し訳ありませんでした。

これほど長期間休載をした前例は無いだろうと思っていましたが、調べてみると・・・

今年7月13日~8月6日の25日間休載

今年9月22日~10月17日の26日間休載

の2例がありましたので、「連続休載日数新記録」の不名誉にはギリギリ至りませんでした。

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実はこのブログ、2019年には元日から大晦日まで365日連続投稿を達成したことがあり、2020年元日から2022年9月4日までの約2年8か月は「奇数の日」に隔日投稿を頑なに守っていた経緯があります。わずか1年数か月前までは、このブログは逐次刊行物に例えると「日刊」「週3回刊」と投稿頻度は一定の水準を維持していたのですが、当時の勤め先の激務や自身の体力減退、睡眠時間の確保を理由に2022年9月5日から「投稿の不定期化」を導入しました。

「投稿の不定期化」を導入した途端、タガが外れてしまい、投稿頻度は「週2回刊」になり「週刊」になり「旬刊(月3回刊)」になり「隔週刊」になり「月2回刊」になり、そして今ではほぼ「月刊」になりつつあります。

本音を申せば以前のような投稿頻度に戻し、200名近くいらっしゃる「読者登録」をされた方々や日頃お世話になっている方々との交流の輪を復活させたいと思っております。新しい年を迎えましたら投稿頻度を「週刊」ぐらいには戻すべく、どのようにしたらそれを実現できるかを考えて参ります。

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さて、それでは近況報告をいたします。

11月20日から新たな勤め先に奉職し3週間が経過しました。業種や職種の特殊性ゆえさまざまな機器類の操作手順や報告書類の作成方法など憶えることがたくさんあり、戦力として貢献できるようになるには相応の時間を要するものと思います。まだまだ「見習い」、さらに言えば「お客さん」のような立場です (^^)ゝ 。それでも職場の方々には大切に扱っていただいていると感じる場面が多々あり、本当に感謝しております。

そんな私でも、比較的易しい業務は単独で出張遂行することがあります。入社して日は浅いですがこの業務に従事するための国家資格は9年前に取得し、大臣指定登録機関にも登録してありますので法令違反ではありません。

で、その出張範囲ですが、この類の業種の会社の数が少ないこともあり関東一円に拡がり、場合によっては関東圏外からも出張依頼があります。

そのため、一昨日(12月8日・金曜)は180km、その前日(12月7日・木曜)は130kmを自動車で一般道を運転しており、その疲れをひきずって昨日(土曜)と今日(日曜)はグッタリしておりました。60才を超えたとはいえ、ここまで体力が落ちていることに初めて気づきました。

私のような新米社員でもこの状況ですから、会社の先輩諸氏はさらに大変な思いをされています。業務に従事するための有資格者が不足しており、勤め先の会社だけではなく業界全体が人手不足に喘ぐ状態はしばらく続きそうです。

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そうした人手不足を背景に、たまたまその資格を9年前に取得していた私の雇用は当面守られると思いますが、記憶力や体力に翳りを見せる60才にはやや厳しいものがあります。私の場合、年金受給できるまであと4年5か月ですので、そこまでは粘りたいとは思っていますが、頭脳明晰で若い方(イケメンなら尚可)が入社してあれよあれよという間に国家試験をパスして単独で業務を担当できるようになれば、私の役割はそこで終了です。それはそれで勤め先の会社にとっては良いことですので、新たな人材獲得を素直に応援したいと思っています。私が再び「浪人」に戻ることこそがこの会社、そしてこの業界にとって有益なことなのです。

 

それでも、勤めている間は決して手を抜かず、全力でガンバリマ~ス\(^o^)/

 

あ、ブログタイトルがまだ「浪人」でした。早めに替えなくては・・・。

つかの間の「浪人生活」でした・・・(^^)ゝ

半月前の10月31日「浪人生活をしばらく続ける方向に計画変更」というタイトルで投稿し、向こう半年くらいは高齢者でも就職に有利な電気や設備関連の免許や資格を複数取得して70才を超えても勤めることができる基盤づくり目指して半年程度の浪人生活を続ける方針・・・、といったことを書き連ねました。

ところがその投稿の直後に前職のお取引先だったとある会社の社長から、「ブログ面白いですね、文才ありますね、ところで是非一度事務所に来ませんか」とのお電話をいただき、翌日その会社を訪ねてみました。するとその社長からは一言「ウチで働いてみませんか」と・・・。

前職のお取引先企業の社長ですので当然面識はありますし、円満なお人柄であることも存じていますが、その会社とは1年間に2度くらいの頻度で業務委託をしていただけですので、頻繁に接触があったわけではありません。その社長からすれば私などは多くの取引先の多くの担当者の中の一人に過ぎない筈ですが、そんな私のことを記憶に留めて下さり、しかもこんな駄弁ブログにまで目を通していただいていることに大変感激した次第です。

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急遽勤めることになったその会社は、単にモノを製造するとか、単にモノを販売するとか、単にモノを運搬するといった業種ではなく、かなり専門性・特殊性が高く原則として国家試験をパスして指定登録機関に登録された者でなければその職務に従事できない業種。埼玉県内では30社程度しかないものと思われます。したがって具体的な業務内容などを細かに記しますとすぐにバレてしまいますので、新しい勤め先についての記述はここまでとさせてください(^^)ゝ

私がたまたま興味本位でこの業界の必須資格を取得していたことをこの会社の社長や幹部職員の方々が憶えていて下さったことも幸いし、60才を超えて気力や体力などあらゆる面で衰えを見せ始めている私でも正規雇用されることになりました。本当にありがたく感じます。期待に応えられるようがんばりたいと思います。

ただその保有資格ですが、私の場合はマークシート試験がたまたま当たっただけのラッキーなまぐれ合格で、しかもまぐれ合格後に全く勉強をしていないペーパーライセンス。日本一実力の無い有資格者ですので、これから文字通りイチからのスタートになります。

新しい勤め先での初出勤は11月20日(月曜)と決まり、半月前に声高らかに宣言した「浪人生活」はあっという間に終わることになりました。

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来週からは「60才のルーキー」として働き始めます。「浪人」ではなくなりますので替えたばかりのブログタイトルをまた替えなければなりません(^^)ゝ

9月・10月共に毎日交信で34か月連続皆勤賞

標題の通り、9月~10月もアマチュア無線での連続日数交信を継続でき、2021(令和3)年1月から数えて34か月連続皆勤賞となりました。

それでは9月の交信実績からお知らせいたします。

9月の30日間のQSLカード交換を伴う交信やコンテストでの有効な交信は142局でした。

◎9月の交信状況(周波数・モード)を一覧にしてみました

          CW  FT8  FT  SSB  FM     計

     7MHz  14                          14

    10MHz   2   27                  29

    14MHz   1                        1 

    18MHz        5                   5

    21MHz        4                   4

    24MHz        4                   4  

    28MHz       20                  20

   144MHz   2   23                  25

  430MHz   10   26    4                40

   計       29     109    4     0    0      142

転居して間もないため生活そのものに戸惑いがあり、無線の運用時間は減少。交信局数は先月(8月=122局)と同様に少なくなりました。加えて転居先では7MHzのFT8で送信時に回り込みが発生するようになり、仕方なく10MHz、28MHz、144MHz、430MHzのFT8で新規の局を探して連続交信日数の更新を図りました。またSSBやFMといった電話での交信は1局もありません。

9月25日には連続交信日数は1000日に達しました。   

続いて9月にQSOできた記念局や特別局ですが、僅か2局と低調です。

◎ 9月に交信した記念局・特別局(交信した日時の順)

・8J150CB/P (144/FT8)

・8J6KK/P (10/FT8)

以上が9月の交信実績です。なんとか33か月連続皆勤賞となりました。

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次いで10月の交信実績です。

10月の31日間のQSLカード交換を伴う交信やコンテストでの有効な交信は377でした。

◎10月の交信状況(周波数・モード)を一覧にしてみました

          CW  FT8  FT  SSB  FM     計

  3.5MHz   8                         8  

    7MHz  29   37                     66

   10MHz       26                   26 

   14MHz  20                        20

   18MHz   1                         1 

   21MHz   3    3                    6 

   24MHz        5                    5

   28MHz        9                    9

   50MHz   8                         8   

  144MHz  78   22                  100

  430MHz 100   27    1             128

   計     247  129    1    0    0      377

新居での生活にも少しずつ慣れ、アンテナの整備も徐々に進んだことからコンテスト参加も増えました。10月はFT8よりCWでの交信が多く、総交信数の約6割が144MHzと430MHzの2つの周波数帯に偏りました。波長が短くアンテナの調整がほぼ不要の144、430MHzの気軽さについつい惹かれてしまいます。なお9月同様SSBやFMといった電話での交信数は0局です。

続いて10月にQSOできた記念局や特別局です。のべ10局とQSOできました。

◎ 8月に交信した記念局・特別局(交信した日時の順)

・8J1ECL (144/CW) 全市全郡コンテスト

・8N9C/P (7/FT8)

・8N1789FM/P (430/FT8)

・8J9SUZU/P (7/FT8)

・8J1ECL (50/CW) 電信電話記念日コンテスト

・8J1ECL (144/CW) 電信電話記念日コンテスト

・8J7WICHI/P (7/FT8)

・8J170HC (10/FT8)

・8N3TK (10/FT8)

・8J130TAM/P (144/FT8)

以上が10月の交信実績です。これで34か月連続皆勤賞となりました。

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2020年12月30日から続く連続運用日数は、昨日(11月5日)で1041日となりました。今年の大晦日まで継続できれば3年連続での毎日交信となります。これから先も浪人生活が続くようであれば楽々実現できると思います\(^o^)/

新聞の宅配購読を止めて3か月、意外と平気です

今年8月に転居するのを機に、新聞の宅配購読を7月末日をもって契約解除してみました。

退職して一時的に収入が途絶えるために出費を抑えようといった狙いも確かにありますが、それ以上に「朝、目覚めても新聞が来ない生活に自分は耐えられるのか?」という問いに対する答えを出したいというのが目的です。

これまでの60年の半生の中で、新聞が配達されない暮らしを経験したことはありません。幼少期から新聞は毎朝自宅に配達されるのは至極当たり前のことでしたし、大学進学で独り暮らしとなっても「早朝に新聞が来ない生活は考えられない」ので、新聞勧誘員がやって来るのを待たずに自ら最寄りの新聞販売店に購読申込をしたほどでした。

勤め人になったら、情報源としての新聞はますます欠かせないものとなり、最大で全国紙、経済紙、スポーツ紙、証券市場専門紙の4紙を配達してもらっていた時期(2005~2007年ごろ)もありました。

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10年くらい前から若い世代の方々を中心とした「新聞離れ」が話題になっていますが、「新聞が配達されない生活」あるいは「新聞を読まない生活」など本当に成り立つのだろうかと常に疑問に感じ、そのような生活を実際に体験して試してみたいと思っていましたが、大した理由も無く購読契約解除を実行に移すことはできませんでした。しかしこの度は転居という大義名分が生じたので購読契約解除の好機と考え、7月下旬に22年以上にわたりお世話になっている新聞販売店を訪れました。

購読契約解除を申し入れたら、「なんとか購読を続けてください」とか「転居先にお届けします」などと粘ったり、泣きついたり場合によっては恫喝したりして強引に翻意を促してくるものと予想し、その問答応酬の対策まで準備して出向きました。以下に販売店の方と私との会話のやりとりを示します。

 

わたし「これまで購読してきた新聞ですが、転居のため購読を止めたいのですが」

売店「今月末まででいいですか?」

わたし「あ、はい、何か契約解除申出書とか一筆書きましょうか?」

売店「あ、いや、口頭だけで解約できます。7月31日で最後ですね」

わたし「運転免許証とか本人からの申し出だと判る身分証明を提示しましょうか?」

売店「いや、必要ありませんよ」

わたし「では、契約解除を受付けたことを示す書面でいただけますか?」

売店「そのような書面は出したことは無いですね。解約手続は今完了しました」

わたし「あ、そうですか・・・」

以上が新聞購読解除の申し出をした際の販売店員と私との会話です。全く抵抗されず、執拗に食い下がってくることもなく不思議な感覚。あまりに予想外で拍子抜けしてしまいました。この新聞販売店との宅配購読契約は22年以上に及びましたが、契約解除は30秒で済みました。

あまりにも簡単に契約解除されたため、8月1日の朝刊もこれまで通り配達され、「契約解除など聞いていない」ととぼける手口なのか、と疑っていましたが、実際に8月1日以降は新聞は配達されませんでした。本当に30秒ほどの口頭での申し出のみで契約解除できたのです。

↓ 最後に配達された7月31日の紙面の一部

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子どもの頃から新聞が配達されるのが当たり前の生活を過ごし、さらに書籍や雑誌を含めた活字メディアを好む私の性質をよく知る家族は「そのうち新聞が読みたくなってまた宅配購読契約することになる」と予想していたようですが、その予想を裏切っております。3か月以上経過した現在では新聞が宅配されない生活にも慣れ、ネットニュースを情報源の軸に据えた上で、関心のある出来事を新聞紙面で読みたいとき(1か月に2~3日程度)は自宅近くのコンビニエンスストアの店頭で新聞を購入します。読みたい記事の内容や性質によって、保守系全国紙、リベラル系全国紙、地方紙(埼玉新聞)、経済紙、スポーツ紙、夕刊紙などを都度選択できるので好都合です。

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数か月前までは「新聞が配達されない生活など考えられない」と思っていましたが、実はそんなことはないことが判りました。これはあくまで私の場合ですので、人それぞれの我慢の許容値の違いや従事している職業による必要性によって「新聞の無い生活は不可能」と仰る方も多いと思います。さまざまな考え方があってよいと考えますし、私もそうした考え方の側に舞い戻ることが十分あり得ると思っています。

浪人生活をしばらく続ける方向に計画変更

8月15日付で定年退職してから2か月半にわたり浪人生活を過ごしております。2か月半前まで勤めていた職場ではその間に、営業職の若手有望株の職員2名が退職して他社に移ったと聴いています。営業職は15名ほどしかいない中で、エース級の職員と将来のエース候補の2名が一度に職場を去るのは会社にとってかなりの痛手となっているものと思われます。

そのほかにも近々退職する予定の営業職員が2名(1名は他社への転職、他の1名は70才超で年金生活に)控えていて人手不足はかなり深刻な状態。慌てて求人を出しているようで、今応募すれば誰でも採用される状態だそうです。

ですが、この会社に飛び込むのはオススメできません。次から次へと若手有望株の職員がこの職場に見切りをつけて去って行くのにはそれなりのハッキリとした理由があります。後悔することになる可能性が非常に高いです。

私が在職していた間、職業倫理観や価値観が一致し親しくしていた方々は数年前からこの会社の独特な社風や空気感に疑問を感じてどんどん転職してこの職場を去ってしまい、今では私と密かに連絡をとって下さる現役の職員の方は2~3名程度しか残っていません。本音を申せばこの方々にも早めの転職をオススメしたいです。

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さて、他人様の退職や転職の話題になってしまいましたが、私自身の就職活動についてお話します。

当初、8月15日の前職の定年退職からすぐに次の勤め先で働き始める計画でした。具体的には60才から68才くらいまで8年くらい軽作業に従事しようと考えていました。

ところが、最近の統計調査では70才代の方の約半数が就労しているとのことですし、年金制度の改変改悪がいきなり断行される恐れもあるため、今年から来年にかけて雇用保険の給付を受けながら新たに電気工事士や消防設備士などいくつかの免許を新たに取得し、知識や技術を身に付けた上で61才から73才まで12年くらい勤める方向に舵を切り直しました。

士業(行政書士社会保険労務士)のような難関資格取得のために残された人生の全てを捧げるのは私には無理ですし、英語(TOEIC)や簿記、パソコン関連の資格の学習は還暦を過ぎて気力が続かない私には不向きと割り切り、2~3か月の丸暗記作業と過去問演習の繰り返しのみで対応可能で求人も期待できそうな資格に絞りました。

還暦を過ぎてから取得した資格なんかが役に立たないことぐらいは十分承知の上ですが、正社員での採用を目指すわけでもありませんので「アルバイトなのに色々な資格を持った変わり者のじいさんだな・・・」とか「年齢の割には前向きな姿勢だな・・・」と興味を持ってもらえたり、時給が50円アップするだけでも構わないと思っています。

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実は9年前の平成26年に第二種作業環境測定士と衛生工学衛生管理者の資格を取得した際に「もう50才を過ぎたので、受験勉強はこれにて終了。今後は資格試験の受験からは引退します。」と宣言したのですが、この2か月あまりの浪人生活で精神的にゆとりが生じたためか、9年ぶりに受験することにし、それらを足掛かりに来年の夏頃を目途に希望の条件に近い勤め先で長期間働くことを目指します。

 

今日の投稿に関連して、2年前の5月17日に投稿した、私の「緩~い資格取得スタイル」を紹介いたします。

↓ この記事です

saitama-dame.hatenablog.com

このブログの読者の方の中には、猛烈な努力を重ねて超難関の英語検定1級の試験に合格された方もいらっしゃいますので、「こんな甘い考えではダメ」と𠮟られそうデス(^^)ゝ

定年退職から2か月、漸くブログ名を替えました

9月21日以来の投稿です。ご無沙汰しておりまして申し訳ありません。

8月15日付で勤め先を定年退職しておきながら、ブログ名に「中小企業勤務」という語が含まれていたまま放置して2か月が経ってしまいました。勤め人でもないのに「中小企業勤務」を名乗るのはマズイな・・・、などと考えて後ろめたさを感じ、ブログのサイトからも遠ざかっておりました。

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1か月近く投稿を怠りますと、もう誰からも相手にされなくなるだけでなく、かつてお世話になっていたお取引先のみなさまの間に「死亡説」の噂が流れてしまうのではないかと急に思い始め、本日慌てて新しいブログ名を考案いたしました。

「死亡説」とは大げさに感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、在職中はお取引先の方々には・・・、「眠っている間に呼吸がストップしてしまう睡眠時無呼吸症候群なんです・・・」とか「胃酸が逆流して食道をドロドロと溶かしてしまう逆流性食道炎なんです・・・」とか「後頭部や肩、腕の痛みや痺れが酷く日常生活にも支障が出る頸肩腕症候群なんです・・・」などと正直に語っていましたので、ブログの投稿がしばらくないことで「もしかしたら・・・」と心配してくださっている方もいらっしゃるかもしれません。現在の症状はいずれも軽く心配ございません。昨日(10月17日)も胃の内視鏡検査を受けてきましたが医師の先生からは「逆流性食道炎の影響も少なくガンなどの心配は無し」とのコメントをいただいております。

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さて、新しいブログ名は「埼玉在住還暦浪人の冗漫駄辯・・・・・」に替えました。

「埼玉在住」は変わらず、現在の立場は「還暦浪人」。「冗漫(じょうまん)」は表現がくどくて長たらしいことを指し、「駄辯(だべん)」は無駄なお喋りのことです。

「冗漫」と似た意味で「冗長(じょうちょう)」という語もありどちらにしようか迷いましたが、「冗漫」を選びました。また「駄辯」の「辯」は新字体の「弁」ではなく旧字体の「辯」が見た目が良いのでこちらを使わせていただきました。

「冗漫」と「駄辯」は無駄でくだらないお喋りという意味で重なっていますが、あえて重言(じゅうげん)を用いてこのブログの特徴を強調しています。

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これまでのブログ名「埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・」では1209回の投稿をいたしました。新しいブログ名での投稿はこれが1回目(通算1210回目)ですが、当面は新しいブログ名での投稿100回を目指します。